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雪国 駒子との“出会い”

2005-01-12 00:56:21 | Weblog
 越後湯沢に着いた我々はその夜、「雪国の宿 高半ホテル」に泊まった。
 予約してあったのだが、ホテルに着いた時は、「食事タイム」はほぼ終わり。大広間にはまばらにしか客の姿がなかった。それでもあるレヴェルの食事が出てくるものと、すきっ腹を抱えてお膳の前に座った。ところがその瞬間、我々の眼は膳に並べられた数々の料理に釘付けとなった。それほど素晴しい料理?いやいや全く逆である。刺身は、これ干物?と言いたくなるくらい乾燥し、ブリの照り焼きは、照り焦がし状態。てんぷらは、ころもが鎧と化し、クリーム煮は干ばつの田んぼのようであった。酢の物に至っては、ああ、思い出すだに腹立たしいほどの状態。何とか口に運べたのは、鍋物と味噌汁、それに漬物くらいであった。
 設備の悪いのも気になった。あちこちの壁紙がはがれ、窓ガラスの結露防止用に貼られた和紙はシミだらけになっている。畳は擦り切れた部分が目立ち、階段も汚い。エレヴェーターに滅多に乗らない私だから当然階段を上り下りするのだが、ひとつの方は客の往来がないらしく、そこには大広間から下げられた膳や皿が所狭しと放置されている。またもう一つの階段のところには、UFOキャッチャーや古いパチンコの台が置かれている。部屋に戻って敷かれた布団を見ると、昔懐かしい、重くて堅いやつだ。
 まあ、今さらホテルを移動するわけにもいかないので、“口直し”に、ホテルの売りである温泉を楽しむことにした。この温泉に関しては、まあ、可もなし不可もなしといったところか。
 風呂を出たところに「ミニシアター」があった。上映されているのは、「雪国」であった。もちろん、川端康成が書いた、“あの”雪国だ。どうせ大したことはなかろうと、誰もいないミニシアターに身体を入れた。途中から加わったパートナーがまず言った。「結構私、この映画好き」。
 21世紀では考えられないゆったりした時の刻み方と、もったりとした言い回しは観始めた時は、違和感があったが、時間が経つにつれ身体に馴染んできた。駒子の奔放な生き様も何か惹かれるものがあった。観ている内に、2人とも「駒子の世界」にはまっていった。映画を見終わった後、どちらからともなく「本を読んでみようか」と言った。私は若かりし頃、本を手に取ったが、20ページも目を通さなかったように記憶している。
 恥ずかしいことに、この高半ホテルが「雪国」ゆかりの旅館だとは知らなかった。高半ホテルの前身である「高半旅館 長生閣」に川端が逗留して雪国を執筆したとのことなのだ。しかも、駒子には実在したモデル「芸者松栄」がおり、川端がその松栄と長生閣で逢瀬を重ねたという。ホテルには、川端が松栄と共に時を刻み、執筆した部屋「かすみの間」がそのまま保存されていると言う。その夜、2人は「駒子」の話題で盛り上がった。
 翌朝、食事をそそくさと終えた我々は、かすみの間に向かった。ゆかりの部屋は広さ8畳の何の変哲もない和室であったが、昨夜いろいろこの話題に花を咲かせたことも手伝い、えもいわれぬ感慨があった。2人はしばらくこの部屋から動かなかった。部屋から見る景色も、新幹線や高速道路を空想で消してみると、絶景であった。部屋を出る頃には、昨夜あれほど腹立たしかったホテルの食事や設備のことを笑って許せるようになっていた。恐らく、先代あたりが、戦後の「雪国ブーム」に乗って大規模にしてしまったのであろう。その、今では大きいが故に身動きが取れなくなったであろうこのホテルが、滑稽ではあるが、何か物悲しさを漂わせるように見えてきた。
 自宅に帰ったわれわれは自転車を飛ばして近くの図書館に行き、文庫本と全集を借りてきた。もちろん、文庫本のタイトルは「雪国」。全集は、川端康成全集である。