宇宙の彼方から

自然の不可思議な森羅万象に揉まれる自分や他人の有り様を見つめる。

白寿の長生きと愛国心の強制。

2005-05-16 22:21:25 | Weblog
白寿。
元気、日本人の中の日本人だ。
たけしさんの番組の中でギャアーギャアー愛国心がどうのこうのとしゃべっている連中とはまるで違う、日本人の中の日本人だ。元気だ。
何回も言っておく、愛国心を押し付けるのは戦前回帰なのだ。同じものではないと抗弁するだろうが、暗く、もの言えぬ時代への戦前回帰であるのは事実だし、愚の骨頂なのだ。
ガキの言い争いなのだ。
男らしくあれ、女らしくあれと、押し付けるのと同じであって、つくものがついていればナヨッテいても男だし、ついていなければ男っぽくても女なんだよ。わかるかい。
愛国心と言えば言うほど、無いことの証明なのだ。本当の愛国者はそんなこと言わないよ。
押し付ける輩が一番 「売国奴!」なんだよな。時代が変わるとコロッと変える人間だ。
そんな輩の短気が日本を滅茶苦茶にして言論の責任をとらないんだ。録画しておいてしっかり後々のために言質を取っておいたほうが良いと思う。
そもそも、愛とは何だ?人に押し付けるものか?
国民に義務ばかり求め強調する国を誰が愛せると言うのか。
愛は求めるものではなく、与えるものである。与えればいつか戻ってくる。
「与えよ、されば 報われん」
求める愛は、自分本位の得手勝手な愛の論理である。
「愛」ほど抽象的でわからないものはない、いまだにもって解らん。
愛おしいと思う?のか、日本を愛おしい、と思うのか?少し変じゃないか。「愛」って自然とある時滲みでてくるものなんじゃないかい。押し付けられて愛するものなのかい。そりゃ今流行の強制婚じゃないのか。「愛」とは恐ろしいもんじゃな。
強制する愛国心とは!   思い上がりの傍迷惑、余計なお世話が結論じゃな。
そんな強制したがりの人々から生まれる「愛国心がなかったら罰する」と、いつも次はそうなる低次元な考えの愚かしさ。
「愛」は自然発生する。
国への文句も「愛」です。愚人ではそんなことも解らん。「愛」が無いのは「国」そのものに関心がないだけなのだ。
こんな基本を諭してやらねばならぬとは、呆れるばかりだ。
話変わって、声と顔にツヤのある親父。まだまだ日本人のサンプルを続けそうだ。
どこも悪いところが無いと言う。
まさに、あらゆる心と体の各部、部品類がバランス良く機能が衰退している証拠なんでしょう。
バランス良く使うと言う事が、いかに大事なことか解ろうと言うものです。
このバランス感覚が無ければどうあっても長持ちはしない。

頑張って欲しい。