面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

僕の手料理

2008年08月18日 | Weblog
 60歳にして、94歳の父に手料理を振る舞う時間がくるとは夢にも思わなかったが、人生は夢にも思わぬことの連続である。何事も素直に従うべしと、今日は、先方から予定を変更されたので、父に夕餉を作ることにした。

 さて、何を作ろうかと台所に行くと、テーブルに冷蔵庫に、新鮮な野菜類が山のようにあるではないか。そういえば近所は親戚ばかり、昨日も従兄弟の嫁さんがもぎたての桃を持ってきてくれていた。父はあちらこちらから野菜や果物を貰うらしい。冷蔵庫をのぞくと、キャベツや葡萄が腐りかけていた。

 新鮮なナス、ピーマン、ゴウヤで味噌炒めを作ることにした。量を手加減しないと残って腐らす羽目になるので、ピーマンは2個、ナスとゴウヤは半分を刻んだ。フライパンにサラダ油を少なめに張り、鳥の脂身を刻んで入れ、野菜を入れて炒める。塩少々、砂糖は多め、田舎味噌を料理酒で溶いて更に炒める。豆腐があれば砕いて混ぜるのだが、今日はシンプルな野菜の味噌炒めである。

 冷蔵庫に、昨夜遅く泊まりに来た義兄のYが法事で頂いたという鯛のお頭があったので、味噌汁は鯛のお頭にした。きゅうりの塩もみは得意技なのであっさり。頂いた料理の中に鮎の塩焼きもあったので、暖めてテーブルに並べると、華やかになった。壱岐の黒海苔、揚げ物、かぼちゃの煮物、もらい物ばかりで、結局、僕が作ったのは、野菜の味噌炒めと鯛の味噌汁、きゅうりの塩もみだけだったが、父が喜んで食べてくれたので良しとしよう。

 こちらへ来てから、夜明け前に布団に入ると、朝7時に、朝食の用意をした父に起こされる。これが健康的かどうかはわからぬが、94歳の父に放っておいてくれとは言い難い。只今21時、父はすでに自室で寝ている。友人が訪ねてくると言ったが、夜半過ぎになるらしい。原稿を書きながら待つことにする。

努力する才能

2008年08月18日 | Weblog
 新聞のスポーツ欄は今オリンピック一色である。紙面は華やかなメダル記事にいろどられているが、記事の片隅に珠玉の言葉が見つかったりする。水泳で史上初の金メダル8冠を獲得したマイケル・フェルプス選手のインタビュー記事が心に残った。「今までつらい練習を積んできた。でも、コーチに言われたんだ。練習は銀行にお金を預けるみたいなものだって」若干23歳のアメリカ青年である。何と素直なのだろうと感動した。

 同紙の五輪評論ページで、作家の高村薫氏が選手のモチベーションについて書かれている。決戦に弱い日本選手には、他国のような莫大な報奨金もなく、国家の為といった教育も受けておらず、精神力を高く保てるものがない。五輪の時だけ求めるのは酷ではないか、とも書かれている。が、僕は、柔道金メダリストの石井選手のインタビューでも、フェルプス選手と同じ素直さを感じた。彼は、今何をしたいかとの問いに、練習と答え、五輪の重圧などコーチの叱咤に比べたら屁のツッパリにもならないと、失笑をかった。だが、僕はその素直さに感動した。国家や組織を超えて、個人の資質でしか、モチベーションは保てないのではないか、素質、努力、精神力、4年に一度のスポーツの祭典で繰り返される悲喜劇は、並みのドラマでは太刀打ち出来ないものがある。

 自分の身に照らしてみれば、劇団、仲間、応援してくださる方々なくしてモチベーションは保てないように思える。「そんなに劇団が大事か」と、友人に呆れられるが、命より大切かも知れない。僕の留守中東京で頑張っている仲間を思えば、九州営業の旅もつらくはない。この旅、この試練が、「銀行にお金を預けるみたいなもの」であるよう頑張りたい。