お昼過ぎの新幹線までの時間、後楽園に近い夢二郷土美術館を訪ねることとした。シン・ゴジラをもう一度観てもよかったのだが、どうせなら別の音響のよい施設を選んでのこととしたい。
画家・竹久夢二については、実のところ、知識も思い入れも薄く、「あの情緒的な美人画の作者」くらいの認識しか持ち合わせていなかった。むしろ、大好きな日本歌曲、小松耕輔作曲「母」の詩人として親しみを感じていた。
母
ふるさとの 山の明け暮れ
みどりのかげにたちぬれて
いつまでも われ待ちたもう
母は かなしも
幾山河 とおくさかりぬ
ふるさとの みどりのかどに
いまもなお われ待つらむか
母は とおしも
この佳曲を愛するあまり、簡素なハーモニー付けをして女声コーラスで演奏したことも、かつてはよくあったものだ(スコアは見ていないが、青島広志による編曲もあるらしい)。
美しい詩の中で、母が夢二を待ちつづけた故郷が、旧岡山県邑久郡(現・瀬戸内市)であったということを知ると感慨もひとしお。久しぶりに指揮したくなった。
夢二郷土美術館 http://yumeji-art-museum.com
シン・ゴジラはさておき、夢二郷土美術館を訪ねた直接の動機は、油絵である。わたしの中で夢二と油絵というものが結びつかず、いったいどんなものかとこの目で確かめておきたかったのである。
ただいま展示中の目玉は、ロサンゼルスから里帰りしたという幻の「西海岸の裸婦」。
日系人写真家・宮武東洋(1895-1979)に送られたものが大切に保管されていたのだという。
48歳にして初の洋行。大きな期待と意欲をもって訪ねたアメリカが、大恐慌のまっただ中という不幸。展覧会は注目も浴びず、作品も売れず、苦しい日々を過ごした中、描かれた一枚の油彩画だ。
しかし、夢二に詳しいとはいえないわたしから見ても、ここに新しい何かの生まれつつあるのを感じる。異文化との出会いが、夢二の魂に大きな化学変化を起こさせたに違いない。
その後の竹久夢二がドイツ・チェコ・オーストリア・フランス・スイスに旅したことことや、その苦労がもとで体調を崩し結核を患い、50歳の誕生日目前という若さで亡くなったこともはじめて知った。
風景画、静物画、挿絵など、目を見張る作品も多く、「竹久夢二、美人画のみにあ非ず」を実感できたのは嬉しい収穫だ。
数奇な女性遍歴も含め、もっと夢二のことを知りたいと思わせたばかりでなく、自分もまた内なる音楽を変えるような大きな冒険をせねばならない、と感じさせた夢二郷土美術館への訪問であった。