面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

夢魔の通り道

2008年08月20日 | Weblog
 処分しようと思って東京から送った古い書簡や名刺の束をダンボールから出してみれば、名刺は千枚を軽く超え、懐かしい名前が記憶の底からよみがえる。書簡は更に親しかった人の顔が浮かび、到底捨てられるものではない。しかも、僕の出した手紙は、どんなに恥ずかしかろうと相手の元にある。処分してくれていない限り、残っているのだ。

 「1979年欧州旅行」と題したアルバムが出てきた。北周りでフランクフルトに着いて、ひと夏欧州を巡った旅のアルバムだ。あの時、あの場所、あの人は、もう記憶の中にしか存在しない。守れなかった約束、大切に出来なかったふれあい、長い年月を経てもなお、悔いは残る。ベネッツアの海風、マルセイユの夕陽、ネグレスコホテルのドアボーイ、思い出せないものは何もないから尚更だ。平気で他人を傷つける毒舌を吐くくせに、他人に言われた些細な言葉は今も鮮明に覚えている。スイス国境の小さな村の親父が言った。「君の親父さんは鉄砲を磨いているかい?今度やるときゃイタ公抜きでやろう」冗談には聞こえなかった。あれから29年、あの親父は今でも銃を磨いているのだろうか。64年前の夏、鹿児島の海に銃を投げ捨てた父は、94歳の今も、僕には何も語ってはくれない。誰も人生を引き返せないのだ。しかし、立ち止まって考えることは出来る。今はその時かも知れない。

 右の前足と左の後ろ足を血の滲んだ包帯で巻いた黒い犬が、悲しげな鳴き声で僕に近づいて来た。抱き上げるとブルブル震えていた。生暖かい犬の腹を撫でると胸が詰まって涙が溢れ出た。疲れて応接間のソファーでウトウトしたわずか数分の夢だった。遠くで銃声がしていた。蝉時雨が、夢をかき消した。ソファーを掴んだ手に生暖かい感触が残っていた。

 

爽やかすぎて

2008年08月20日 | Weblog
 珈琲のおかげで原稿が進んだ。しかし、どんなに夜更かししても、朝の7時には目覚めてしまう。すっかり田舎の空気に馴染んだのか、冷気をたっぷり含んだ風と部屋中に射しこむ陽射しが、休むことを知らない蝉の大合唱が、晴れがましい朝の訪れが、たった今眠りについたばかりの僕を起こしてしまうのだ。午前中は机に向かっても、まだ仕事にならない。PCのメールをチェックしたり、返事を書いたり、うだうだと時間が過ぎる。今日は一日、書簡類の整理と原稿書きの予定でいたが、来訪者があるようだ。訪ねて来てくれる人を断るほど偏屈ではない。こんな無冠の僕に会ってくださるだけでありがたい。昨日の新聞社でも、そのありがたさに感動した。

 当たり前のことだが、人は独りで生きて行くことが難しい。感動、悲しみ、胸の思いを分かち合える人の存在は大きい。このブログも、読んでくださる方の感想が届くと嬉しくなる。ミュージカル作りがたまらなく楽しいのは、僕の作詞に作曲家神津裕之先生の曲が付き、俳優陣が心をこめて歌い、照明、音響、装置、衣装、舞台の袖に待機するスタッフが息を凝らしてアクシデントに備える、そのすべての人たちの想いがひとつになったときの充実感と、それが客席に伝わったときの感動を味わえるからだ。

 今はその第1歩、脚本書きである。「幕末歌謡塾」は、音楽が命より好きな人たちの物語である。坂本竜馬が褒める。「刀を振り回して政治を語る輩より、歌に命を賭けるおんしらの方が、ずうっとフリーじゃ。真のリボリューションはおんしらがやっとるのかも知れんがや」
 主人公はただロックが歌いたいだけの少女、そして僕は、ただその物語を書きたいだけだ。11月27日初日を迎える野方区民ホール公演「幕末歌謡塾」、今月いっぱい出演者を募集しています。一緒にミュージカル作りを楽しみませんか?!
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