面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

新鮮な空気

2006年12月07日 | Weblog
 7時、ライブの案内状を書き終えてアトリエに。
待ち合わせたTと調布へ向かう。
 8時半、駅前のJで軽い朝食。
 9時半、バスで日活撮影所へ。
 10時、発表会開始。俳優科、声優科と、発表が
続く。19歳の少年少女達が、瞳を輝かせて、歌う、
踊る、パントマイムに全神経を集中させる。客席に
いて、ステージの波動が心地良く伝わってくる。
 12時半、個人面談。こちらが指名した6名の若者
と話しを交わした。学院側の対応も親切だった。
 間近に接すると、彼らが新鮮な空気に包まれている
のが良くわかる。まだ心も身体も瑞々しいのだ。
 僕も、身体はともかく、心だけは汚さないように生きて
きたつもりだが、目の前の青年たちには敵わない。
 虹を掴めるのは、今の気持ちのままで生きて行くことの
出来る者だけだ。頑張れ、と、心で応援して別れた。
 14時、日活の食堂で久々の昼食。ビーフカレーを
注文したが、その量を食べきれなかった。
 17時、外苑前のかわしまで、堀川りょう氏と合流。
さすがに今日はお汁粉は食べなかった。
 ライブで歌ってもらう楽曲のCDと歌詞を渡して打ち
合わせ。
 18時、S社のD社長と難航している懸案の打ち合わせ。
 19時、終わって、堀川氏と近くにある老舗のバー
「ラジオ」へ。二人とも次の約束があるので、さっと流す。
堀川氏の飲みっぷりは、神津先生に匹敵する。今度二人を
飲み比べさせよう。慌ただしく別れて、次の約束へ、と、
その相手のS氏から電話、長野から戻れないと,言う。
 21時、帰宅してライブ案内状の追加を書く。
 今週は、映画のシノプシスが2本、出版の企画書が
2本、金曜日は劇場の下見がある。劇団クリスマスライブ
の稽古も始まり、いよいよ師走らしくなって来た。
 眠らない夜を無駄に過ごさないようにしよう。
 そうだ、今朝、Tとこのブログの話しになり、小学時代
にロマンスにならなかったことを嘆いたら、
「人生初めての電話の相手が好きな女の子だなんて、
素敵な話じゃないですか」と、慰められた。
 Tの言う通りだ。彼の限りないポジティブな思考に
ずっと助けられているような気がする。
 Tもまだ、空気が若い。

オーディションの季節

2006年12月06日 | Weblog
 今日は朝から、調布の日活芸術学院に
卒業オーディションに行って来ます。
 専門学校の卒業公演も、次々と始まり
ます。朝倉薫演劇団も来年は15周年、
研究予科生も第15期生になります。
今年は東京だけでなく、全国の専門学校
を廻る予定です。どんな巡り会いが待って
いるか、今から楽しみです。
 その前に、ライブの稽古をしないと、
バンドのメンバーに迷惑をかけてしまう。
あの「江古田スケッチ」から28年、よく
細々と続けてきたものです。
 このブログを読んでくれているあなた、
是非とも、お越し下さいね。12月15日
金曜日ですよ。予約は03-5330-5331
まで。宣伝でした。

早朝の電話

2006年12月05日 | Weblog
 5時50分、知人から電話が。
受話器を取ったら、切れた。暫く待ったが
かかって来ないので折り返しかけた。
 3回のコールで、切れた。もう一度かけた
が、留守電になった。僕が起きていることは
知っているが、こんな時間に電話をかけてくる
ような人ではないので、気になる。なにもなけ
ればいいが…。予期せぬ電話で、昔のことを
思った。1958年、小学4年生の時、電話を
かける授業があった。男子が学校、女子が
村役場にいて、順番にでんわを掛け合うのだ。
当時好きな女子の名は、藤原英子さんといった。
 僕は頭文字が「あ」彼女は「ふ」相手が彼女に
ならないことは小学生でもわかるのに、わずかな
期待で胸が高鳴った。そのとき、「もしもし」が
「申す、申す」の変形であることを教えてもらい、
「もうす、もうす」と、いって、先生に叱られた。
もしもし、と、いうのが照れくさかったのだ。
 僕のほうがかける役で、黒光りのする受話器を
手にとり、ダイヤルを廻した。思った以上に指に
重かった。耳に当てた受話器の向こうで、呼び出し
音がきこえる。「もしもし?」女子の声だ。
僕は舞いあがって「もうすもうす?」と、言って
しまった。奇跡だった。僕の電話に出たのは、英子
ちゃんだったのだ。話した内容は他愛無いもので
忘れたが、彼女の澄んだ美しい声は、今も忘れない。
後で判ったことだが、女子は「あいうえお順」では
なく、かけたい人から自由にかけてよかったらしい。
藤原英子さんは女子のリーダーだった。相手が僕だと
知っていて彼女が出たのならロマンスだが、そうでは
なかった。1番に出たかっただけだと知って、すこし
胸が痛んだ。初恋にも届かない淡い思い出だが、いい
時代にのどかな田舎で生まれたことが、何となく嬉しい。

