福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

奇跡の音響! エルプフィルハーモニー エッシェンバッハの「ロマンティック」を聴く

2019-06-21 10:56:07 | コンサート


カウフマンの歌っている最中、ひとりのご婦人が「声が全然聞こえない」と叫び、怒ってホールから退席した事件を筆頭に、なにかと噂のハンブルク・エルプフィルハーモニー。

音楽に興味のない観光客がドッと押し寄せ、演奏中も話し声やノイズが絶えないなど、良からぬ噂も耳にするなか、「何事も自分で体験せねば!」ということで、出掛けてきたのは、クリストフ・エッシェンバッハ指揮NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団による定期演奏会(2019年6月20日 20:00開演)。



演目は、ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第1番とブルックナー: 交響曲第4番「ロマンティック」(第2稿)
前半のチェロ独奏は、ニコラ・アルトシュテットである。



ショスタコーヴィチも渾身の名演であったが、ソロ・アンコールで弾かれたハイドンの交響曲第13番よりアダージョ・カンタービレが絶美であった。指揮者なしの弾き振り、というより弦のみ4-4-2-2-1との親密な室内楽で、その弓の上げ下げと息遣いだけで紡がれる夢のような世界!

わたしの座席は平戸間中央2列目やや左寄り、ちょうど目の前が第1ヴァイオリンの第2プルトというところ。ステージはとても低く、最前列から身体を乗り出せば奏者に触れることも出来そうなほど、身近な感じである。

わが第一印象は、「心落ち着くリスニングルームで、最上級のオーディオ・システムによって超優秀録音の音源を再生した音のようだ」
というもの。
コンサートホールの音響を形容するには不謹慎な表現と思われるかも知れないが、これは最大の讃辞である。ほぼ満点に近い、というより他のホールとは次元が異なる。

上手く調整されたオーディオ・システムでは、二本のスピーカーのド真ん中にひとりの歌手や奏者がキッチリ像を結び、あたかも、自分の目の前1メートルのところに、フィッシャー=ディースカウが立ち歌い、アンドレ・ナヴァラが弓を動かすのが見えることがある。これはオーディオならではのマジックであり、仮想の音楽空間であると、昨夜までは思っていたが、それがエルプフィルハーモニーというホールで、実際の生演奏で実現されたのである。これは驚異的と言わねばならない。



メインのブルックナーでも最上級の時間はつづいた。冒頭のブルックナー開始、弦のさざ波は、あたかも風に揺れる森の木々の囁きのようであり、また、清らかな泉の湧き出ずる音のようであり、どこまでも清廉でありながら、立体的なのだ。

我が座席の位置から、第2ヴァイオリンが少し遠いとか、管楽器が見えず、やや音がマスクされる、などの傾向があるのは、どのホールでも同じことだが、この場所でこれほど音楽を堪能できるのは驚異的。すべてを超えて現出する奇跡の音の柱には、ただただ唖然とするばかり。

その理由のひとつは、ステージの床にある。まるで、高級スピーカーのエンクロージャーのように、ステージ上のオーケストラの音にまろやかに共鳴しつつ、しかも混濁のないクリアな音を演出する。壁の素材や形状にも由来していることだろう。少なくともわたしの目の届く範囲のプレイヤー全員の息遣いや弓遣いを客席で共有できるとは、こんな至福はないのである。

まるで修道僧のようなエッシェンバッハの指揮は、ティーレマンのような煽りもなく、バレンボイムのような誇大な表現もなく、ただただブルックナーの音楽をありのままに響かせてくれた。第1楽章冒頭、金管によるブルックナー・リズム出現の直前の第1ヴァイオリンを、カラヤンの流儀で改訂版のようにオクターヴ上げさせていた場面も、全体の美から突出したものとならなかったのは流石である。



ところで、今回、気になってカウフマン事件の記事を再読してみたのだが、件の演目がマーラー「大地の歌」であった由()。なんだ! この記事が正しく、演目が「大地の歌」であったのなら、ムジークフェラインであろうと、コンセルトヘボウであろうと、サントリーホールであろうと、テノールの声が聴こえることはないではないか! 
記者は、面白おかしく書きたいのだろうが、エルプフィルハーモニーへの名誉毀損も甚だしい案件と言えそうだ(ただし、ほかの座席でどう聴こえるかは分からない)。

