モノと心の独り言

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「知らなかった」「返したからいい」という政治資金時代は、自己統制でなく、社会システム制御で

2015-03-05 11:07:22 | 暮らし・街・環境

 「言葉が通じない」、「論理が通じない」など、生活信条も社会的理念も共有できるものを認めない現代では、いつものこと。だから、罪は自意識による自己統制ではなく、規制と処罰による社会システムにより、非社会的欲望を制御してもらう時代に入っている。個人が理性で自己をコントロールし、法律と契約が社会秩序を支えられるという近代も、多様な情報を個人が自由に発信・受信し、市場も生活も社会的に管理される‘情報化時代’の幻想も消えている。

 今、政治家、政党という人格や理念に基づいた政治社会は、基盤から崩れ形骸化している。’政治家’という職業人の政権という業界のシェア争いで、立法後の経過・結果よりも、後援者の利得が優先される。社会保障費の増大は、失いたくない健康と失った家族/地域の支えを求める選挙民の利得でもある。個別の個人や組織の利得を目的とする贈合を犯罪と証明するのは難しい。犯罪を発見するのは、街中にあふれる監視カメラであり、裏付けは物証であり、本人特定はDNAなど科学の時代。法執行後の結果や成果があいまいなまま、贈合の因果を証明するのは難しく、まして認識/意図の有無などを証言する人格・法人格は分裂している。

 ’超情報社会’での個人は、一時刺激に即応する動物化ではなく、その刺激と場に応じて多様な欲望を喚起され反応している、肥大した脳をもつ分裂した欲望だ。その行動の媒介である通貨の流れを規制するには、国民番号制と同様に、法人・団体番号制にするのが現代的ではないか? 法律をつくる政治家・政治団体に、どの法人・個人から金が寄付されたかと、どの法律がどれだけの社会効果をもたらしたかとの相関を公開すればいいのだ。当然、行政施策の予算と効果もまた、市場価値とは別の社会価値を、指標として、国・行政区・選挙区単位で持つ必要がある。

 政治家の活動とその資金調達と使途が妥当かどうか、贈与個人/組織への支援金や制度による恩恵との相関などが、決算報告ととものに公開される必要がある。それが選挙の基準となり、政治家個人として、また政党単位で、政治家と政策の評価をし、信任の手がかりとなる。人格は身分制度から、政党は理念社会からのなごりなのだ。社会認識が世代を超えて変わるのはそれほど早くはなく、人の意識は移ろいやすい。時代劇に親しむように、身分制/世襲制/政経軍事が一体だった封建制での生活意識を、未だに引きずっている。理念を指標替えて立法し、施行の経過・結果と効果の検証を続けるのが、これからの政治。 指標作りには、票田だけでなく理念を越えて、生活の現場から競合するグローバルな世界まで歩き、指標のためのデータを集め、政党理念を越えて目標/手段・行程・評価基準を熟議する必要がある。

そうすれば、市民・国民は、選挙時だけでなく、常に現状を政治家に伝え、対応を見守る必要がある。人もモノも活動も、企業はすでに、毎日が決算であり、世界の資源・人材・市場と競合して、持続性を高めている。農業ですら、世界の地勢・気候・農耕技術・流通市場条件と闘い、無形の価値創造をする時代だ。政治は、通貨効果、市場生産高・GDPなどだけでなく、生活価値をその地の文化に沿って創造し、無限の差異を求める人の欲望に応えつづけなければならない。行く先は、だれにも分からない。

個人・組織動向の自己管理に頼るのではなく、社会的な持続へと制御される、輻輳したシステムが必要だ。
「知られないこと」はいい、「返せばいい」とは、だれもが分かりきらないこの時代のいい訳であり、そこでは権益と公正さは時差の闇へ葬られる。


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