有田芳生の『酔醒漫録』

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「エリカ」哀悼

2006-11-15 09:08:07 | 人物

 11月14日(火)神保町「エリカ」のマスターが亡くなった。昭和23年から営業をしていたから、58年間。マスターは87歳だったそうだ。あれは10月だと記憶する。「エリカ」に行ったとき従業員にマスターはと聞いたところ、あとで来ますと言われた。勘定をするとき、カウンターの反対側にある椅子に座っているのを見かけたけれど、背中を向けていたのであえて声をかけなかった。それが最後となってしまった。神保町に「エリカ」は3軒ある。その長男で、お名前が相沢さんということも知らなかった。戦争中は海軍で戦闘機に乗り、戦後になりGHQとも特別な関係を築き、物資不足のなかでもアメリカの煙草を密かに販売していた。ある時期までは年中無休。朝の7時に開店して深夜2時まで営業していたという。昭和30年代のことだ。モーニングサービスに付くゆで卵はいつもほどよい半熟だった。独特の味の珈琲は近所にも出前された。その仕事を2人の男性が担当していた。最近では候孝賢監督の「珈琲時光」の一舞台となり、マスターも出演。わたしが好きだった席に一青窈が座ったため、そこを目的とする女性客が増えたとマスターは語っていた。東京で働きだした20代からこの店に通い、ひとり読書をすることもあれば、友人たちとも語らったものだ。この店は閉鎖し、今後営業はしないそうだ。神保町の文化であり、わたしにとっても想い出の多い「エリカ」が消えてしまった。すでに中年となった二人の従業員はこれからどうするのだろうか。

Clip_image005  朝から『私の家は山の向こう』の文庫本化のための作業をする。単行本で収録したCDは判型からいっても収録できない。その代わりに中国語版で追加した写真をそのまま掲載したいと思い、舟木稔さんに相談する。基本的な事実誤認や誤植はこれで訂正できる。あとは「あとがき」として考えている「テレサ・テンと中国」といった文章を書くだけだ。午後から神保町。岩波ホールで原田健秀さんに会い、映画業界のことを伺う。原田さんは画家でもあるが、「週刊朝日」の鎌田實さんの連載に添えたイラストを描いていることは知らなかった。「伊峡」の隣にある「いもや」で豚カツを食べる。「エリカ」の横にあった店で働いていた男性が、揚げることからご飯を盛ることまでひとりで切り盛りしていた。東京堂書店で佐野店長と立ち話。表参道に移動してジムで泳ぐ。最近はいささか睡眠不足なので、休憩室で1時間ほどまどろむ。再び神保町。書泉グランデに入ると「ちあきなおみ」という活字が眼に飛び込んできた。すぐに購入したのは『団塊パンチ3』(飛鳥新社)。特集1は「1968年に何が起ったか?」。特集2として「ちあきなおみ伝説」が組まれている。追跡ノンフィクション「ちあきなおみ、その沈黙の理由」が興味深い。この特集はちあきなおみを語る上での基本的資料となる貴重な内容となっている。友人と待ち合せ、「萱」そして「ジェイティップルバー」で雑談。神保町の夜深くに店を出る。


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2 コメント

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●;「エリカ」のご主人が亡くなったのか。知らなか... (瞬間タカオカ)
2006-11-16 19:23:44
●;「エリカ」のご主人が亡くなったのか。知らなかった。愛用者ではなかったが時々行ってました。スポーツ紙などを読むのと、珈琲にトーストで。いゃぁ~、参ったなという感想です。
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エリカ閉店ですか (オーバン)
2006-11-22 23:35:14
エリカ閉店ですか

古本屋や東京堂、岩波ブックセンター等
で本を買った帰り、よく寄ったものです。
お店の外から、都心の喧騒が微かに耳
に届くのだけど、それ故、日常から隔絶さ
れた場に身を置いて好きな本を開く幸せ
を実感できる、そんな空間でした。
残念です。
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