有田芳生の『酔醒漫録』

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統一教会系会社にまた捜査が入った!

2008-11-20 09:15:50 | 統一教会

 11月19日(水)081116_09120001 ホームページのアクセス数を久しぶりに見れば約333万。ブログはすでに356万を超えていた。11月12日に新潟市内の統一教会関連の店舗「株式会社 北玄」(風水の占いグッズ販売や展示会を開催)に警察の捜査が入った。この会社はかなりの売り上げがあり、11月15日に味の素スタジアムで開催された統一教会系GPF大会のプログラム広告を8ページ(240万円)掲載している。厚生事務次官を狙ったテロ事件。犯人の沈黙は続くが、不安は時代の象徴である。1929年のアメリカ大暴落が世界に波及したのは、それから2年後。日本では失業、身売り、自殺が増え、テロも頻発した。ところが世相は東京音頭やヨーヨーの流行に浮かれていた。いままた100年に一度の金融危機。政治の選択は緊迫した課題。官僚支配への怒りが犯行の背景ならば、必要なことは政治のイニシアチブ。そうした時代意識は麻生自民党政治にはないだろう。東武練馬の朝。生活保護を受けているNさんがボランティアで参加。あっという間の2時間。大山の事務所。民主党副代表で参議院議員の石井一さんが激励に来てくださった。民主党のくまき美奈子都議、おなだか勝区議、長瀬達也区議、高澤一基区議、佐藤やすのり区議とともに大山駅前、ハッピーロード商店街、仲宿商店街で訴え。再び大山の事務所。スタッフで石井さんから感想と課題を伺う。「まだいいよ」と遅くまでマイクを持ってくださった石井さんのバイタリティはさすが。スタッフと別れ「ちくら」。


「第二の赤報隊事件」か?

2008-11-19 06:23:11 | 事件

 11月18日(火)081118_14490002 「第二の赤報隊事件」なのか。厚生事務次官への連続事件。歴代事務次官の名前はネットでも知ることができる。しかし、現住所まで調べることは、なかなか難しい。事件の「司令塔」によって犯行声明がマスコミに送られるのではないか。アメリカからはじまった世界恐慌の時代にも、日本の世相は血盟団事件(1932年)や大量失業、身売りなど多くの社会問題を生じた。麻生自民党政治の退廃と居直りへの不満はうっ積している。テロの時代への不安な予感。

 大山の事務所でスタッフの会議。これからの戦略、戦術を打ち合わせ。国立の一橋大学へ。構内は落ち葉で敷き詰められていた。加藤哲郎教授にいくつかの相談。暗くなった市内を懐しく歩く。上田耕一郎さんのご自宅で酒を飲んだのはもう22年も前のこと。新日本出版社を追われるように退職してからの出来事だ。あのとき「これが美味いんだよ」とバーボンの「ワイルドターキー」を教えてもらった。気分よく酒が進んでいたらインターホンが鳴った。迎えが来たのは演説会があったから。赤い顔をした上田さんは「忘れていた」と言って出かけていった。

 ご一緒した宮森繁さんもすでにいない。国立駅前で飲み直していたときに宮森さんが言った。「アリタ君を呼んだことは防衛から報告されるのに、上田さんは偉いよ」。昨日の「お別れ会」でも流れていたベートーベンのヴァイオリンソナタ第9番「クロイツェル」を駅に向かう音楽ショップで購入。上田さんが好きだった曲だ。どの奏者にしようかと迷ったが、辺見庸さんが好きなヨゼフ・スークによる「ヴァイオリン・ソナタ全集」にした。西荻窪で下車。酒でも飲もうと思ったものの、目当てにした店が高そうだったので、中野。「らんまん」で北原白秋が好んだ日本酒を飲む。


