アマゾンの1頭の蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を引き起こす、というたとえ話がある。近年自然破壊による地球温暖化と異常気象が生物の生存を脅かすに至って、非常に小さな事象の集積が大きな変動につながる、という意味で、バタフライ効果が現実味を帯びてきた。
まずは小さなロンドンLondrinaの物語から始める・・・。
1929年、ブラジル南部のパラナ州の密林に、イギリス資本の北パラナ土地開発会社の本拠が置かれた。地名はロンドンにちなんでロンドリナと名付けられた。10アルケイル=24.2ヘクタール≒24町歩に小分けされた分譲地に、東部のサンパウロ州から多くの日本人移民が移住した。
私の父母になる男女はそれぞれ1933年と1934年に移住し密林を開拓した。市のメモリアルにパイオニアとして記名されている。
開拓会社はまず鉄道を敷き、サンパウロの貿易港サントスに至る鉄道網に繋いだ。それにより、世界的に需要が高まったcafé の輸出で大発展する礎が築かれ、ロンドリナは数年で都市化し1934市制が敷かれた。翌年父母が結婚し1938年わたしが誕生した。
一連の写真で環境と生活の変貌を伝える・・・。
21世紀初頭のロンドリナ市のパノラマである。
開拓期の手前Igapo湖の写真(同位置)を下に掲載する。
近くの粘土地帯に母方の父母、兄弟がれんが-かわら工場を建設して成功を収めた。父は赤土の丘陵地帯にコーヒー農場を開いた。両地とも今では市街地に変貌して昔の面影はない。
残念ながら開拓を象徴する大木の伐採と天を焦がす山焼きは撮影されてない。開拓の道具は揃えたがどの家族もカメラをもっていなかったからである。とりあえず写真数葉を掲載する。
我が家の農地にも同様の切り株があった。足場を設置して写真の上端あたりで二人挽き大鋸で伐採した。切り株から食べられるキノコが採れたことをわたしは記憶している。
1938年母方長男結婚記念写真 後列左端父、前列左母と私(お腹の中8か月)
ほかは母の父母ときょうだい
掘っ立て小屋で誕生 3カ月
母方一家の煉瓦-瓦工場 背景に切り残りの樹木と大邸宅
私が10歳のころ、わが一家は帰国前に一時ここに身を寄せた。煉瓦積みを手伝って小遣いをもらったことがあった。手前の湿地帯で小鳥、小魚を捕った。手作りのパチンコ、釣竿で。
1940年頃 我が家の農場 実が生りはじめる樹齢4年ぐらいのコーヒの樹
80年ほどでジャングルがコンクリートジャングルに変貌した。振り返って、その広がりとスピードの影響におののいている。地球環境はそのストレスに耐えかね悲鳴を上げはじめた。
生態系は商品作物と牧場にとってかわった。高原の赤土は洗い流され化学肥料と農薬なしでは大豆も牛も育たない。次章で失われた生物多様性を体験的に綴る。