有田芳生の『酔醒漫録』

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清岡卓行と「バッハの背中」

2006-11-01 09:21:17 | 読書

 10月31日(火)国会図書館で眼を皿にして探していた昭和23年の数行の記事。それは少なくとも朝日新聞には掲載されていないことがわかった。「きけ わだつみのこえ」の解説が誤りだった。朝日の縮刷版で探したのは3回。最初からなかったのだと思えばまさに徒労。岡田裕之元理事長はいくつかの資料をコピーしてわざわざ持参してくれた。そこに戦没学生の遺書を募集したときのチラシの内容があり、これが各新聞社などのマスコミに届けられたのであった。曖昧な文章は誤解を招く。午後1時から東銀座の松竹試写会。「椿山課長の七日間」を見る。ほのぼのとした作品で悪くはない。それでも原作者の浅田次郎さんがパンフレットやチラシで紹介している言葉には疑問を感じた。朝日新聞で連載されたこの小説に対して、「死ぬのが怖くなくなりました」という意見が非常に多かったというのだ。きっとそうなのだろう。小説を読んでいないからそれを前提にいうのだが、この映画を見てそうした感慨はわずかも感じなかった。生と死をテーマとした娯楽映画。それ以上の感想はなし。午後3時。神保町に出て「伊峡」でタンメン。東京堂書店で坪内祐三さんの『本日記』(本の雑誌社)を買う。昨夜飲んだとき、小林英丘さんが「この本にアリタさんのことが出てきますよ」と教えてくれたからだ。しばらく神田古本市をのぞき、喫茶店の「トロワヴァグ」で読書。古本市では特定の探し物がない限り、漠然と掘り出し物を探す。目的がはっきりしていればネットで探す方が合理的だ。今朝方ネット古書店で『木下順二対談集』を検索すると瞬時に発見することができたので、さっそく注文した。

061031_16410003  それでも古書の並ぶ神保町の街並みは、それだけで文化なのである。昼間から往来が激しいことはうれしいことだ。さてジムで泳ごうと思い、地下鉄に向ったとき、休館日だと気がつく。そこで再び東銀座。「ココウェイブ」でマッサージをしてもらいウトウト。銀座まで歩き「ささもと」で焼酎の梅割り。旭屋書店で6月に亡くなった清岡卓行さんの詩集『ひさしぶりのバッハ』(思潮社)を買う。

 
悲しみの余震のなかを
 去って行くバッハの背中。

 他人の破滅をふかくいつくしむ端正。
 自分の破滅ときびしくたたかう端正


 詩はこういう言葉ではじまる。「端正」というフレーズがとても印象的で新鮮だ。情念的で韜晦な詩人がいれば、清岡さんのように透明感ある詩人もいる。短い言葉に世界を乗せる。そこに表現者の生命が宿る。ホロホロとゆったり歩きつつ「ル・ヴェール」。来年横浜で行われるカクテルコンテストの一般審査員になれという。ただ自分の感性で美味しいかどうかを判断するだけでいいのなら、それもまた楽しい。帰宅して窓を開ける。冷気がひんやりと頬をなでる。木村久夫さんの遺書の一節が心に浮かんだ。「吸う一息の息、吐く一息の息、喰う一匙の飯、これらの一つ一つの凡てが今の私にとっては現世への触感である」この「触感」こそ生きることのすべてである。