上田耕一郎の「戦争論」

2008-11-18 10:02:44 | 人物

 11月17日(月)081117_15410001 下赤塚駅で朝の訴え。大山の事務所へ。路地にある商店街を挨拶回り。さまざまな本音を聞く。自民党政治を終わらせねばとの声はかつてなく高まっている。信濃町の千日谷会堂。午後2時から行われる上田耕一郎さんとのお別れ会に出席。会場に着いたのは12時半。13年前にこの場所で行われた「朝日ジャーナル」編集長の伊藤正孝さんのお別れ会に入れなかったことを思い出し、早い時間から待機。共産党本部の会場スタッフばかりで参列者はまだ数人だった。受付をしている不破哲三さんの秘書だったUさんに「マスコミで受け付ける、それとも政党にする?」と聞かれたので、新党日本の副代表として受け付け。時間まで待機。「ご無沙汰しています」などと声をかけられても、すでに20年近くも前の面識に名前が思い出せない。会場に案内される。遺影の上田さんはたしか対談のときのもの。ふとこんな言葉が出てきた。「ウエコーの遺影吠ゆるか笑み深し」。式は淡々と続く。吉岡吉典さんの挨拶が印象的だった。上田さんが機関紙の編集局長だったときに語ったことである。それは事実と党の方針が食い違ったときには、事実を優先させよとの教えだ。いかにも上田さんらしい言葉だ。事実が方針の発展をもたらすということである。

 遺族としての挨拶はデザイナーである長男の宏志さん。上田さんは体調が回復すれば5年ほどかけて「戦争論」を書きたいと思っていたそうだ。そのための「戦争論ノート」も4冊目になっていた。この世代は筑紫哲也さんも上田さんも「戦争は絶対にいけない」という実感がある。会場で久しぶりに出会った田原総一朗さんもまたその立場にあるジャーナリストだ。高校時代からのもろもろの思いを走馬灯のように思い出しながら、みなさんの挨拶を聞いていた。献花のとき奥様の高子さんが握手を求めてくれた。ほかの方にはない行為の含意を思う。会場を出ると多くの参列者が目に入った。信濃町から表参道。ジムで泳ぐのは体力維持の目的のため。来たる総選挙の結果を気にしていたという上田さん。新しい政治のために気力とともに体力を維持しなければ。渋谷から高田馬場。西武線に乗り換えて鷺ノ宮。五十嵐茂さんと隠れた名店「鳥八」へ。日本酒を飲みながら世相を語り、五十嵐さんの「妹論」を聞かされる。


思い込みは失敗を生む

2008-11-17 06:16:29 | 随感

 11月16日(日)081116_09150001 朝7時過ぎにもより駅から地下鉄に乗る。ところが停車したまま。しばらくアナウンスもなかった。和光で車両故障だから全線不通と少しして知らされた。困った。7時40分には成増にいなければならない。民主党の長瀬達也区議の日帰り旅行に参加する方々にご挨拶する予定だったから。ホームで熊木美奈子都議に電話、事情を伝える。改札を出てタクシーを探し、急いで成増へ。「急いでくださいね」と伝え、時間を気にしているのに、その雰囲気もわからずに運転手さんがたわいもない会話の連射。それも災いして道を間違える。駅南口から走って北口。時間は7時50分。あれっ。バスがいない。南口に戻り探すもバスの姿がない。もう出発したんだと判断し、地下鉄で戻る。そこで熊木都議から電話。「お待ちしているんですけど」。事情を説明し、みなさんが戻ってきたときに迎えることにした。

 徒労感に襲われつつ、喫茶店で萩原延壽さんと藤田省三さんの『痩我慢の精神』を読む。いったん帰宅して上板橋へ。20回目の「板橋わいわい祭り」だ。ところが雨で中止。近くの施設で行われていた実行委員会の集まりに出席。短い挨拶をさせていただく。パンフレットのなかに「山川暁夫」の名前を発見。大山の事務所に行く。ガラス扉に貼ってある新党日本の結党宣言を読む背広2人にリーフレットをお渡しする。日本橋の丸善へ。再び成増。長瀬区議のバスが戻るのを駅前で待つ。かつてよく飲んだ商店街の知人と雑談。自民党支配の実体ともろさをここでも実感。人間には建て前と本音がある。時間が来たので北口へ。少し離れたところが出発および到着地点だったのだ。思い込みは誤りを生むことを反省。みなさんにご挨拶、大いに励まされる。帰宅して赤ワインを飲む。


