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“小娘”に教えられる親子の情愛

2005-01-15 01:28:26 | Weblog
 昨日、宅急便が届いた。母からパートナーに宛てたものだ。前日、不在票を見て眼を輝かしていたから帰って来てそれをみたら喜ぶだろうと思っていた。普段からそれがたとえ封書でも葉書でも私の母からの物には異常に反応するからだ。16日が彼女の誕生日だから中身の察しは大体ついていた。
 夜、駅で待ち合わせて帰宅したが、彼女は私の顔を見るなり届け物を受け取ってくれたかと聞いた。確認すると急ぎ足で家に戻った(お陰で駅前の喫茶店の前に止めていた自転車を忘れてきてしまった)。そして、家に帰るなり小包に飛びついた。小包を解く手が寒さでかじかんで上手く開けられぬと私に開けるようせがんだ。
 中からアクセサリーと手紙、それに数センチ四方の何か小さな四角い紙包みが出てきた。私は近くにあるコンピューターに向かい、メールのチェックをしていた。すると、奥から嗚咽が漏れてきた。覗き込むと、手紙を手にして彼女が泣いていた。涙をぼろぼろ流しながら送られてきたネックレスを胸に当てて私に似合うかと聞く。見ればそんな高価ではないネックレスだ。もっとも母は退職して年金生活だ。そんなに高いものが買えるはずはない。精一杯の買物をしてくれたのだろう。
 さらに、小さな四角い紙包みを開けると、彼女の頬は涙で洪水になった。母が自分で折ったのだろう、ちょいと角が不揃いの小さな紙箱に二つ金平糖がちょこんと入っていた。紙箱の表には「直ちゃん」と書いてあり、それが嬉しいと言う。私宛のモノにも「久仁臣」と記されている。子がいくつになろうと母にとっては、子供なのだ。
 こんな優しい母の「顔」は生まれてこのかた見た事がない。これもパートナーの心根の優しさに触発されたのだろう。私の子供の頃には「鬼」のように見えた母の顔も今では余裕のある表情だ。私とパートナーが「親子の年の差カップル」ということで、彼女がかわいそうだと最初は猛反対をした母だが、今ではすっかりパートナーの優しさの虜だ。一方、パートナーも母が大好きなようで、俳句の添削をしてもらったりしている。
 私はこの歳になって、それこそ“小娘”に親子の情愛に初めて触れさせてもらった気がする。ホント、私のような人間はいくつになっても教えられることばかりだ。