面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

タイムマシーンの操り方

2008年08月22日 | Weblog
 7歳で文学というタイムマシーンの存在を知り、17歳で簡単に手に入れた。ところが、僕はその操り方も性能も知らなかった。何度も挑戦しては挫折した。見た目には簡単だった。紙と鉛筆があればすぐにでも操行出来そうだった。ワープロがあれば、文字は音符のように画面に躍った。高名な作家の文章読本を読めばすぐにでも同様の文章が書けそうだった。しかし、文学というタイムマシーンは、とてつもなく複雑で、難しい操作が必要だった。なめてかかった僕は、操作技術を覚えるのに30年を要した。

 笑い話にもならないが、ようやく運転できる自信がついたとき、僕は60歳になっていた。しかし、まだまだ油断は禁物だ。トラブルは不適な笑顔で僕を待ち受けている。精神と肉体の何れかが滅びるとき、タイムマシーンの操作は不可能になる。今、午後の激しい驟雨と落雷に鼓舞されて、湧き上がる焔が夢想を駆り立てる。滅びないものがあるとすれば、それは「思考」以外にない。タイムマシーンは、ゆっくりと作動し始めた。目の前に「思考」の海が広がっている。胡蝶の夢に似た幻覚と目眩のなかで、時の過ぎ行く音が聞こえる。

夜明けの雨

2008年08月22日 | Weblog
 まだ明けやらぬ薄闇の中、雨の音に目覚めた。時計を見ると6時を5分回っていた。ベッドに入ったのは4時過ぎだったので、2時間ばかり眠ったことになる。   
 夏がゆっくりと雨に流されてゆく。庭にトンボが舞い始めた。九州熊本の山村に秋へのカウントダウンが始まった。

 夢の中では岩に砕ける急流の水音が、軒を叩く雨音に変わって目覚めた。夢からの帰還に雨が絡むと、夜明け前であれば尚更、目覚めた後の物悲しさが慕る。忘れられない夢が幾つもある。夢は夢に過ぎないが、されど夢である。
 
 今日は一日机に向かう。珈琲はすでに5杯目。居間では父がオリンピックの野球を中継するテレビに見入っている。これから一雨毎に涼しくなると、朝、独り言を言っていた。それにしても何と几帳面な人なのだろう。朝、昼、晩と、食事の後に必ず血圧を測り、その結果をノートにびっしり記している。僕も気まぐれに計測してみた。上が127、下が74だった。少し低いな、と、父に言われた。その父の今朝の血圧は137、54であった。94歳である。何もいうことはない。