と、飛び出すつもりが、気付いたらベッドに倒れていた。30分以上の空白。頭痛と吐き気を抑えて、電話で待ち合わせを明日に変えてもらった。近年、酒の席が億劫になった。バスタブに湯を張って沈もう。少しは首の痛みもやわらぐだろう。しかし、意識が途切れた時はほとんど夢を見たことがない。眠るのと意識が飛ぶのは、脳の仕組みが別なのだろうか。その間の時間が空白になるだけだ。一種の仮死状態になるのかも知れない。だが、以前病院で危篤状態になったとき、僕は三途の川を渡りかけたことがある。無神論者の方は、この先は戯言として聞き流していただきたい。
鮮明に覚えているが、真っ赤なスポーツカーで実家の墓地に行き、納骨堂の地下から母と地獄へ向かった。通すまいとする鬼を拾った刀で何匹も斬った。鬼の血は緑色で、浴びた返り血は吐き気がするほど異様な匂いがした。いつの間にか母の姿はなく、僕の目の前には鏡を張ったように澄んだ川が流れていた。赤い橋のたもとに下りて、僕は身体にこびりついた汚れを洗おうとした。「洗ってはいけない!」すぐ引き返して!」知らない少女が向こう岸から叫んだ。
埼玉の和田病院の一室で母が泣きながら僕を呼ぶ声に目を開けたのは、1971年の9月のことだった。30数年も昔のことだ。その後、何度も死ぬ目に遭ったが、あれほど鮮明な三途の川を見たことは一度もない。最近は特に空白が多い。やはり、最期は「無」になって終わるのだろうか。いや、僕は「想い」となって宇宙の彼方へ飛び去りたい。未練がましくウロウロしたくはない。それもこれも、今の生き様にかかっているように思うのだが、いかがだろうか…。
鮮明に覚えているが、真っ赤なスポーツカーで実家の墓地に行き、納骨堂の地下から母と地獄へ向かった。通すまいとする鬼を拾った刀で何匹も斬った。鬼の血は緑色で、浴びた返り血は吐き気がするほど異様な匂いがした。いつの間にか母の姿はなく、僕の目の前には鏡を張ったように澄んだ川が流れていた。赤い橋のたもとに下りて、僕は身体にこびりついた汚れを洗おうとした。「洗ってはいけない!」すぐ引き返して!」知らない少女が向こう岸から叫んだ。
埼玉の和田病院の一室で母が泣きながら僕を呼ぶ声に目を開けたのは、1971年の9月のことだった。30数年も昔のことだ。その後、何度も死ぬ目に遭ったが、あれほど鮮明な三途の川を見たことは一度もない。最近は特に空白が多い。やはり、最期は「無」になって終わるのだろうか。いや、僕は「想い」となって宇宙の彼方へ飛び去りたい。未練がましくウロウロしたくはない。それもこれも、今の生き様にかかっているように思うのだが、いかがだろうか…。