有田芳生の『酔醒漫録』

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

Kー1武蔵の「二つ先のパンチ」

2008-08-23 10:48:39 | 思索

8月22日(金)練馬の春日町駅で訴え。朝の空気はもはや秋。ほとんど汗が出なかった。こうしてまた季節が変わっていくことを実感する。「この間は中村橋でお見かけしました」「また会いましたね」と声をかけてくださる女性たち。握手の数はもはや選挙本番。ボランティアで再び参加してくださったYさんは昼まで手伝ってくれた。練馬駅近くの商店街店主はさまざまな情報を伝えに来てくれた。「辻説法」をしていると道路の向こうで知らない女性がスタッフからリーフレットをもらって配りだした。まさに「勝手連」。うれしいことだ。練馬駅周辺から大泉学園までの住宅街を走る。不安や焦慮を根拠にその場所に固着する「居着き」は、否定的ニュアンスがあるが、肯定的に捉えることもできるのは、「未来」を「現在」と見ることだというのが内田樹さんの見解だ。たとえばKー1の武蔵は「打たれたときは、それをもう忘れて、二つ先のパンチが相手にヒットしているときの感じ」を想定して、それを「現在」だと思うそうだ。このくだりを熟読していて思い出したのは、古在由重さんの教えだ。「僕は、変な言い方だが、『現在を過去として見る』というふうな習慣を持っています」「いまの現実というものもやがて十年たち、二十年たてば必ず過去になるということ。いま現実を未来からの過去として見るという見方をいつでもやっているつもりです」と丸山眞男さんとの対談(『一哲学徒の苦難の道』、岩波現代文庫)で語っていた。この視点こそ個人においても組織においても必要なのだ。いま進みつつある道を「未来圏」(宮沢賢治)から見つめると、気持ちが軽くなるから不思議だ。新橋から新宿へ。再び練馬に出て「ミクシィ」のオフ会。多くの方々が参加、励まされる。