高山市に被災地から非難して来た方々の支援のため農業委員会を通じお米を届けました 少しでも協力出来るものがあり嬉しく思います
被災地の方々が一瞬にして失われたものが私にはある。第一に命があり家族があり食べ物があり水も電気も家も布団もストーブもある。当たり前の事が本当にありがたい事だと気付いた。今私達は何が出来るだろか。家族と話し合い直売しいたけの売上を義援金とする事に決めた。
大渋滞の東京から15時間 家にたどり着いた。テレビの画面からはまるで爆撃を受けにたかのような地震後の絵が飛び込んできた 言葉を失ってしまった 津波が襲ったのだった その後だんだん被害の状況がわかって来るたび私の胸は実際に痛みはじめた。