親に強制されたわけではない。
当たり前のこととして重労働を受け入れた。
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コーヒー豆と朽ち葉と木っ端が混じった土盛りをペネーラというふるいに掻き込んで、まず土を振るい落とす。
ついで空中高く放り上げて風で葉っぱを飛ばす。
この放り上げを数回やってあらかた飛ぶものを飛ばすとペネーラにコーヒー豆と小石と木っ端が残る。
あとはコーヒー豆だけを選り分けて麻袋に詰める。
子供用のペネーラと言えども土とコーヒー豆で最初は10キロ近い重さだ。
不要物が減るにしたがって軽くなるが、この作業を半日続けると肩がこる。
それはまた土ぼこりとの闘いだから家に帰るころには全身土まみれだ。
坑内から揚がった炭鉱夫のように目も鼻も見分けがつかなくなる。
この作業はこどもには無理だった。
単純作業の棉摘みもやった。
日がな一日棉を摘むにはそうとう忍耐が要る。
袋詰めのコーヒーや棉を運ぶ作業は大人の男の仕事だ。
60キロとかその数倍の袋を一人か数人で運ぶ。
150cmそこそこの父は腹膜が裂けて脱腸になった。
与えられた境遇に是非もなく順応し逃げないで辛抱し続ける習慣をわたしはこの家族労働を通して身につけた。
選択肢がないという不自由もときにはプラスにはたらくものだ。