面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

ライヴ終了御礼

2006年12月16日 | Weblog
 年に一度のクリスマスライヴが終了
しました。御多用にもかかわらずお越
し下さいました皆様、心から御礼申し
あげます。今、心地良い疲労感に揺れ
ながら書いています。本当に、生かさ
れている事を実感しています。人と人
の縁(えにし)が面白い様に見えます。
少し眠ろうと思います。明日、ライブの
エピソードなど書きます。
      おやすみなさい。

人生喜怒哀楽(遅れても来てね)

2006年12月14日 | Weblog
 29年前にリリースしたレコードがCDとなって発売されていることを知らされたのは別メーカーのW氏からだった。それも、10月、11月と、2ヶ月続けて出ていたらしい。
 70年代フォークソングのアンソロジー「俺達のフォーク」(ビクターエンタテインメント)と、いうアルバムは、今日ビクターからバイク便で届けられて初めて知った。面白い事に松山千春「旅立ち」の次に「江古田スケッチ」竹内緑郎と旅行かばんが入っている。よく音源があったものだ。
 竹内緑郎とは朝倉薫を使う前のペンネームで、その頃、おぎひろしというペンネームも使っていた(確か森進一のポケットの夢という曲の作詞作曲はこの名前)コラムやライナーノーツは、高群逸彦で書いていた。他に、童話が安達百彦とかもう忘れたペンネームもいくつかある。昔の話だ。
 劇団を立ち上げてから朝倉薫一本にしている。著作権を預けている出版社に電話をしたら、社長がご子息になって居られた。30年の歳月が過ぎ去った事実を痛感した。書いて歌った本人の知らないところでビジネスが進行している事を後で知らされるのは気持ちの良いものではないが、怒っていたのが嘘のように、送られてきたCDを聴きながら和んだ。
 本当に書きたかったのは、これです。
 ビクターさん、バイク便で送ってくれてありがとう!
 明日15日のライブに間に合いましたよ。
 30年前の歌声と今を聞き比べてみるのも面白いですよ。
 19時開演です。酒飲んでまったりやります。
 ゲストの堀川りょうさんのフアンの方もお気軽にお越し下さい。
 皆さん、お待ちしています。

約束事の重要性

2006年12月14日 | Weblog
 感情にまかせて生きて来た。時には怒りをあらわに。
時には、些細な事に涙して。だが、信頼して全て任せた
約束を安易に反古にされる事ほど悲しい事はない。
二人だけなら我慢もしよう。そこに第三者がいて、僕に
苦情が来て、どうする事も出来ない時は本当に辛い。
出来ない約束は決してするべきではない。何度も繰り返
し、僕は彼を許してきた。しかし、お互いの為に、あえて
関係を断とうと思う。それが、第三者に対する僕の誠意だと
思うからだ。裸になって一から始めればいい。約束の大切さ
がきっと理解できるだろう。彼には全ての関係を断つという
事がわかっていない。お互いにどれほどの損害であるか、事が
終わってから気付くだろう。好事魔多しは、時として、命取り
になる。僕も甘えていた。甘えは心地良い。許し許され、傷を
舐め合い、進歩を止める。辛い日々が始まるだろう。しかし、
輝ける明日はすぐそこだ。書きたいことを書いた。何の意味が
あるのかと問われても答える事は出来ない。
 今日も、素敵な人達に沢山出会えた。書きたいのはそのこと
だったが、1日の終わりに全てが吹き飛んだ。また、眠れない
夜が続く。これを先人は「身から出た錆」という。有り難う。

日付けが変わって

2006年12月13日 | Weblog
 この1時間に如何なる意味があるというのだ。
大袈裟に言えば、大晦日と元旦のようなものか。
日本人、いや、人間は、時間の概念を設定した
ように、形を決めないと不安なのだ。
 十数年前、地方公演で宮崎を廻った時、「日向
時間」なるものに遭遇したことがある。
 日向市に入ったらあちこちに「日向時間をなくし
ましょう」の看板が目についた。その意味は数時
間後に判明した。六時の開場時間になっても観客
が現れないのだ。現地のスタッフは慌てる様子も
ない。心配して訊ねると「日向時間ですから」と、
申し訳なさそうに答えた。
1時間後、客席は満杯になって、無事に幕は上がっ
たのだが。
 日向を去る前に詳しい事情を聞いた。
 江戸時代、幕府からの隠密を見破るために、方言
に工夫を凝らした藩もあったが、日向は、何と、
約束の時間を1時間ずらすことで、敵を見破ったと
云うのだ。それが現代も慣習として残っているらしい。
 確かに、残りそうな慣習だ。約束に遅れても言い訳
になる。あれから、約束に遅れる人に「生まれは日向
ですか?」と、聞くようになってしまった。「はあ?」
と、訝しがられる度に、「いや、日向時間というのが」と、
説明している。しばしば待ち合わせに遅れるTに、日向
の生まれか?と、悪態をつく。彼は東京生まれで、時間の
観念が薄いだけなのだが。
 残念ながら、あれ以来、東京で日向の方には一度も
お会いしていない。
 時代は移ろって、人様に読んで頂く日記を書き始めて
早1年、少しは成長したのだろうか。
 2006年12月、日向時間が懐かしい僕がいる。

