有田芳生の『酔醒漫録』

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飯干晃一の「仁義なき闘い」

2008-03-03 08:56:20 | 人物

 3月2日(日)080302_18110002 防衛省の石破茂大臣がテレビに精力的に出演。イージス艦の事故で辞職するつもりはないと語り、防衛省改革が必要だと弁明。それに迎合するコメンテーターはテリー伊藤、黒鉄ヒロシといった面々。批判精神なき権力応援団のコメントなどあまり聞きたくないなあ。ゲーゴー、ゲーゴーの鳴き声が聞こえる。三浦和義の「ロス疑惑」裁判がテレビ中継される可能性があると聞いた。アメリカで放送されたとき、日本ではどうするのか。テレビ局のなかにはその検討に入ったところもある。マスコミの新人記者などが生まれたころの事件。あの当時の衝撃がわからないというのも当り前のこと。高輪の飯干晃一宅へ。12年前のこの日、飯干さんが亡くなった。洋子夫人とともに近くのホテルで食事。浅見定雄さんは仙台から。文藝春秋の松井清人さん、石井謙一郎さんともども想い出話。びっくりしたのは飯干さんが最初にテレビに出るとき、年齢を変えるよう言われたとのこと。「昭和8年生まれ」と紹介された時期があるそうだ。小学校時代から作家になりたかったという飯干さん。讀売新聞記者を経て作家となったのだから、いい人生だった。浅見さんとはカントについて語り合ったというから、教養が違う。いつだったか神保町の北京亭で強い中国酒を飲んでいるときのこと。あることを相談したときに飯干さんは言った。「アリタ君、そんなの放っとけばいいんだよ!」。そのひと言で気持ちが軽くなった。その北京亭も店主の江さんが亡くなってから閉まったままだった。この3月にようやく再開されるようだ。