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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

雪国 無口な人々

2005-01-11 11:01:07 | Weblog
 国境の長いトンネルを抜ける前から雪国であった。朝の天井も、どこもかしこも白くなっていた。信号所に電車が止まった。そして、ずっと止まったまま動かなくなった。

 小説「雪国」をパロって書いたら、「ノーベル賞作家を馬鹿にするのか」と文学ファンから叱られそうだが、そう、乗った電車が積雪で動かなくなってしまったのだ。

 1月9日、新潟中越地震の被災者の聞き取り調査に出かけようと、朝一番の電車に乗り小千谷市に向かったのだが、ナント3駅前の小出駅で止まってしまった。1時間が過ぎても動き出す気配はない。「運行の見通しが立たない」と乗務員が言うから安心して“朝のお勤め”に駅のトイレに行った。“すっきり気分”で電車に戻ろうと改札口にさしかかると、乗客が目の色を変えてこちらに殺到してきた。駅員に何ゴトかと問うと、電車は動かせる見込みが立たないので代行バスを出すことにしたと言う。

 私も駆け足で電車の座席に戻ると、同行したパートナーが不安そうにしていた。聞くと、数分前に車内アナウンスで「代行バスを手配している」と知らせたものの「乗務員が手配できていない」と言っていたのですぐに移動することはないだろうと高をくくっていたら、すぐに「バスが来た」と告げたそうだ。
 
 荷物を取って我々もバスに乗ると、2台のバスはすでに乗客でいっぱい。座るどころではない状況だ。車に弱いパートナーの事が心配になったが、他に方法はないからバスのほぼ中ほどで立ったまま出発を待った。急がせたわりにはすぐに出発をせず、10分以上もそのままの状態が続いた。排気ガスが車内に入ってくるため、気分が悪くなってきた。

 バスは何の案内もないまま出発した。外は雪景色どころか、窓ガラスが曇っていて何も見えない。そう、まさに雪中行軍だ。パートナーが不調を訴えるが、何とかがんばれると言うのでそのまま乗車を続けた。他にも1人、30代の男性が腹を抑えてしゃがみこむ。大丈夫かと声をかけると変な反応をされたのでそのまま放置した。3,40分走っただろうか、バスが止まった。数人の乗客が降りた。乗客の会話から川口駅だと知ったが、バスの運転士からは案内がない。

 それまでの対応の悪さもあり、私は前に進み出て停車地の案内を車内でして欲しいと頼んだ。すると、自分は急に狩り出されて運転しているからそんなこと言われても車内放送の使い方も知らないし、できないと言う。いや、少し大きい声で後ろに伝えてくれるだけでいいと言うと、そんな声出せないとまるでやる気なし。周りの地元の客に同意を求めながらニヤニヤ対応する運転士に腹が立ったが私を応援する声もなく「駅名だけでいいから」と言い残して引き下がった。私の背中に「『次は小千谷に止まります。小千谷を出発します』とでも言えばいいんだろう」と茶化す客の声が聞こえた。

 小千谷駅に着いても車内アナウンスはなかった。もうこれ以上運転士にとやかく言ってもだめであろうと、バスを迎えた駅員に苦情を訴えたがこれまた無反応。

 調査を進める間に帰りの電車が心配になり、何度も小千谷駅に状況を問い合わせた。調査を終えて駅に戻ると、結局、昼から1本の列車も動いておらず、運転再開の見通しは全く立たぬという。翌日も調査を続けたかったが、小千谷に営業している宿はないとのことなので、ひとまず越後湯沢まで出た方が賢明と判断していた。

 駅員とのやり取りを聞いていた自称鉄道マニアの男性が我々に話しかけてきた。
「バスで十日町まで行ってそこからほくほく線に乗れば越後湯沢に行けますよ」と言うのだ。
 風貌的には少々胡散臭さがないとはいえなかったが、話の内容からして嘘はないと判断して、ありがたくその情報をいただいた。

 バスと電車の乗り継ぎも上手くいき、小千谷を出て約2時間後、我々は越後湯沢に着いた。「さすが、鉄道マニア」と、マニアの情報網に敬意に近いものを抱き、上手く脱出できた満足感も加わり、我々は軽い足取りで改札口を出た。その時背後から構内放送が聞こえてきた。「遅れていました上越線上り列車水上行きが間もなく到着します」。う~、聞きたくなかった。