面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

ハンク・ウイリアムスの思い出

2006年12月03日 | Weblog
 昼の12時、携帯のメール着信音に
起こされた。9時にベッドにもぐり込ん
だので3時間は眠ったことになる。
 開くと、劇団のS嬢から、今から片付
け手伝いに来るとの伝言。
 だらしない事が大嫌いなS嬢、我慢が
出来なくなったらしい。ありがたいことだ。
 S嬢は大学の卒論に,劇団女優、それ
に加えて何かプロジェクトのトップもやって
いるのに、だらしない劇団主宰がブログで
グズグズ言っているのが許せないのだ。
 慎重と大胆が同居する、なかなかの人物
である。いや、片づけを手伝ってもらうから
褒めているのではない。きっと将来経営に
手腕を発揮されるはずだ。
 S嬢差し入れのたこ焼きを頂いていると、
見る間に部屋が片付いてゆく。魔法だ。僕
の1ヶ月は、彼女の二時間だった。
 頃合いを見計らったようにW氏から電話。
例によって一方的に待ち合わせの約束。
 S嬢に夕食でも御馳走しようと思っていた
のだが、残念である。だが、彼女は若い女性
には珍しい倹約家でいつも僕の懐を心配して
くれ、嫌な顔ひとつしない。
 本当に出来た女性である。と、感心していると、
何と、彼女は仕上がった卒論を見て欲しくて
来たらしい。片付けはついでだったのだ。
 だが、結果として部屋が片付いたのだから、
僕は満足だ。S嬢には、御免ね。その代わり、
 彼女のお父上も何度もアトリエにおこしいた
だいていているので、ハンク・ウイリアムスの
アルバムをお礼にお貸しする事にした。彼女の
手伝いの御礼に、とは、S嬢納得しかねる様子
だったが、重い全集を持たせた。
 新宿でW氏と18時に会いS嬢と別れた。
伊吹でしゃぶしゃぶを御馳走になり、映画や
劇場の話しで盛りあがって、歌舞伎町をぶらついた。
 1960年代、高校生の僕は、新宿で迷子になり、
今は無い東口の広場で3日程野宿したことがあった。
夏休みに、ある届け物を頼まれて、熊本から新宿へ
遣って来た僕は、見るもの皆珍しい都会に魅了され、
大切な届け物を渡す相手の住所電話のメモを落として
しまったのだ。
 僕の師事するウエスタンバンドのバンマスがいち早く
基地を通じて手に入れたアメリカの最新ヒット曲の
譜面を、東京に進出したバンドのリーダーに渡すのが
僕の役目だった。3日めに、歌舞伎町のクラブに出演中
のその方に会えた僕は泣いてしまった記憶がある。
 歌舞伎町は当時と変わってしまったが、懐かしい記憶は
いつまでも心の地図にある。ハンク・ウイリアムスは、僕に
人生を歌うことを教えてくれたカントリーウエスタンの大御所
だ。彼の息子が確か僕と同じ歳だったことも何故か嬉しかった。
 目的を果たして帰った水前寺の、師のアパートで頂いた
レモン水の味は、積乱雲の季節が来れば、40年の時を越えて、
目を閉じただけで甦る。いちごちゃんはお元気だろうか…。
 素敵な人達に巡り会えて、ここまで生きて来た。