自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

労働、遊びと勉強/オーナー家族とイタリア人家族

2010-12-18 | 体験>知識

Nさんちは農場主らしく高台に離れてあり大邸宅に一家が娘婿まで住んでいた。
そこで戦中の田河水泡作漫画集『のらくろ』を読んだ。
時代を反映して戦争物だったが戦意高揚マンガではなかった。
のらくろは部下から「戦がないと腕がなまるので、どこかに攻めていきましょう」と持ちかけられた折には「猛犬連隊は正義の軍隊である。理由もなくよその国に攻め込むような野蛮な軍隊ではない。世の中が平和で戦争がなければこれほど結構なことはないではないか」と答えている。
防空監視役のらくろ一兵卒が頭の上に舞うハエを敵の戦闘機と間違えて高射砲を振り回すシーンに笑いこけてしまった。

Nさんちでの一番の思い出は、コーヒー収穫祭のシュハスコ、焼肉による打ち上げパーティ、だった。
牛1頭を捌いて切り刻んで野外テーブルの上に並べる。
大庭に掘った長い溝で薪を燃やした後の炭火で各自が好きな肉片を串に刺して焼いて食べた。
豪快なブラジル風バーベキューである。
農場内のすべての家族が参加した。
労働者たちの表情はまぶしいほど輝いていた。
シュハスコの最中に牛追いが二人してはぐれ牛を探しに来た。
「剥いだ皮を見せてくれ」と単刀直入に言われてNさんが二人を倉庫に連れて行った。もちろん疑いが晴れて一件落着した。

すぐ隣にイタリア人の大家族が住んでいた。
長女が15歳ぐらいの年齢だったから夫婦は30代後半の働き盛りだった。
前歴は不明だが父親はクラークゲーブル似の好男子で教養があった。
母親は今の日本人がイメージするとおりのイタリア女性だった。
明るくて親しみやすくそして頼りがいのあるお母さんだった。
子供たちは学校に通ったことがなかった。
そこで父親の発案で仕事が終わってから自宅で勉強会をしようということになった。
私も参加した。
教科書も黒板もなくアルファベットから始めた。
週1回の予定だったが農作業の疲れか子供たちの不熱心か数回で立ち消えになった。
この家族との付き合いがなかったら私は10,11歳の時期にほぼ日本人移民社会の中で暮らすことになりブラジルの言葉も文字も文化もほとんど獲得しないままになったことであろう。