アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

リスク評価の感覚はひどく不正確

2016年09月07日 | 生活
南極の話のとき、私は直感的に「えー南極基地で越冬なんて危ない」と思ったけれど、実際のところは南極基地滞在中、日本にいるより増えてるリスクと減ってるリスクがあるだろうしその両方を考えなければフェアじゃない。

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たとえば通り魔に刺されるリスクとかは減る(というか、ない)よね。あと、パンデミックでえらいことになったら南極だけ無事かも…あれ、なんかそんな話あったような…

もちろん、南極だったら、何をどう定量的に考えても、死ぬかまたは後遺障害が残る大怪我をするとかの可能性はやっぱり本国より高いでしょうね。南極本にも、ずいぶんなヒヤリハットがあったし(消火訓練で、ホースを操るときのミスで、危うく大怪我するところだった)。上に雪がかぶってみえない氷の裂け目に落ちたら助からないこともあるだろうし(引っ張り上げる訓練とかもある)。

ほんとは、リスクの評価をきちんとするのであれば、重大性と可能性の掛け算を考えないといけないけど。

人間はいつもそんなふうに、冷静に客観的に定量的に判断してるわけじゃない。

「生き残る判断生き残れない行動」アマンダ・リプリー
に書いてあった興味深い事例で、9.11のテロのあと、アメリカ国内の移動で、飛行機利用が減ってその分、自動車利用が増えたという話があった。

もちろん、あの鮮烈な(o_o) 映像を見てしまうと飛行機に乗るのが怖いというのはわかる。あぁなったらどうしようもないもの…
でもほんとうのところは、自動車利用のほうが飛行機より死ぬ確率は高いので、(コーネル大の研究によれば)テロ後の自動車利用シフトで2302人が余分に亡くなっているというのである。つまり、飛行機でも自動車でも行けるところに行くのに、「安全を考えて」自動車を利用したというのは間違いだということ。

それが間違いだとすると、そんな間違いをさせたのは何よといえばもちろんテロなので、この二千人余りの人もテロの(二次的な)被害者ということになる。

人々がおしなべて飛行機利用のほうを(現実よりも)怖いと感じた理由について、この本では
不安=制御不能+馴染みのなさ+想像できること+苦痛+破壊の規模+不公平さ
というように説明している。もちろん数値化できるようなもんじゃないけれど、飛行機事故っていったん起きればインパクトが大きい(破壊の規模)。それに、乗る人にとってはどうしようもない(制御不能)、いい人とか悪い人とか関係ないし(不公平さ)、車に比べて利用頻度が少なく(馴染みのなさ)、ハイジャックされたあと墜落するまでの恐怖といったら(苦痛)…ということが、ニュース映像を見たあとには容易に想像できてしまう。

逆に考えれば、「自転車」なんていうのは、リスクが感覚的に低めに見積もられているかもしれない。実際は、無視できないくらいの人数の死者が毎年出ているけれども、たいへん馴染み深い乗り物で、事故といっても規模は小さく(新聞の一面トップを飾ることもない)、そして制御が効く。事故の起こしやすさというのは明らかに人によって異なるわけで、その点、飛行機とは違う。自転車の場合、事故統計はともかく「自分は(慎重なので)大丈夫」と思うことができてしまう。

そんな調子で、危険/安全の感覚というのはたいへん狂いやすいので、自分の直感に頼る前に、もしも客観的データで比較することができるのであればそれを利用したほうがよさそうである。

データがないときは、上記の不安式(?)みたいなバイアスが起こりがちであることを考えに入れるのがいいのかな。難しいけど。

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コメント (4)
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