横田めぐみ拉致事件から31年

2008-11-16 06:48:29 | 随感

 11月15日(土)081115_19490001 今日は横田めぐみさんが13歳で北朝鮮に拉致されて31年目!の当日。巣鴨の刺抜き地蔵で「東京ブルーリボンの会」の街頭宣伝に参加。署名を求めても「結構です」という人もいるが、前回の渋谷とは違って署名もカンパもケタ違いに多いことに喜ぶ。子育て世代や孫を持つ世代だからだろう。カンパは3万ぐらいだろうとの事前予測。ところが10万円は優に超えた。求められて2回訴え。オバマ政権が「その気」でないならば、日本政府こそ本気にならなければ。そうはいっても麻生自民党政権に期待などできない。渋谷ではテレビ、新聞の取材が多かった。今回はBS11「にっぽんサイコー!」のみ。駒込で雑用を終え、池袋「おもろ」。西武の紳士服売り場でハイネックのセーターを探したが皆無。仕方なく東武の「ユニクロ」に行くもなし。どうなっているんだろうか。タートルネックはあってハイネックはない。これが流行なのか。ちなみに東武「ユニクロ」の売り上げは休日には約5000万円だという。西武池袋線で練馬。夏までしばしばお世話になった商店に挨拶して「金ちゃん」。中性脂肪に悪いなと思いつつ、美味の煮込みにレバー刺し。まだポスターを張ってくれていた。感謝!。さらに駅前の立ち食い店でうどん。練馬政治の話を面白く伺う。


筑紫哲也「最後の言葉」

2008-11-15 09:58:55 | 人物

 11月14日(金)筑紫哲也さんの逝去を待っていたかのように「NEWS23」が3月で終わる。いまのキャスターは午後6時から8時までのニュース番組に移るようだ。噂で流れていたみのもんたさんの起用はない。当然だ。私は筑紫さんの「ある部分」に違和感を感じることはあった。しかし完全無欠の人間などいるはずがない。「背広」ではなく「ジャケット」を着た知性(伊藤正孝さんの表現)として、比類なき仕事をしてきたことは高く評価されるはずだ。スタッフのKさんから粛然とさせられることを教えられた。筑紫さんはモルヒネで意識が混濁しているとき「負けちゃいけない」と何度もつぶやいていたという。それを聞いたとき、ご自身のガンとの闘いへの言葉だと思っていた。もちろんそういう気持ちだっただろう。ところがこうもつぶやいたそうだ。

 
少数派でいることに耐えなきゃいけない。

 筑紫哲也さんはこういう言葉を公言したことはないはずだ。無意識が語らせた本音。筑紫さんの最後の言葉を知って身の引き締まる思いでいる。新党日本という「少数派」を選択したことに誇りはあれど、悔いはないからだ。「少数派でいることに耐えなきゃいけない」。「多数派」にいたはずの筑紫さんはなぜ遺言のように、こんな言葉を残したのだろうか。「多数派」のなかの「少数派」であったことは確かだ。朝日新聞やTBSにいながら、それでも自己認識はきっと「少数派」だったのだろう。誰にも吐露しなかった思いは、病床で綴った「残日録」にきっと記されているはずだ。その「すべて」を「最後の著作」として公開してもらいたい。