この流れに…

2006年12月05日 | Weblog
 気が付けば9時、の生活が続いている。
予定は13時過ぎから入れているので、
3時間は眠れる。今日は、16時に八丁堀
で会うT氏との打ち合わせが楽しみだった。
期待通り、楽しすぎてその後の待ち合わせ
に完全に遅刻しそうになったが、なんと、
新宿で待ち合わせたH氏が場所を間違えて
外苑前にいるとの連絡。19時、新宿に着く
と、裸月物語の素敵な感想を頂いたA先生
とばったり、挨拶を交わしているところへ、
H氏が到着。A先生と別れ、H氏と打ち合
わせに入る。月曜の19時は日舞のおさら
い日なのだが、ここのところ、欠席続きだ。
藤間先生のお顔が浮かぶ。22時、アトリエ
に戻って、15日のライブにゲスト出演して
くれる堀川りょうさんに渡す楽曲を録音。
付き合ってくれたSと深夜レストランで食事。
で、今、帰宅。なんだか、急流に流されている
気もするが、この流れに抗う意味も無いので、
しばらく流されてみようと思う。
 来年夏の新作もTの協力で完成に近づいた。
Aも、Sも、自分のことより僕のことを考えて
くれている。本当に、素敵な面々に囲まれて
生きているのだ。もっとみんなを大切にしなく
ては、と、強く思った。僕のスタッフは誰も
このブログを読んでいないだろうが、いつも、
怒鳴り散らしてばかりで御免!
 どうして、面と向かって素直に言えないんだろう…。

蟹汁

2006年12月04日 | Weblog
 Hのことが念頭にあった訳ではないが、
蟹汁を作った。勿論Hに電話した。
 劇団のHはとにかく蟹が大好物で、3日
続けて蟹を付き合ったこともある。
 御飯が炊きあがる頃、Hが自転車でやって
きた。渡蟹のぶつ切りに、白菜やほうれん草
などの野菜を大量にいれ味噌で味をつけた。
 料理酒のかわりに林檎酢入り梅酒を入れて
みたら、全体に味が柔らかくなったようだ。
 Hとふたり、土鍋で炊いた新米はうまいなあ
と、頷き会いながら、蟹汁を頬張った。
 話しは変わりますが、15日の僕のライブ、
是非ともお越し下さい。朝倉薫年末救済ライブで
御座います。
 なにしろバンドは一流、ゲストも一流で、僕も
安心です。お互いに、この1年を労い合いましょう。
 来年は更なる飛躍の年になりますよう。って、まだ
年の瀬ではありませんが、除夜の鐘まで頑張りましょう。

ハンク・ウイリアムスの思い出

2006年12月03日 | Weblog
 昼の12時、携帯のメール着信音に
起こされた。9時にベッドにもぐり込ん
だので3時間は眠ったことになる。
 開くと、劇団のS嬢から、今から片付
け手伝いに来るとの伝言。
 だらしない事が大嫌いなS嬢、我慢が
出来なくなったらしい。ありがたいことだ。
 S嬢は大学の卒論に,劇団女優、それ
に加えて何かプロジェクトのトップもやって
いるのに、だらしない劇団主宰がブログで
グズグズ言っているのが許せないのだ。
 慎重と大胆が同居する、なかなかの人物
である。いや、片づけを手伝ってもらうから
褒めているのではない。きっと将来経営に
手腕を発揮されるはずだ。
 S嬢差し入れのたこ焼きを頂いていると、
見る間に部屋が片付いてゆく。魔法だ。僕
の1ヶ月は、彼女の二時間だった。
 頃合いを見計らったようにW氏から電話。
例によって一方的に待ち合わせの約束。
 S嬢に夕食でも御馳走しようと思っていた
のだが、残念である。だが、彼女は若い女性
には珍しい倹約家でいつも僕の懐を心配して
くれ、嫌な顔ひとつしない。
 本当に出来た女性である。と、感心していると、
何と、彼女は仕上がった卒論を見て欲しくて
来たらしい。片付けはついでだったのだ。
 だが、結果として部屋が片付いたのだから、
僕は満足だ。S嬢には、御免ね。その代わり、
 彼女のお父上も何度もアトリエにおこしいた
だいていているので、ハンク・ウイリアムスの
アルバムをお礼にお貸しする事にした。彼女の
手伝いの御礼に、とは、S嬢納得しかねる様子
だったが、重い全集を持たせた。
 新宿でW氏と18時に会いS嬢と別れた。
伊吹でしゃぶしゃぶを御馳走になり、映画や
劇場の話しで盛りあがって、歌舞伎町をぶらついた。
 1960年代、高校生の僕は、新宿で迷子になり、
今は無い東口の広場で3日程野宿したことがあった。
夏休みに、ある届け物を頼まれて、熊本から新宿へ
遣って来た僕は、見るもの皆珍しい都会に魅了され、
大切な届け物を渡す相手の住所電話のメモを落として
しまったのだ。
 僕の師事するウエスタンバンドのバンマスがいち早く
基地を通じて手に入れたアメリカの最新ヒット曲の
譜面を、東京に進出したバンドのリーダーに渡すのが
僕の役目だった。3日めに、歌舞伎町のクラブに出演中
のその方に会えた僕は泣いてしまった記憶がある。
 歌舞伎町は当時と変わってしまったが、懐かしい記憶は
いつまでも心の地図にある。ハンク・ウイリアムスは、僕に
人生を歌うことを教えてくれたカントリーウエスタンの大御所
だ。彼の息子が確か僕と同じ歳だったことも何故か嬉しかった。
 目的を果たして帰った水前寺の、師のアパートで頂いた
レモン水の味は、積乱雲の季節が来れば、40年の時を越えて、
目を閉じただけで甦る。いちごちゃんはお元気だろうか…。
 素敵な人達に巡り会えて、ここまで生きて来た。
 

