有田芳生の『酔醒漫録』

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「あほらし屋の鐘が鳴る」

2007-04-19 08:11:32 | 読書

 4月18日(水)銃撃で亡くなった長崎市長は長崎県知事と政治的には対立関係にあったという。こんどの市長選挙でも自民党県連のなかには対立候補を立てようかとの意見もあった。もちろんこんどの銃撃者の意図は不明だ。たんなる利権絡みなのか、それとも深い背景があるのか。市長が一般競争入札を政策とすることに対する抵抗者はいた。容疑者の元妻は自分に資産が移されようとしていたと証言している。どれほどだったのか。そこに最近得たものはなかったのか。動機は報道されている個人レベルのトラブルだけなのだろうか。「ザ・ワイド」のスタジオに来た加藤紘一さんと雑談。「カラオケではテレサ・テンを歌っていますか」と聞けば、ニコッとして「ときどきね」という。加藤さんは中国語で「時の流れに身をまかせ」を歌えるのだ。番組が終わり新宿。竹村文近さんに鍼を打ってもらう。首筋の疲れを取るために特別の鍼を作ってくれた。原稿に集中したためにひどい硬さだ。それが「掲載はいつでもいいですよ」と言われ唖然、虚脱。しばらく原稿は「寝かせて」おく。会社時代の先輩からのメールに「あほらし屋の鐘が鳴る」という言葉があった。眼が汚れるような文章についての感想だった。出所は斉藤美奈子さんの『あほらし屋の鐘がなる』(文春文庫)。

 
語源は明らかではないのですが、受けをねらって教室でふざけたことをいうたびに、友人は小学校の先生からこう釘を刺されたそうで、とりあえず古くからある言葉なのはたしかなよう。漢字で書けば、「あほらし屋の鐘」となるのではないかと想像します。

 斎藤さんはNHKで放送されているのど自慢で「カーン」と高らかに鳴る鐘のようだと想像した。たとえば「不倫は文化ですから」とタレントが語った。そのとき「あほらし屋の鐘」が「カーン」と鳴るといった具合だ。「あほらしい」発言や文章、さらには行為に対して使えばいい。笑うのでもなく怒るのでもなく「カーン」。文庫版あとがきには牧村史陽編『大阪ことば事典』(講談社学術文庫)が紹介されている。そこでは「アホラシヤの鐘が鳴る」とは「馬鹿らしくて話にもならない」意味だとある。しゃれた言いかたなのだ。散髪をして代々木「馬鹿牛」。焼酎の「村尾」「兼八」「まんこい」。「酒場評論家」の吉田類さんからこんど来るときには「連絡せよ」との伝言。70年代音楽を聴きながら井上ひさしさんとの会話を思い出していた。ある人物の話題になったときのこと。井上さんはこう言った。「ひとにモノを頼むためにニコニコと握手を求めてきて、背を向けた途端に斬りつけてくるようなものですよ」。そんなことは浮世にいくらでもあること。あぁ今日もまた「あほらし屋の鐘が鳴る」。


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2 コメント

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あほらし屋の鐘がなる、としか言いようのない駄文... (五十嵐茂)
2007-04-19 09:58:17
あほらし屋の鐘がなる、としか言いようのない駄文も目に付きますね。とくにある種の政党が文化の内容にかかわって評価を与えてやろうなどと愚かな行為に及ぶときに、この鐘が鳴ります。内容というより創作者の政治的態度のみに目が行って、内容は筆者の個人的レベルを表すだけの寒いものです。どうしてあいかわらずのこういうイデオロギー態度がそこではまかり通るでしょうかね。政党は政治綱領のみを実践していればいいのであって、文学や思想や文化の内容を対象にしたり指導しようとしたり評価するような行為は内部外部問わずもう政党の任務外にしたほうがいい。文化のことは文化の内部に任せる以外ないと言い切れればもっとさわやかな「風」が吹くのですがねえ。
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コメント欄汚し、申し訳ありません。 (MOCHA)
2007-04-19 19:54:14
コメント欄汚し、申し訳ありません。
ネット上の噂話とは言え、ちょっと気になる話が出回ってるのですが…。これ本当なんですかね?日本会議と言う団体が統一協会関係だとか、盛んに吹聴して廻る輩がいるのですが…。


>弁護士の松尾千秋を検索するとおもしろいねー 、ぶっちゃけ安倍総理の仲間です

>日本会議長崎副会長
>新しい歴史教科書をつくる会長崎県支部長
>統一協会系日韓トンネル研究会参与
>日本教育再生機構代表委員・設立発起人
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