福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

ラフォル・ジュルネの豊穣

2015-05-04 22:54:36 | コンサート
本日、聴いたラフォル・ジュルネの3公演はいずれも素晴らしかった。



まず、ヴォックス・クラマンティスの「十字架の道行き」では、前回よりもペヌティエの内面が激しており、指揮者トゥルヴェの最短距離で真実に迫真する姿勢は同じながら、ほんの少し違うテイストだったのが嬉しい。ただ、聴衆の質は、前回の方がよく、今回は息をするのもはばかられる超絶のピアニシモの場面で、紙のクチャクチャする音がするなど、何度か残念な場面があった。

ロイド指揮ローザンヌ声楽&器楽アンサンブルによるバッハ「ト短調ミサ」、ヘンデル「ディクシット・ドミヌス」では、敬虔なバッハ、エネルギッシュなヘンデルと、それぞれの作曲者に相応しいアプローチで臨んでいたのが素晴らしい。
チェロとオルガンによるコンティヌオの絶妙のバランス感覚は、ヨハネ受難曲と同じだが、本日は、オルガン協奏曲的なソロの華やぎもまた美しかった。
オーケストラもコーラスも申し分なし。団内ソリストの1人1人の力は「おや?」ということもあるが、コーラス全体の声の豊穣さは日本のコーラスとは一線を画す。この辺りの秘密を我々は解明し、ものにしていかねばならないだろう。
指揮のロイドは、抜きん出た個性や孤高のカリスマ性とは無縁ながら、確かな音楽性で演奏を纏め上げていた。彼の薫陶あってこそのローザンヌ声楽&器楽アンサンブルの今があり、コルボが思う存分に力を発揮できるのもそのために違いない。

なお、本公演の会場はホールC。わたしの座席は3階席最後列の右端という最もステージに遠い位置にあったが、音響はホールAの何十倍良かったことか。この音でヨハネ受難曲を聴きたかったものだ。



さて、最後に聴いたプラジャークSQには打ちのめされた。作曲家が妻への20年間の愛を込めたというボロディンの2番では、その愛の濃密さ、切なさ、そして深さに打たれ、スメタナ「わが生涯より」では、聴力を失った作曲家の慟哭が、痛切な音となって胸に突き刺さった。

それにしても、プラジャークSQの凄さ。1人1人素晴らしい音楽性を持ちながら、4人の身体がどこかで繋がっていて、同じ血液が廻っているのではないか? と思わせるほどに親密なアンサンブルで魅せた。4人の個性が激しくぶつかり合うといったタイプとは別の弦楽四重奏の本道を聴いたように思った。

それにしても、会場のよみうりホールのレトロさにも唖然とした。まるで昭和30年代の映画館のような古びた空気感。残響のなさも日比谷公会堂を思わせるものだったが、不思議と演奏が伝わってきた。いくつかの音楽専用ホールより余程演奏家の息遣いが感じられたのは嬉しい。ただし、演奏前のアナウンスに「当ホールは、十分な耐震構造を備えております」の文言のなかったことは、ちょっと恐怖だけれど。
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