因みに心配された聴衆のマナーも、ここへきて落ち着いた模様。何人か退屈そうは顔も見受けられたが、静寂は保たれており、たいていの日本国内の演奏会よりよかった。なにやり鈴の音や飴の包み紙の音の心配がない(笑)。



本公演は、23日(日)に再演されるので、駆けつけたいところだが、チケットは発売と同時にソールドアウト。転売サイト経由では、ベルリン・フィル来日公演以上の高値となるため、購入を思い切れないでいる。当日、会場入り口で手に入ればラッキーというところか。



なお、今宵は同じエルプフィルハーモニーにて、クルレンツィス指揮南西ドイツ放送交響楽団によるショスタコーヴィチ「レニングラード」を聴く予定。今回は日本でいう3階席センターなので、音響の比較も含めて大いに楽しみなところである。

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「ドイツ・レクイエム」ベルリン・フィルハーモニー公演を終えて

2019-06-19 23:11:06 | コーラス、オーケストラ


昨日、6月18日(火)20時05分頃、ブラームス「ドイツ・レクイエム」第1曲へのタクトを振り下ろした。

まず、驚いたことは、オーケストラによる前奏の響き方が、ゲネプロとは全く違うこと。ベルリン・フィルハーモニーホールは、空席の時よりも満席の方が良い音響になる、という噂は聞いていたが、まさに身をもって体験することができた。余計な残響がスーッと聴衆に吸い取られ、すべての楽器、すべての声が極めてクリアに聴こえてくるのである。それでいて、バラけた感じは一切なく、美しくブレンドされた響きが生まれるのだから堪らない。

サントリーホール、東京オペラシティはおろか、ムジークフェラインザールの指揮台でも感じられなかった不思議な感覚であり、指揮者にまたあの指揮台に立ちたいと思わせるものだ。

今回、わたしは、本番前々日の合同コーラス稽古の前に現地コーラスのみの稽古、さらに前日のソリスト&コーラスとオーケストラ合わせよりも前に、オーケストラのみの稽古をリクエストしていたのだが、予算、会場、スケジュールの都合で認められず、前日の合わせ3時間と当日ゲネプロのみという苦境の中で本番を迎えなければならなかった。

尋常ならざる集中力と気合いで臨んだ本番は、オケ、ソリスト、コーラスともに上記の悪条件をものともしない素晴らしい出来映え、というよりも、アンサンブルに乱れを起こしてしまった第4曲を除く6つの楽章については、我が音楽家人生の中でも最高に近い感触をもったものである。

とはいえ、稽古がもう1日ずつあれば、コーラスにはもっと細やかなニュアンスを伝えたり、オーケストラにはもっと呼吸の一体化した余裕のあるアンサンブルとなった筈であり、大いに悔やまれる。事実、現地コーラスやベルリン交響楽団からは、もう少し練習したかった、という声もあったとのこと。再びベルリンを訪れる機会を設け、次回への申し送り事項としたい。



ベルリン交響楽団は、サントリーホール公演で共演したヴェリタス交響楽団に較べると不器用なところはあったと思う。ヴェリタス響の場合、コンマスの崔 文洙さんのリーダーシップが抜群で、彼に任せていれば、少々の問題が勃発しても楽員たちが自ら解決してくれたものだが、ベルリン響の場合、その解決に時間が必要であった。しかし、いざ解決したときの、或いはアンサンブルに乱れが生じたときですら、揺るぎない低音による重厚な味わいは、まさにドイツのオーケストラ。やり残したことがあったにせよ本番の指揮への順応は優れたもので、このオーケストラでブルックナーを振れたら、どんなに素敵なことだろうと今は思っているところ。



