モノと心の独り言

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なぜ、社会的空間の回復を期待するのか?

2019-04-20 02:43:59 | 暮らし・街・環境

環境と繋がるセンシング・AIを実装した人々が、近代的個人という幻想を超えて、共振する社会へ進みだしている現在。

自身の意思、言葉、理念、判断への疑問を持つことが出発点。
近代の「思う我」の存在をを解体。
分散ネットワークのパーソナルデータに繋がる心脳身体が、五感とセンシング・デバイスで、自然・人工環境に接続されている。

個室・閉鎖空間では、ネットワークからの刺激が自身内で反響しあい、外部へ放出してバランスをとる。ドアは出入り、窓は刺激の出入り、地下室や天井裏の物理的な空間は、その記憶媒体となるモノの場。

機能空間(オフィス・飲食・エンターテイメントサービス消費空間)では、相似するフェーズの人同士の調整された反応が期待できる。言語・しぐさ・記号・論理・物語などの共有が、コミュニケーションを持続し、同時に振幅を自己調整する。

モノが電子刺激に還元されVR化が進み、活動がディープラーニングされAIロボティックスに置き換えられても、デジタル信号の密度と計算処理・心身への伝達速度は、リアルな環境と身体同士の相互反応の密度・速度・集積には及ばない。


環境+環境AI、人間+人間AI による偶然性を最大化して、創造性を引き出せる空間は、非機能化空間。

個室・機能空間の間の、非機能空間である共存空間こそ社会的空間。
近代的個人・組織が私有する個室・機能空間が広がり、社会的空間が道路・通路・目的別緑地・公園・農地・・・・と機能化され、単純化が進む。

しかし、差異を刺激に、変化を望み続ける人間の欲望は、合理的・効率的な量の拡大では満足できない。ここで更なる刺激を、日常に持ち込んでくるには、更なるモノ・サービスの消費ではなく、非機能的空間で起こる偶然性・多様性。

社会的空間が、量や速度を問われた時代から、質と緩さを求められる時代に。
ゆっくりと歩けば、環境と相互反応する感覚も繊細になる。刺激過剰のメディア・チャネルを細くするほどに、マインドフルな心身が環境に溶け出してゆく。
社会的空間の寛ぎとは、自己という殻を脱いだ、自然と人と人の間に漂う’気’に育まれる。
無常のあわれ、あっぱれは、ここに。


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