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アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

のばした指、曲げた指とか

2016年04月05日 | ピアノ
ソナチネアルバム1をポチって、いくつか弾いてみたときに、「あーそういえば爪伸びてた」と気づいて爪切りをした。

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つまりそのとき、数日間「エオリアン」しか弾いてなかったから、爪が多少伸びてても気になってなかったんですね。クーラウとかモーツァルトとかで、16分音符の音階チックなフレーズとか出てきたら無意識に曲げた指のほうに移行したということだと思います。

私自身は昭和のピアノ教室でピアノライフをスタートしたので、当然
「卵をつぶさないように」
っつーて習ってたハズなんですが、そもそも「曲げた指」方面で本格的にテクニックを磨きにかかる前に辞めちゃってるので、良くも悪くもほとんど影響ないというか強みもないというか。

弾きやすさや、出したい音色によって、そのとき都合のよい形で弾けばいいと思うし、特に主義主張でどっちということはない。

悪い意味で昭和のピアノというと、むしろ手の形というより「高いところから打ち下ろす」風の弾き方じゃないのかな? いつもそうやって弾いてたらそりゃうるさいし、どうかすれば手も傷めると思う。

思い返してみるに、母のやってた教室では、みんな「曲げた指」系で習っている(弾いている)ものの、「高いところから打ち下ろす」派ではなく、全体としてあまりうるさい感じの弾き方ではなかった。多少、単調なというか無味乾燥な演奏をする子が多いというのはあったかもしれない(だからシューベルトの即興曲がトラウマ)けど、それは別に指の形の問題がメインではないような気がする。

そんなことを考えながら、「のばした指 曲げた指 ピアノ」などと検索してみると、青柳いづみこさんのfacebookがひっかかった。
のばした指か、曲げた指か、それが問題だ。

これを読んで、びっくりしたのがロンが「典型的な「曲げた指」奏法」だったというところ。なんかドビュッシーに直接教わったりして、ドビュッシー曲が上手だったのかなというイメージがあり、そうすると勝手に(ほんとにただ根拠なく想像)のばした指を想像してたもんで。

そしてそのロンのお弟子さんがサンソン・フランソワ(のばした指…)という、なんか相性最悪コンビじゃないの、それ。

「生徒の弾き方を嫌い、あれでは音階を弾くときに「穴」ができると言っていた。つまり、タッチがふぞろいになるということだ。」
…そりゃ気に入らないだろうね…

そしてこの記事を読んで一番おもしろいと思ったポイントは、それぞれの「流派(?)」のピアニストの、予後というか老後の話。

指の鍛錬という意味では、「曲げた指」派のほうが断然、鍛えが入っているので、衰えにくいというのである。

むしろ、年取って円熟味が増してくると、若いころに弱点であった「うたう」という部分も豊かに身に着けて、そうするとすばらしい演奏をするという。

その一方で「ある年齢に達した「のばした指」系のピアニストは弾きなぐりが多くなり、鍵盤を正確にとらえることができないケースもみかける。」

ふーん…
そんなもんでしょうか。

もしそうだとすると、のばした指でも曲げた指でも、いかなる形においても若いころの鍛錬というものがほとんどない私とかは、今も下手なうえに衰えも早いってことか?? いやもう衰える前からタッチ不正確だったら関係ないのかなー(^^;;

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コメント (2)
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