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昭JIJIの島旅賛歌⋇参加Ⅱ

日本の有人島は、416島で、414島(硫黄島、南鳥島は渡島できず)に渡島しています。2度目の全島制覇を目指しています。

壱岐・対馬3日間 41回目 対馬

2021-05-21 04:00:00 | 63九州北部・長崎県・対馬島
椎根の石屋根倉庫へ向かいました。


(椎根の石屋根倉庫へ)

椎根に着きました。


(椎根)

橋を渡り、石屋根倉庫へ向かいました。


(橋を渡り)

石屋根倉庫に着きました。


(石屋根倉庫)

「椎根の石屋根倉庫」の説明板がありました。


(「椎根の石屋根倉庫」の説明板)

石屋根倉庫について色々と説明がありました。この石屋根は、どこも小屋と呼ばれる倉が主で、人家には使用せず、衣類の櫃と穀類の俵等が格納されていたようです。以前、ここに来た時、たまたま居られた人に石屋根倉庫内を見せてもらいました。










(石屋根倉庫)
(写真撮影:2020.11)
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壱岐・対馬3日間 40回目 対馬

2021-05-20 04:00:00 | 63九州北部・長崎県・対馬島
拝殿の前に何やら物騒な物が置かれていました。こちらは日露戦争の戦利品のようです。


(日露戦争の戦利品)

拝殿左手には650年祭記念碑(左)と元寇700年平和之碑(右)がありました。


(650年祭記念碑と元寇700年平和之碑)

お墓のようなものがありました。


(お墓のようなもの)

幣殿とそれにつながった建物がありました。




(幣殿とそれにつながった建物)

奥殿です。


(奥殿)

その後、海岸にやってきました。海水浴場になっているようです。


(海水浴場に)

お祭りの写真が貼られていました。


(お祭りの写真)

小茂田漁港です。


(小茂田漁港)

海を渡る赤い横断歩道が設置されていました。


(海を渡る赤い横断歩道)
(写真撮影:2020.11)
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壱岐・対馬3日間 39回目 対馬

2021-05-19 04:00:00 | 63九州北部・長崎県・対馬島
「忠靈塔」がありました。


(忠靈塔)

「元寇奮戦図」があり、元寇について説明されていました。


(「元寇奮戦図」)

「雑詠」と彫られた石碑がありました。


(「雑詠」と彫られた石碑)

社殿へ向かい、参道を歩いて行きました。


(社殿へ向かい)

社殿が見えてきました。


(社殿が)

樋口正毅作の「小茂田浜の歌」の石碑が設置されていました。元寇襲来の様子が書かれていました。


(「小茂田浜の歌」の石碑)

「元寇750年宗助国公騎馬像」に対しての氏子一同による「感謝の碑」が建てられていました。


(氏子一同による「感謝の碑」)

社殿です。


(社殿)

社殿内部です。




(社殿内部)
(写真撮影:2020.11)
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壱岐・対馬3日間 38回目 対馬

2021-05-18 04:00:00 | 63九州北部・長崎県・対馬島
「対馬藩お船江跡」に着きました。


(「対馬藩お船江跡」)

久田川の河口に、人口の入江が構築され、内部に四つの突堤が設けられた。県指定史跡にも指定されているようです。








(「対馬藩お船江跡」)

次の見物場所、小茂田浜神社へ向かいました。


(小茂田浜神社へ)

小茂田浜神社に着きました。


(小茂田浜神社)

鳥居を潜り、神社内に入っていきました。


(神社内に)

石碑がありました。元寇関係のもののようでした。


(石碑)

騎馬像がありました。「元寇750年宗助国公騎馬像」です。


(元寇750年宗助国公騎馬像)
(写真撮影:2020.11)
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壱岐・対馬3日間 37回目 対馬

2021-05-17 04:00:00 | 63九州北部・長崎県・対馬島
川に沿って歩いて行きました。


(川に沿って)

ここにも石垣跡がありました。


(石垣跡)

ここにも石垣塀がありました。




(石垣塀)

浜殿神社に戻ってきました。


(浜殿神社)

観光情報館ふれあい処つしまに戻ってきました。


(観光情報館ふれあい処つしま)

時間があったので、少し周りを歩きました。丸太をくりぬいただけのものがありました。聞くと「蜂洞」と呼ばれる昔ながらのニホンミツバチの養蜂箱と言われました。


(蜂洞)

消防団の車庫がありました。


(消防団の車庫)

その近くにも石垣塀が見られました。


(石垣塀)

その後、バスに乗り、「対馬藩お船江跡」へ向かいました。


(「対馬藩お船江跡」へ)
(写真撮影:2020.11)
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