面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

日付けが変わって

2006年12月13日 | Weblog
 この1時間に如何なる意味があるというのだ。
大袈裟に言えば、大晦日と元旦のようなものか。
日本人、いや、人間は、時間の概念を設定した
ように、形を決めないと不安なのだ。
 十数年前、地方公演で宮崎を廻った時、「日向
時間」なるものに遭遇したことがある。
 日向市に入ったらあちこちに「日向時間をなくし
ましょう」の看板が目についた。その意味は数時
間後に判明した。六時の開場時間になっても観客
が現れないのだ。現地のスタッフは慌てる様子も
ない。心配して訊ねると「日向時間ですから」と、
申し訳なさそうに答えた。
1時間後、客席は満杯になって、無事に幕は上がっ
たのだが。
 日向を去る前に詳しい事情を聞いた。
 江戸時代、幕府からの隠密を見破るために、方言
に工夫を凝らした藩もあったが、日向は、何と、
約束の時間を1時間ずらすことで、敵を見破ったと
云うのだ。それが現代も慣習として残っているらしい。
 確かに、残りそうな慣習だ。約束に遅れても言い訳
になる。あれから、約束に遅れる人に「生まれは日向
ですか?」と、聞くようになってしまった。「はあ?」
と、訝しがられる度に、「いや、日向時間というのが」と、
説明している。しばしば待ち合わせに遅れるTに、日向
の生まれか?と、悪態をつく。彼は東京生まれで、時間の
観念が薄いだけなのだが。
 残念ながら、あれ以来、東京で日向の方には一度も
お会いしていない。
 時代は移ろって、人様に読んで頂く日記を書き始めて
早1年、少しは成長したのだろうか。
 2006年12月、日向時間が懐かしい僕がいる。

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