前にヤマハ教室でピアノを習ってたとき、先生がいきなり聞いてきたんです。「アルゲリッチと、アシュケナージと、ポリーニだったら誰が好き?」
←あなたの向かう方向は、耳が決める。
いずれも世界に冠たる大ピアニストで、もちろん知ってますけど、誰が好きというほどのファンではなく…その三人の中から強いて選べばアルゲリッチかな~?? などと私が迷っていますと、先生は
「私が好きなのはピレシュなのよね~(←オイいきなり選択肢にないもの言うな) アルゲリッチはうまいとは思うけど好きではなくて、アシュケナージは何がおもしろいのかわからなくて、ポリーニはすごいけど何がしたいの? って感じ」
私もピレシュ好きですよ~ここまで四人挙がった中では断トツ好きだな。けど名前の知られ方はだいぶ違うかしらねぇ。
まぁでも、そんな世界レベルのピアニストをずらり並べてうまい下手といっても、そんな軸でいうとサチッてるに違いないので、あーのこーのいっても詮無いことです。その辺どうしを比べるのはほんと趣味の領域、好きとか嫌いとか。
好き嫌いの軸と、うまい下手の軸は、やはり別のものではあります、よね。とはいえそんなにキレイに分かれるものかはわからないのですが、とりあえず、ポリーニが好きじゃない人はいても、ポリーニのことを下手呼ばわりする人はいない、というような。
ただ、そこまでわかりやすいレベルでない場合に、「うまい順」にピアニスト(というか自分が聞いたピアノ演奏)を並べてくださいといわれた場合に、その順番が万人に共通のものかというと、まったくそんな気はしません。
…ざっくりとは共通した部分もある、はず…
だけど、たとえば著名国際コンクールで専門家がずらり並んで採点してても、えらく意見が合わないことがあるように。素人だから、その耳があてにならないって話だけではなくて、どこまで訓練(?)を積んだ人でも、ぴたり同じ物差しを持つに至るってことはないんですよね。
思うに、音符が立て込んでいても正しく速く打鍵できているかどうかというような「うまさ」についてはおよそ意見の一致を見ることができるでしょうけど、
人によって、「これは許せない。論外」というポイントは人によって違うようです。
「それは、ショパンではない」
「そのテンポは、音楽的にありえない」
みたいに、ある人が「枠外」「判定外」とすることがありますが、それが必ずしも共有されていないということです。
すばらしい経歴(学歴なりコンクール歴なり)のピアニストの演奏の中で、私が「なにこれー、ちっともよくない!!」と思う場合は、私の中のそういう「NGポイント」に触れたときのようです。私は、音色がきたない場合、必要以上にうるさい場合、ノリが不自然な場合というあたりにNGポイントがあるらしいのですが(^^;; なにぶん、きたないとかうるさいとか不自然とかいっても、その基準は人それぞれかもしれません。
逆に、心にずしんと響く「萌えポイント」というのも当然人によって違うでしょうし、音楽というものの価値はそういう「萌えポイント」あってこそだとすれば、いくら好き嫌い抜きにうまい下手を比べようとしても、萌えを演出できない(と自分が感じる)人をうまいとは思いませんもんね。そして「萌えポイント」なんて人類共通なわけがないですから…
全員の「うまい下手ものさし」が完全一致する日が金輪際訪れないのも当然です。
というように、それぞれの人がそれぞれのものさしを持っているのですが、結局のところ、大人ピアノは
・自分の「耳」を使って練習し
・自分の「耳」を使って先生を選び
・自分の「耳」を使って好きな演奏家を選び
…
としているのですから、最も重要な「先生」は自分の耳なのですよね。そして上達することがあるとすれば、その自分の「耳」が指し示す方向に進んでいくのです。
自分の「耳」は他人の「耳」の方向と合っていないかもしれないけれど、その限りにおいて、困ることはないわけです。
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社
←またろうがイラストを描いた本(^^)

「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)

いずれも世界に冠たる大ピアニストで、もちろん知ってますけど、誰が好きというほどのファンではなく…その三人の中から強いて選べばアルゲリッチかな~?? などと私が迷っていますと、先生は
「私が好きなのはピレシュなのよね~(←オイいきなり選択肢にないもの言うな) アルゲリッチはうまいとは思うけど好きではなくて、アシュケナージは何がおもしろいのかわからなくて、ポリーニはすごいけど何がしたいの? って感じ」
私もピレシュ好きですよ~ここまで四人挙がった中では断トツ好きだな。けど名前の知られ方はだいぶ違うかしらねぇ。
まぁでも、そんな世界レベルのピアニストをずらり並べてうまい下手といっても、そんな軸でいうとサチッてるに違いないので、あーのこーのいっても詮無いことです。その辺どうしを比べるのはほんと趣味の領域、好きとか嫌いとか。
好き嫌いの軸と、うまい下手の軸は、やはり別のものではあります、よね。とはいえそんなにキレイに分かれるものかはわからないのですが、とりあえず、ポリーニが好きじゃない人はいても、ポリーニのことを下手呼ばわりする人はいない、というような。
ただ、そこまでわかりやすいレベルでない場合に、「うまい順」にピアニスト(というか自分が聞いたピアノ演奏)を並べてくださいといわれた場合に、その順番が万人に共通のものかというと、まったくそんな気はしません。
…ざっくりとは共通した部分もある、はず…
だけど、たとえば著名国際コンクールで専門家がずらり並んで採点してても、えらく意見が合わないことがあるように。素人だから、その耳があてにならないって話だけではなくて、どこまで訓練(?)を積んだ人でも、ぴたり同じ物差しを持つに至るってことはないんですよね。
思うに、音符が立て込んでいても正しく速く打鍵できているかどうかというような「うまさ」についてはおよそ意見の一致を見ることができるでしょうけど、
人によって、「これは許せない。論外」というポイントは人によって違うようです。
「それは、ショパンではない」
「そのテンポは、音楽的にありえない」
みたいに、ある人が「枠外」「判定外」とすることがありますが、それが必ずしも共有されていないということです。
すばらしい経歴(学歴なりコンクール歴なり)のピアニストの演奏の中で、私が「なにこれー、ちっともよくない!!」と思う場合は、私の中のそういう「NGポイント」に触れたときのようです。私は、音色がきたない場合、必要以上にうるさい場合、ノリが不自然な場合というあたりにNGポイントがあるらしいのですが(^^;; なにぶん、きたないとかうるさいとか不自然とかいっても、その基準は人それぞれかもしれません。
逆に、心にずしんと響く「萌えポイント」というのも当然人によって違うでしょうし、音楽というものの価値はそういう「萌えポイント」あってこそだとすれば、いくら好き嫌い抜きにうまい下手を比べようとしても、萌えを演出できない(と自分が感じる)人をうまいとは思いませんもんね。そして「萌えポイント」なんて人類共通なわけがないですから…
全員の「うまい下手ものさし」が完全一致する日が金輪際訪れないのも当然です。
というように、それぞれの人がそれぞれのものさしを持っているのですが、結局のところ、大人ピアノは
・自分の「耳」を使って練習し
・自分の「耳」を使って先生を選び
・自分の「耳」を使って好きな演奏家を選び
…
としているのですから、最も重要な「先生」は自分の耳なのですよね。そして上達することがあるとすれば、その自分の「耳」が指し示す方向に進んでいくのです。
自分の「耳」は他人の「耳」の方向と合っていないかもしれないけれど、その限りにおいて、困ることはないわけです。
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社

「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)