さて、今回、サントリーホール公演からベルリンで指揮をさせて頂くという機会を与えてくださり、国内練習の労を担ってくださったエメセックインターナショナルの丸尾直史さん、岩本絵美さん、名古屋練習会でお世話になった中村貴志先生、大阪練習会でお世話になった真木喜規先生、北爪かおり先生、また小沢さちさんはじめ、各練習会のピアニストの先生方、現地のソリスト、オーケストラ、ホールのお手配から会場を満席にしてくださったCulture Communication Consultingの寺崎哲夫さん、ベルリン交響楽団の関係者の皆さんには、お世話をお掛けした。心よりの感謝を申し上げたい。

カーテンコールで頂いた花束は、バス移動を幸いハンブルクまで同伴。宿泊先のデスクに飾らせて頂いた。25日の帰国まで美しい彩りで部屋を飾ってくれるだろう。

(一番下の写真は、終演後に楽屋を訪ねてくださったベルリン在住のピアニスト倉澤杏菜さんとともに)

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ドイツ・レクイエム 終演!

2019-06-18 23:00:58 | コーラス、オーケストラ


素晴らしい本番でした。
取り急ぎ、ご報告まで・・。



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本番前のひととき

2019-06-18 18:13:01 | コーラス、オーケストラ


本番前、ベルリン・フィルハーモニーホール舞台裏のレストランにて、シュパーゲルを頂きました。





ゲストコンダクター室には空調がなく、扇風機が回っていました。錚々たる指揮者が滞在したであろう部屋に入るのは感慨深いものがあります。



因みに、楽屋に置かれたピアノはヤマハでした。
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ドイツ・レクイエム 本番2時間半前!

2019-06-18 17:31:13 | コーラス、オーケストラ


「ドイツ・レクイエム」ゲネプロ無事に終了。

ベルリン交響楽団の響きが渋い!
特に唸るほどに深々とした低弦やヴァオラの内声に痺れます。

ホールのアコースティックに助けられ、管楽器群やティンパニの指揮への反応も格段によくなりました。



ベルリン・フィルハーモニーの響きにも包まれての幸せな時間を噛み締めつつの演奏。



というわけで、素晴らしい本番になりそうです。
ただいま、本番2時間半前。
しばし休憩して、本番に備えます。

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ベルリン交響楽団とのオーケストラ合わせ

2019-06-17 21:27:55 | コーラス、オーケストラ


ベルリン滞在もいよいよ佳境を迎えた。本日は、ベルリン動物園から南に2.5kmほどのNassauische Str.にあるホーエンツォレン教会にてベルリン交響楽団とのオーケストラ合わせ。

ソプラノ独唱: ベッティーナ・イェンセンさん、バリトン独唱: クラウス・ヘーガーさんとの初顔合わせでもある。



コンサートマスターのヘルムート・メバート氏は、元ベルリン・フィルのメンバーにして、暖かな音楽づくり。
たいへんな親日家であり、多く日本語で話しかけてくださった。



さすが、ベルリンのオーケストラだけあって、重厚で渋味のあるサウンド。器用過ぎない無骨さが、ブラームスには合っているように思う。
本日は、お互いを理解する時間でもある。欲を言えば、コーラスにもオーケストラにもあと1日レッスンが欲しかったのだが・・。



明日のゲネプロから本番にかけて、さらに素敵な演奏をしてくれるだろう。なんだか、明日で終わってしまうのが淋しい気持ちがしてきた。



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ドイツ・レクイエム ベルリン合同合唱稽古

2019-06-17 00:11:17 | コーラス、オーケストラ


ベルリン・フィルハーモニーに於けるコンサートを2日後に控えた16日(日)の午後、静かな住宅地の中に佇むシュテファヌス教会にて、ベルリン組との合同レッスンが行われました。



なかなか愛らしい屋根のこの教会。ステンドグラスも時間とともに表情を変えて素敵でした。心落ち着く空間で、響きも柔らかく美しい。わたしの音楽的要求に対するベルリン組の反応も好感触(しかし、1回で反応しきれるものでもないのだが・・)で、充実した3時間となりました。



いよいよ、明日17日(月)は、ベルリン交響楽団とのオーケストラ合わせ。もちろん2人のソリストも参加。気合いを入れていきたいと思います。






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アニヤ・カンペのトリスタンに平伏す 

2019-06-16 00:12:53 | コンサート


本日は、ベルリン国立歌劇場ウンター・デン・リンデンにて、バレンボイム指揮による「トリスタンとイゾルデ」のプレミエ。

トリスタン :アンドレアス・シャーガー
マルケ王:ルネ・パーぺ
イゾルデ: アニヤ・カンペ 
クルヴェナール:ボアズ・ダニエル 
ブランゲーネ: ヴィオレッタ・ウルマーナ etc.