今日のうちに

2006年12月12日 | Weblog
 今日の日付けのうちに帰りついたので
パソコンに向かった。と、言っても残りは
20分。刻々と時は後ろへ流れて行く。
O氏と昼食を摂ってTから仕上がった企画
書を受け取り、赤坂見附でW氏と会い、そ
のあとF氏に企画書を渡す。O・F氏と脚本
の打ち合わせをして、、、これじゃ今日中に
間に合わない。いろいろあって、何とか今日
中に帰って、、、ひとまずアップします。

芸能ジャーナリストと貧乏作家

2006年12月11日 | Weblog
 日曜日というには慌ただしい一日だった。
12時、堀川さん、神津さんとライヴの打ち
合わせ。終わってスタジオで録音に入ろうと
したら、何と、スタジオの予約が先に入って
いる。で、喫茶店で打ち合わせの続き。
16時、ささやかな営業活動。
18時、芸能ジャーナリストW氏と新宿で
合流。今日は寄せ鍋を御馳走になる。
彼の人気ブログで、貧乏作家として度々登場
する僕は、業界で話題らしいと聞いて、痛し
痒しの心境だ。話題にされる事は劇団の宣伝
だと思えば良いが、貧乏作家というのはネタで
はなく本当だからなあ。同情するならライヴに
来てくれ!と、言っておいた。食事が終わって
喫茶店に誘った。W氏が携帯のカメラを構えた
ので、ブログに載せるのかと聞いたらそうだと
答えたので、コーヒー代も彼に払わせた。
自分から喫茶店に誘いながらひどい人だと、毒
吐かれたが、ごちそうさま、と、言って別れた。
ブログに何と書かれるか少し心配だが、今年は
ほとんど御馳走になっているので、我慢しよう。
一日に何万人も読むブログなんて想像がつかな
いが、皆さん、覗いてみますか?
タイトルは「渡邊裕二のギョウカイヘッドロック」
と、いいます。権力を傘の奴と曲がったことが
大嫌いの硬骨漢です。かといって、ただの堅物では
ない、何というか、変人です。僕はだいすきです。
そういえば、神津さんといい、数は少ないけど長い
長い付き合いの人はみんな変人だなあ。
こんな僕と付き合ってくれる事が、そもそも、変、
と、言うべきでしょう。
22時、スタジオに戻って録音開始。今、終わって
帰宅。ああ、やっぱり、翌日になっている。
 今週は、その日のうちに帰宅することを目標に
しよう。W氏は、僕の貧乏作家脱出作戦を本気で
考えてくれる稀有な人です。僕のブログなど決して
読まないだろうが、いつも文句を言いながら、心で
深く感謝していることを…、書いても仕方がないか。
 誠意はかたちで表さなくては伝わらないのだ。
明日も頑張ろう!    



男はいつからサンタになるのか?

2006年12月10日 | Weblog
 十数年前になるが、「テディベアとクリスマスイヴ」
という歌を書いたことがある。
 恋人が出来た女の子が、子供の頃父にプレゼント
されたテディベアとさよならする、何故なら彼と二人で
クリスマスイヴを過ごす事になったからだ。女の子の
気持ちになるというより、相手の男の子にとって、パパ
に貰ったぬいぐるみは抱いて寝て欲しくないだろう、と、
思って書いた。櫻井智が歌っているが、劇団のライヴで
も、若い子たちがよく歌う。今年もクリスマスライヴが
近づいて、稽古場でその歌が流れるようになった。
 パパの気持ちになれば、こんな悲しいクリスマスは
ないだろう。僕に娘がいたら、こんな残酷な歌は書け
なかったと思う。神津さん(作曲)は、どうなんだろう。
 で、サンタさんの話しだが、僕はいつからサンタに、
正確に言えば、いつからサンタを演じるようになったの
だろう。記憶を手繰ってみると、40年前、姪に買って
あげたぬいぐるみではないかと思う。と、すると、まだ
高校生だ。一般の男はどうなんだろう?子供が生まれて
からだろうか? 貰う側から、あげる側になるのは、
お年玉も一緒だ。何となく、大人に成った気分が味
合える。が、お年玉は、七福神に変身したりしない。
ほら、小父チャンからお年玉だよ。と、姉に軽く言われ
たりする。クリスマスプレゼントは、何と言ってもサンタ
クロースが運んでくる。どこか秘密めいている。貰った
姪も、何となく秘密めいて、耳元でそっと、アリガト…
と、囁いたりする。父親になって、ちょっと景気の良かった
年、息子の枕元に自転車を置いたことがある。自分が
貰う気分になって、胸が高鳴った記憶がある。
 今でも、きっと、25日の朝、枕元に欲しかったものが
置いてあったら、感動するだろう。サンタになるのも
嬉しい儀式には違いないが、僕は貰う方も嫌いではない。
 子供が親にプレゼントする儀式が何処かの国にあるかも
知れない。ああ、還暦ね、赤いちゃんちゃんこは、あまり
嬉しくない。今年も世界中のサンタと子供達に素敵な
思いでが出来ますように。