 営団成増駅。今朝も新しい出会いがあった。大山の事務所に戻る。ある花屋さんが観葉植物をカンパしてくださった。「ちくら」店主も来訪。私のポスターを貼っていることに客から嫌味を言われたそうだ。「友人のポスターを貼るのが悪いのか」と答えたという。新橋でインフルエンザの予防接種(1000円!)。銀座まで歩き、教文館。萩原延壽・藤田省三さんの『痩我慢の精神 福沢諭吉「丁丑公論」「痩我慢の説」を読む』(朝日文庫)、内田樹さんの『街場の教育論』(ミシマ社)、森英介さんの『風天 渥美清のうた』(大空出版)、つげ義春さんの『大場電気鍍金工業所/やもり』(ちくま文庫)、筆坂秀世さんの『悩める日本共産党員のための人生相談』(新潮社)を購入。荻窪で各種打ち合わせ。地下鉄で筆坂さんの新刊を読み終える。


くさか里樹の『ヘルプマン 認知症編』

2008-11-14 05:46:56 | 読書

 11月13日(木)20081112085152 「NEWS23」に異変ありとの情報あり。板橋の路地を経めぐる。ある理髪店の店主夫妻と客との会話は、麻生政権の給付金への批判。「困っている人に出しますと言えばいいんだ」と客。所得制限なども地方自治体に丸投げ。巷ではこの話題と呆れ声ばかり。麻生首相はいずれ支持率が10パーセントを切っても「解散権はおれにある」と豪語するんだろうか。大山の事務所。抜き打ち視察の平山誠総務局長の運転で神保町。20代から通っている「トロワヴァグ」で週刊誌の取材を受ける。東京堂書店で新刊を見て高岡書店でくさか里樹さんのコミック『ヘルプマン 11 認知症編』を入手。「萱」に立ち寄り、さらに知られたくないワインバーで一息。


統一教会でまたまた献金要求

2008-11-13 11:03:03 | 統一教会

 11月12日(水)081103_11160001 またまた統一教会員が献金で悲鳴を上げている。ソウル市内の大聖堂建設や麗水(ヨス)に第2の天正宮を建設する名目で日本信者の家庭ごとに180万円の献金を集める指示が出されているからだ。最終的には400億円くらい必要だという。朝の成増南口。ホッカイロが冷えるほどの寒さ。栃木からOさん、墨田区からOさんのボランティア参加で、リーフレット配布は久々に4人体制。効率よし。大山の事務所に立ち寄り、近くの路上で「辻説法」。高齢女性3人と立ち話。「この間の朝は成増でやってたでしょう」と言われる。麹町の文藝春秋。ある女性部長には「中村橋で見ました」。平河町のヘッドオフィスで役員会。消費者主役の新行政組織実現全国会議のみなさんから陳情を伺う。パロマ欠陥湯沸かし器で18歳の息子さんを奪われた上嶋幸子さん、シンドラー社製エレベーターで16歳の息子さんを奪われた市川正子さんのお話が哀しい。アメリカではCPSC(製品安全委員会)が72時間以内に現場に駆けつけるという。人員は500人で、倍増する方針。政府に強力な調査権を持つ効率的な消費者庁が必要と痛感。再び大山の事務所へ。ある商店で「練馬で演説を聞きました」と言われる。新しい「勝手連」的支援者のみなさんと懇談。


忘年会の季節近し

2008-11-12 05:35:20 | 随感

 11月11日(火)081109_13410001 哀しきも「自力更生」誓う夜深し。板橋の商店街を歩き、訴え、会話を重ねる。ふーん、そういうことなのか。発見する驚きは自民党支配の実体とほころびだ。ジェラルド・カーティスさんの調査に基づいた分析が実感として分かりつつある。よしと判断し表参道のジムで泳ぐ。服部真澄さんからアドバイスされた風邪薬を探すも見当たらず。朝日新書の岩田一平編集長から「忘年会をしましょうよ」の誘いあり。地下鉄に乗っていたら声をかけられた。いただいた名刺を見れば鳥取県倉吉市長の長谷川稔さん。もちろん初対面。「オウムのときにはご苦労様でした」と言われ、あの13年も前のことをふと思い出す。