面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

早朝の電話

2006年12月05日 | Weblog
 5時50分、知人から電話が。
受話器を取ったら、切れた。暫く待ったが
かかって来ないので折り返しかけた。
 3回のコールで、切れた。もう一度かけた
が、留守電になった。僕が起きていることは
知っているが、こんな時間に電話をかけてくる
ような人ではないので、気になる。なにもなけ
ればいいが…。予期せぬ電話で、昔のことを
思った。1958年、小学4年生の時、電話を
かける授業があった。男子が学校、女子が
村役場にいて、順番にでんわを掛け合うのだ。
当時好きな女子の名は、藤原英子さんといった。
 僕は頭文字が「あ」彼女は「ふ」相手が彼女に
ならないことは小学生でもわかるのに、わずかな
期待で胸が高鳴った。そのとき、「もしもし」が
「申す、申す」の変形であることを教えてもらい、
「もうす、もうす」と、いって、先生に叱られた。
もしもし、と、いうのが照れくさかったのだ。
 僕のほうがかける役で、黒光りのする受話器を
手にとり、ダイヤルを廻した。思った以上に指に
重かった。耳に当てた受話器の向こうで、呼び出し
音がきこえる。「もしもし?」女子の声だ。
僕は舞いあがって「もうすもうす?」と、言って
しまった。奇跡だった。僕の電話に出たのは、英子
ちゃんだったのだ。話した内容は他愛無いもので
忘れたが、彼女の澄んだ美しい声は、今も忘れない。
後で判ったことだが、女子は「あいうえお順」では
なく、かけたい人から自由にかけてよかったらしい。
藤原英子さんは女子のリーダーだった。相手が僕だと
知っていて彼女が出たのならロマンスだが、そうでは
なかった。1番に出たかっただけだと知って、すこし
胸が痛んだ。初恋にも届かない淡い思い出だが、いい
時代にのどかな田舎で生まれたことが、何となく嬉しい。

この流れに…

2006年12月05日 | Weblog
 気が付けば9時、の生活が続いている。
予定は13時過ぎから入れているので、
3時間は眠れる。今日は、16時に八丁堀
で会うT氏との打ち合わせが楽しみだった。
期待通り、楽しすぎてその後の待ち合わせ
に完全に遅刻しそうになったが、なんと、
新宿で待ち合わせたH氏が場所を間違えて
外苑前にいるとの連絡。19時、新宿に着く
と、裸月物語の素敵な感想を頂いたA先生
とばったり、挨拶を交わしているところへ、
H氏が到着。A先生と別れ、H氏と打ち合
わせに入る。月曜の19時は日舞のおさら
い日なのだが、ここのところ、欠席続きだ。
藤間先生のお顔が浮かぶ。22時、アトリエ
に戻って、15日のライブにゲスト出演して
くれる堀川りょうさんに渡す楽曲を録音。
付き合ってくれたSと深夜レストランで食事。
で、今、帰宅。なんだか、急流に流されている
気もするが、この流れに抗う意味も無いので、
しばらく流されてみようと思う。
 来年夏の新作もTの協力で完成に近づいた。
Aも、Sも、自分のことより僕のことを考えて
くれている。本当に、素敵な面々に囲まれて
生きているのだ。もっとみんなを大切にしなく
ては、と、強く思った。僕のスタッフは誰も
このブログを読んでいないだろうが、いつも、
怒鳴り散らしてばかりで御免!
 どうして、面と向かって素直に言えないんだろう…。