贅沢なキャストを眺めただけで、興奮してくるが、本日の声の饗宴には、ただただ圧倒され通しであった。

アンドレアス・シャーガーといえば、東京春祭でのジークフリートの破天荒さが記憶に新しいが、本公演でも一体どこから沸いてくるのか? という無尽蔵の声には呆れるばかり。ジークフリートの記憶が強烈すぎて、トリスタンを歌っているのに「恐れを知らない男」に見えてきてしまうのが難点といえば難点か(笑)。

ヴィオレッタ・ウルマーナも深々とした情感でもってブランゲーネの憂愁を歌いきり、ボアズ・ダニエルのクルヴェナール、ルネ・パーぺのマルケ王にも一分の隙もない。

そして、何と言っても素晴らしかったのが、アニヤ・カンペによるイゾルデ。オーケストラを軽々と超える力強く、伸びやかな声。気高い精神性を湛えた存在感。

ただただ、平伏すのみ。



バレンボイムの指揮も素晴らしいものだった。7年前にウィーンで聴いたブルックナー「8番」は、どこか巨匠ぶった指揮と意味もなく立派な音楽づくりに辟易したものだが、今宵のオーケストラは雄弁にして繊細。バレンボイム特有のオイリーで粘りある弦の歌に、ホルンやバス・クラリネットの思い切った強奏が効果的。愛の躊躇い、不安、歓喜など、トリスタンとイゾルデの心の移ろいが見事に音にされていた。



演出については、愚痴や不満ばかりになるので、多くは語らないでおこう。第1幕で、トリスタンを運ぶ船が、まるで豪華なクルーズ船のようである、という一事をもって興醒めも甚だしい。ワーグナーのサウンドにマッチしていないことに気付かないのだろうか?



なお、この歌劇場の音響は素晴らしく、内装も含め建物としての魅力も大。ベルリン・ドイツ・オペラの遥か上をいくものであると感じた。 








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アンドラーシュ・シフ ベルリン・コンツェルトハウス管

2019-06-14 16:38:04 | コンサート


今宵は、ベルリン・コンツェルトハウスに初見参。アンドラーシュ・シフとコンツェルトハウス管の演奏会を聴いた。

プログラムは、前半にバッハ: イタリア協奏曲、ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第1番。休憩を挟んだ後半は、バルトーク: 管弦楽のための協奏曲

つまり、シフによる独奏~弾き振り~指揮という流れになるわけだ。

オーケストラを着席させたまま弾いたイタリア協奏曲こそ些か求道的に過ぎて、シフならではの閃きに欠けた気もしたが、次のベートーヴェンは生き生きとした生気とに溢れた超一流の至芸を見せた。まさに自由闊達。ユーモアあり、悲哀あり、憧れあり、なんとも美しいベートーヴェン。

オーケストラのコントロールも抜群で、力づくの場面は外務省。柔らかな響きを主体に千変万化の彩りの移ろいを聴かせたのである。

アンコールは、シフの独奏で、バッハ:パルティータ第1番よりメヌエットⅠ&Ⅱとジーグ。まさに天衣無縫。イタリア協奏曲とは別人のような冴えを聴かせた。



さて、ここで、後半のバルトークの話をしなくてはならないのだが、休憩時間より不意に襲われた睡魔によって、演奏については殆ど記憶がない。ただ、シフの虚飾のない真っ直ぐな指揮姿が、どこか高田三郎先生に似ていたなぁ、という朧気な印象のみ。

