ANNAN(ふれでぃ・えとう)の気まぐれ日記

シンガーソングライター、そしてQUEENトリビュートバンドQUEENESSのボーカルでもあるANNANの日記

イスラエル紀行その4

2008-03-03 16:34:32 | Weblog
無事に帰国しました!今朝9時前、成田空港に到着。お昼過ぎに帰宅して、今日はのんびりしてます。ってなわけで、聖地エルサレムレポートです。

さて、イスラエル最終滞在日の3月1日。

予定通り、エルサレム(Jerusalem、英語的にはジュルーザレムあるいはジュルーサレム)に行って来た。

仕事では直接関係は無いのだけど、イスラエルの会社の社員であるアノン(ANNAN=アナンではない)という人がガイドを買って出てくれた。彼はエルサレムには特に詳しく、結構裏まで知っている。なんでも彼の兄弟は、エルサレムに関する著書をいくつか書いている人らしい。頼もしい助っ人を得て、さらに先日登場のセイン・カミュ(本名はヨニ)、そしてオデットという仕事仲間を含め、全員で6名の紀行となった。

ワシは幼少時代、カソリック系の幼稚園に通った。高校時代の一部を、米国はオクラホマ州で過ごすが、ここはバプテスト系の家族であった。さらに、大学はウェスレアン系である。ワシがキリスト教信者かどうかは別としても、平均的な日本人よりはキリスト教との距離が近いと思う。全部ではないにしろ、聖書にも触れていたほうである。特に幼少時代のカソリック系幼稚園での原体験において、エルサレム、ベツレヘムなどの地名に多く触れていた。またキリストが馬小屋で生まれた話とか、深く考えることができた年齢ではないのだが、漠然とした憧れというか、いつかは行かなきゃいけないと「感じていた」場所である。

この「感じていた」というのは、意外に大切なことのように思う。学問として、あるいは知識としての宗教感や信念、またそれを組み立てることが大事であることは否定しないが、人間はそれだけで生きるものではない。「感じる」こと=「感性・感覚」は理屈だけでは成り立たないし、そんな漠然としたものが、心を豊かにしてくれているのではないかと思うのである。三つ子の魂百までというわけではないが、ここに来る機会が与えられたのも何かの宿命なのかも・・・などと殊勝に思うワシであった。

イスラエルの高速道路。実際に走ってみると、アメリカの高速道路のようである。アルファベットと併記してヘブライ語が記載されていること、エルサレムに近づくとそこにアラビア語も併記されていることが違うぐらいで、米国に住んでいたワシにとって、あまり違和感を感じないってのが素直なところである。



さて、エルサレムと言えば、現在ではそこそこに大きな都市。しかしもともとは塀に囲まれた小都市である。Old City=「旧市街」と言われる部分。この集合写真の左後ろにある城郭の中が、エルサレム旧市街であり、ここがキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の「聖地」として有名なエルサレムである。1967年の第三次中東戦争(6日間戦争)までの約20年間、この写真の側は西エルサレム(イスラエル側)、そして谷を隔てた向こう側は東エルサレムとしてヨルダンに属していたらしい。(ちなみに、左端がアノン氏)



旧市街を谷間越しに見ながら、アノン氏が数奇なエルサレムの歴史を説明してくれる。

ヘブライ王国時代に都と定められた話
支配者が次々と変わった話(アラブであったり、ローマであったり・・・)
第二次世界大戦後に、国連案によって町が分断された話
6日間戦争で、イスラエルがヨルダンからエルサレムを奪回した話
そして、もちろん3つの宗教との関わりと、それにまつわる歴史の話

とにかく興味深い話ばかりである。こんなことなら世界史の勉強をもっとしておけばよかったと嘆きの壁を見ながら嘆くワシ。詳しいことを全部書けば、この日のことだけで、簡単に1ヶ月ブログを書くことができそうなくらいである。

谷を下り、向こうの丘を登ると旧市街。これがいくつかある入り口の一つ、ヤッフォ門である。



いろんな宗教の聖地であることも手伝って、いろいろな国の人が建てた建物が混在する。
そして我々は聖墳墓教会(イエスキリストが十字架に磔にされたゴルゴタの丘はここだとされる)に足を向ける。



まず目に入ってくるのが、死後のキリストの身体に、ユダヤ教の伝統に従って(ちなみにキリストはユダヤ教徒である)香油を塗ったとされる場所。多くの信者がその石に接吻をしたり、額をつけたりしていた。ワシは厳粛な雰囲気の中、その石に手のひらをあてて来た。そしてその背後にあるのが、キリストの磔から埋葬までを表現した絵である。






そして、キリストが磔にされた場所。キリストの没後にここが教会となったわけだが、建物がなかったとしても、よく絵でみるような「丘」という広大なイメージではないように思う。



ここには、十字架が立てられたとされる「穴」が残っており、熱心な信者の人たちがそこに手を入れている姿が見かけられた。

ちなみに、この教会の壁(上の写真)の左から2番目の窓にハシゴがかかっているのが見えるだろうか?この教会はその帰属をめぐって、キリスト教各会派がもめていたそうである。そして約150年ほど前、最終的に教会の壁を共有(みんなのものである=誰か特定の会派のものではない)とし、中に各会派の教会を置くことに決めたらしい。その時、改装中であった壁にかかっていたハシゴ。それがこのハシゴで、約150年間、和解のシンボルとしてそのままにされているとのこと。

さらに、ワシら一行は教会の奥深くへ。実はこの教会の中(地下とでも言えばいいのだろうか)には、池が存在する。水不足に対応するために、雨水をためる場所があるのだそうだ。普通観光客や、巡礼の人でも行かないようなその池に、ワシらは行ってみた。アノン氏のお陰である。




昔、この狭い階段(実際、かなり腰をかがめないと頭を何箇所にもぶつけてしまう)を、教会関係者は水を汲みに上り下りしていたのだろう。
キリストの足跡を追うだけで簡単に数日使えると思ったほどである。我々がここにいたのはわずか3時間。残念ながら今回は本当に限られた「観光」になってしまった。実は、これで全てではない。次回はエルサレム第二弾。
Comments (7)
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