カレールー炊きこみ御飯

2006年12月09日 | Weblog
 朝未だ暗き午前5時、思い立って米を研ぐ。
映画どですかでん(監督黒沢明)の名優芥川
比呂志の鬼気迫る演技を思い浮かべないで
欲しいのだが、まあ似たような光景だろう。
 妖精の声がして「カレーのルー、いれてみた
ら?」そうだ、たまには冒険が必要だ。
 ぼくは、新米である事などすっかり忘れ、カレー
のルーを刻んで土鍋の米に振りかけ、火にかけた。
20分後、普通なら蒸しに入る時間なのに、ぐつぐつ
音がする。蓋を取ってみると、予想ではふっくらと
琥珀色に炊きあがっているはずの米がドライでもない
カレーライスとなって湯気を立てている。
これはもうラッキョウで食うしかない。10分程蒸して
皿に盛り、食してみた。僕は新米の神に、この冒涜を
深く詫びた。しかし、不味かったと言う訳ではない。
其れなりの味は出来ていた。妖精には☆2つ半あげよう。
 因みに、どですかでんの原作「季節のない町」の山本
周五郎先生は、僕の尊敬する作家です。山梨に行くと、
必ず「周五郎のヴァン」を買ってかえるのだが、僕のような
下戸には丁度良い、甘口のワインです。
 こんな甘ったるいワイン、周五郎の作風と全く違う、と、
怒る人もいるそうだが、観光名物に何とか無しだと思えば
いいんじゃあないかな。僕は、好きです。

とんかつ茶漬けに焼酎のコーヒー割り

2006年12月08日 | Weblog
 15時、「生きてますか?」と、Tの電話。
まるで子供じゃないか、と、説教される。
 続けて電話が鳴る。いずれも心配の電話。
愛されていることを実感しながら、反省する。
16時、友人M・A嬢と待ち合わせ。彼女は
同じ歳で感性が近い。今回は彼女が応援し
ている歌手の相談。マネージャーさんも参加
して、良い方向に向いたのではないかと思う。
他人の事だと、見えるんだよね。
 18時半、歌舞伎町で劇場物件の下見。
音楽監督の神津先生、Tに、プロデューサー
T氏も参加。180坪の申し分ない広さ。問題
は、防音設備。劇場設計の専門家を連れて
再度来訪する事に。
 20時、Tに紹介された「すずや」で、とんかつ
茶漬けを食す。偶然にも、歌舞伎町るねっさんすで
面識を得た早稲田大学院のSさんの実家で。
さすがに店には出ておられなかったが。
とんかつ茶漬けの味は、あっさりしていて、
なかなかのものだった。名古屋の櫃まぶしに
似て、三分の一ほどの残りを茶漬けで食べる。
 おかわり自由のキャベツが、良い味を出して
いる。御飯を2杯も食べてしまった。
 21時半、仕事が残っているというTと別れ、
神津先生と西口の「らんぷ」へ。
 いきつけの喫茶店だが、焼酎のコーヒー割り
があるので、先生に勧める。僕はなりゆきや
ムードで人に食事や飲み物を勧める悪い癖が
ある。驚いたり、喜んでくれる顔を見るのが
とても嬉しいのだ。反面、外れると、落胆も
大きい。人によっては迷惑な奴に違いない。
 で、焼酎のコーヒー割りだが、神津先生は
うん、と、頷いてくれた。わざとらしく感動して
くれるより、真実味がある、と、納得しよう。
 ライブの15曲、バンド譜を全部おこしていた
だくのだ。焼酎のコーヒー割りでお茶を濁しては
申し訳ない。日曜日に堀川りょうさんと音合わせ
する事にして別れた。
 珍しく今日のうちに帰宅したので、新鮮な気分
で書きました。沢山の方に読んで頂いているのに
勝手な事ばかり書いています。ごめんなさい。

輝ける日の為に

2006年12月08日 | Weblog
 死んだ方が楽ではないかと思うことも
あるでしょう。だけど、死んだら終わりだ
から、何とか生きてみましょう。
 悲しい人ばかりが見える時もあるでしょう。
だけど、何とか嬉しい人を探して生きて
みましょう。いつか来る輝ける日の為に、
身体が鈍らないように鍛えましょう。
脳が鈍らないように鍛えましょう。
そして、すこし、眠りましょう。
今日は素敵な人達に会えます様に。
 おやすみなさい。