そもそも、バルトークの音楽を聴いて幸せを感じたことのない人間なので、意識があっても、楽しめたか否かは定かでない(バルトーク・ファンの皆さま申し分ありません)。

なお、コンツェルトハウスのアコースティックは素晴らしく、全体に昔ながらのコンサート会場という趣があって落ち着いた。いつか指揮台に立ってみたいものである。



Konzerthausorchester Berlin,
Sir András Schiff

Artist in Residence

KONZERTHAUSORCHESTER BERLINSIR
ANDRÁS SCHIFF Piano

Johann Sebastian Bach
„Concerto nach italienischem Gusto“ F-Dur BWV 971

Ludwig van Beethoven
Konzert für Klavier und Orchester Nr. 1 C-Dur op. 15

PAUSE

Béla Bartók
Konzert für Orchester

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マスネ「ドンキ・ショット」に酔う ベルリン・ドイツ・オペラ

2019-06-14 09:34:24 | コンサート


昨夜は、再びベルリン・ドイツ・オペラへ。マスネ「ドン・キショット(ドン・キホーテ)」を観る。

座席は、日本風でいう3階席から壁沿いに舞台に向かって降りていくところ、その左サイド。随分高さがあって、高所恐怖症のわたしは一瞬怯んだが、東京文化会館の4階ほどの恐ろしさはなく、何とか落ち着いて座ることができた。

フランス・オペラに明るくないわたしにとって、この作品を聴くのも観るのもはじめての体験であったが、マスネ熟達の創作による音楽は、佳きスペイン趣味に彩られ、メロディもリズムも楽しく、味わいがあって大いに魅了された。何度でもリフレインしたくなる傑作であることに気付いた次第。

歌手では、ドン・キショットの恋い焦がれる女性、ドゥルシネ役のクレメンティーヌ・マルゲーヌ(メゾ・ソプラノ)が出色の出来映え。妖艶でありながら深みと憂いを湛えたその声と華のある舞台姿は、彼女が秀でたカルメン歌いであることを彷彿とさせた。

ドン・キショット役のアレックス・エスポジート、サンチョ・パンサ役のセス・カリコによる低声コンビも、声、演技ともに、滑稽、悲哀、真剣な愛を描いて見事であったが、ドン・キショットの役作りが老人というよりはバリバリの働き盛りのようであったのは、演出上致し方ないところか。それにしても、伝説の名歌手シャリアピンのために書かれたという作品だけに、更なる貫禄、存在感があれば、なお良かっただろう。

指揮はエマニュエル・ヴィヨーム。N響にも来演記録があるスキンヘッドの指揮者。わが座席からは、指揮姿が僅かにしか見えなかったのであるが、随分エネルギッシュな指揮ぶりで音楽を盛り立てていた。

"Jules Massenet: DON QUICHOTTE [Audience Reactions]" を YouTube で見る



演出については、門外漢ゆえ多くは語れないが、たとえば、ドン・キショットがドゥルシネの頭上から赤の花びらを浴びせると、ドゥルシネの衣裳が白から赤に早変わりするなど、とにかくお洒落。古典的で余りに常識的(奇抜よりは百倍よいが)であった前夜の「マノン・レスコー」よりも遥かに精彩があった。もっとも、本公演がプレミエから数えて4公演目ということで、その初心が保たれていたこともあるだろう。

しかし、よいことばかりでもなく・・。昨夜は日本でいう2階席、3階席正面が学生たちに埋め尽くされていたのだが、彼らの騒々しいこと夥しく、オケのチューニングが終わっも、自習時間の教室のような騒がしさ。開幕してピアニシモの場面でも、ヒソヒソ声や物音が絶えず、再三にわたり鑑賞を阻害されたのは残念であった。カーテンコールでのバカ騒ぎは、歓声や口笛が鳴り響き、さながはアイドル歌手かロックコンサートの乗り。なんだか憂さ晴らしのようにしか聞こえなかったが、クラシック音楽ファンの減少が危惧されるなか、彼らのうちの何人かでも、オペラに興味を持ってくれる可能性があるとするなら、これも受け入れざるを得ないのか?

なお、音響は、平戸間に較べ桁違いに良かった。これならオペラの醍醐味を味わえるというもので、「マノン・レスコー」もこの座席で聴いたなら、もっと感動できていただろう。
ステージ上方の字幕も見やすく、価格も平戸間の半額となれば、こちらを選ばない手はない。

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