有田芳生の『酔醒漫録』

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旧沢内村を歩く

2008-04-29 10:40:18 | 随感

 4月28日(月)080428_14380001_2 盛岡から北上へ。BS11「にっぽんサイコー!」ディレクターのMさんと合流して北上線のほっとゆだで下車。バスで旧沢内村に向う。東京は温かかったのでジャケットの下は半袖。ところが寒い。桜は満開なのだが、気温は9度。何とあられが降ったという。沢内庁舎で副町長、福祉担当課長から話を聞き、沢内病院へ。医師、患者から高齢者医療や乳幼児医療のことを聞く。この旧沢内村(2005年に合併して西和賀町)では、1960年に65歳以上の医療費を無料にしただけでなく、1962年には乳児の死亡をゼロにした。いずれも日本ではじめての施策だ。ときの村長は深沢晟雄さん。そのとき教育長でのちに20年間村長を務めた太田租電さんにも話を聞いた。いまから40年前に沢内村のドキュメンタリー映画が作られている。そこには当時28歳だった高橋さめさんの出産時のことも描かれている。その高橋さんの自宅でも話を聞いた。さらに健康管理課で働いていた照井富太さんからは、深沢村長の思いについて伺った。多くの人たちのなかに深沢村長の言葉が生きている。思想が具体的施策として住民を守る。さらに思想は言葉として広がり定着していく。まさに脈々としてだ。生きた思想とはそういうものなのだろう。「生命を守ることは行政以前の問題」とは深沢晟雄さんの遺した言葉のひとつである。民宿に行くとストーブがたかれていた。