久々の料理

2006年12月02日 | Weblog
 ここまで引っ張ると全部片付け終わるのが
惜しくなる。などと言って今日も一日書斎の
整理。ワープロで清書してパソコンに取り込
んであるから、生原稿は捨てても良いのだが
捨てられずに溜まる一方だ。部屋が片付くと
久々に料理を作りたくなった。ひとりだと味気
ないので、例によってTを誘って時間を決めた。
 18時半に買い出しに出て、19時半料理開始
21時Tの到着と同じに完了。煮物は大根、人参
蒟蒻、薩摩揚げに厚揚げ、と、シンプルに。
鰯を紫蘇で巻いたフライに、油を強く加熱した
フライパンでさっと焼いた卵焼き、これは、かなり
の技が必要だ。中身ふんわり外からリと仕上がっ
たら最高の食感が味合える。今日は90点か。
 米は栃木産のこしひかり、新米の旨い季節は
いいなあ。味噌汁も木綿豆腐に油揚げ、鰹出汁
を多めにとる。もう20分程米を蒸らしたかったが
Tが来たので、始める事にした。
 食事が終わってお茶を飲みながら、来年立ち上
げる予定の新作の話しになり、議論が白熱し、こ
れも久々に大声で怒鳴り合った。しかし、Tも大人
に成ったものだ。昔は壁に拳で穴を開けられた事も
あった。他人の事を言えたものではない。僕はもっと
ひどかった。彼が冷静なので血の雨が降らずに済んで
いるのだ。激論は良い。新しい何かが生まれる。
お互いに気を使ってばかりいたら、温い仕事になって
しまう。まあ、相手にもよる事だが、情熱とは、字の
如くだ。火傷を恐れては燃え滾るものは掴めない。僕は
Tの激情も自分の激昂も認める。自分を認めるのは、
どうだろう?自画自讃か?いずれにしても、おかげで?
僕はデザートを食べ損ねた。

ふたりのおとこに会った話

2006年12月01日 | Weblog
 一人目のおとこは松山千春。
デビュー30周年記念コンサート・ツアー
2006(東京国際フォーラムホールA)に
行ってきた。夏のコンサート・ツアーも、素
晴らしかったが、さらに凄みを増したステー
ジを堪能させて貰った。日本一のフォーク
歌手であり、超一流のエンターティナーだ。
 仕事をしたから褒めているのではない。
30年も歌いつづけて変節せず、あらゆる事
に筋を通し続けるおとこだ。彼がステージから
言う、「今の世の中がおかしいなら、それは
俺達大人の責任だ。だから、何とかしよう」と。
30年前は、筍のようにいたフォークシンガー
達が標語の様に叫んでいた「俺達が時代を変え
よう」を、松山千春以外の誰が叫びつづけて
いるだろうか。胸に響く。僕もこと芝居には
命を賭けている。だが、フォークソングに命を
賭ける松山千春にはまだ遠く及ばない。彼の
30周年に比べて15周年は半分だ。夏の握手
の倍、思いを込めて手を握り返して別れた。
 その足で、品川で待つインドネシア帰りの
友人の所へ駈けつけた。
 ふたりめのおとこS・Kである。
インドネシアで災害復旧支援の興業を打ってき
たばかりだ。興業は大成功なのに彼だけが大損
をしたらしい。Sらしい失敗談を聞いて、僕は
自分の失敗を重ね思った。
「僕なら愚痴の一つもこぼして、Tに叱られている」
と、言うと、Sはじっと僕の目を見て
「知っていますか、愚痴という字を」
頷くと、「愚か者の病気です」と、笑った。
 僕は恥ずかしかった。この数年、何かを忘れて
いた。愚か者の僕は、病を治して皆に謝ろう。
 悲しい人は誰でもない、この僕なのだ。