コンサートの前半は「魔笛」序曲と「40番」。
当初、「レクイエム」の前プロを「ジュピター」にするのか「40番」にするのか大いに迷った。去る3月の長岡リリックホールでの「ジュピター」を録音で聴いて、「まだまだ、もっと出来るぞ!」と発奮したからだが、11年前にウィーンで振って以来ご無沙汰の「40番」の魅力は抗しがたかった。そこで、ラッパとティンパニを擁し、幕開けに相応しい華やかな空気感を持った「魔笛」序曲を置くことで、「ジュピター」への誘惑を断つことにしたのだ。
「魔笛」序曲にしろ、「40番」にしろ、リハーサルの途中で指揮を止めて、長々と指示をする、という場面は殆どなかった。それが指先であれ、広げられた両腕であれ、顔の表情であれ、我が想いを肉体に表現すると、オーケストラは、ほぼ思った通りの反応を見せてくれたからだ。
さすが、プロフェッショナルと言いたいところだが、このあたり、年がら年中付き合いながらも、なかなか反応してくれない各コーラスには見習って欲しいところである(笑)。
ところで、わたしと東京ヴェリタス交響楽団の「40番」には、「疾風怒濤とは無縁の堂々たる表現」「ゆったりしたテンポによる大きなスケール」といった感想を多く頂戴した。
実は、つい先日まで、わが胸の中には、それとは別の音楽、カザルスのライブ録音のように激しく、熱い演奏が鳴り響いていたのだ。しかし、本番の直前、わが「40番」へのアプローチが激変する出来事があった。
母の死である。
本番の4日前、11月12日(日)14時58分、鹿児島の病院にて母は息を引き取った。ちょうど町田市合唱祭にて、スウィング ロビンのリハーサルを控えていたころである。そのステージでは、木下牧子先生の「鴎」(詩・三好達治)を振りながら想いを天に馳せ、母の魂に別れの挨拶をした。
ここひと月の間、時間を見つけては鹿児島を訪ね、その都度、最後の別れのつもりで接してきたので、大きな後悔はない。翌13日にお通夜、14日に告別式を済ませると急いで帰宅。前日の15日には、ソリストとオーケストラを迎えてのリハーサルを行い、コンサート当日を迎えたというわけである
葬儀は悲しみに満ちていたが、同時に涙に濡れた幸せも感じることもできた。天災、事故や戦争などにより、いったいどれほどの人々が、身内との静かな別れの時間を持つことができないことだろう。それを想像するに、こうして家族揃って母を見送ることの出来たことの有り難さをしみじみと感じたのである。
いざ母を亡くしたあと、「40番」のスコアを開いたとき、心の中に疾風怒濤は吹き荒れることはなかった。むしろこの作品を熱く、激しく演奏しようとすることに「嘘」を感じてしまったのだ(カザルス盤の否定ではない。あそこにはギリギリの真実がある。とても真似のできるものではない)。結果、遅めのテンポを基調とした、どこか客観的なモーツァルトとなったわけだが、自分の意思というよりも、何者かがこのようなテンポや表現を選ばせた、と思えなくもない。
さらに言うなら、もしプロオケの定期演奏会のように、本番が2日あったなら、二度目の演奏は全く違ったものとなったような気もする。叶わぬ望みだが、もうひとつの演奏も聴いてみたかったものだ。
今回の演奏は、あの愛知祝祭管とのブルックナー「8番」の驚異のワンポイント録音を成し遂げたワオンレコードさんによって記録された。もちろん、今回も純度の高いワンポイント録音である。タケミツメモリアルのアコースティックの素晴らしさから、相当な優秀録音が予想される。
仕上がりを聴くまでは何とも言えないが、出来映えに満足ゆくなら「魔笛」序曲と「40番」だけでも、アナログ・レコード化したい気持ちが沸き起こってきている。もちろん、資金繰りの困難は予想されるし、演奏家たちへの了解を得るというハードルも横たわってはいるのだが・・。
いかんいかん。焦りは禁物。いまは先走ることなく、シュテファン大聖堂でのモーツァルト「レクイエム」公演に集中することにしよう。
当初、「レクイエム」の前プロを「ジュピター」にするのか「40番」にするのか大いに迷った。去る3月の長岡リリックホールでの「ジュピター」を録音で聴いて、「まだまだ、もっと出来るぞ!」と発奮したからだが、11年前にウィーンで振って以来ご無沙汰の「40番」の魅力は抗しがたかった。そこで、ラッパとティンパニを擁し、幕開けに相応しい華やかな空気感を持った「魔笛」序曲を置くことで、「ジュピター」への誘惑を断つことにしたのだ。
「魔笛」序曲にしろ、「40番」にしろ、リハーサルの途中で指揮を止めて、長々と指示をする、という場面は殆どなかった。それが指先であれ、広げられた両腕であれ、顔の表情であれ、我が想いを肉体に表現すると、オーケストラは、ほぼ思った通りの反応を見せてくれたからだ。
さすが、プロフェッショナルと言いたいところだが、このあたり、年がら年中付き合いながらも、なかなか反応してくれない各コーラスには見習って欲しいところである(笑)。
ところで、わたしと東京ヴェリタス交響楽団の「40番」には、「疾風怒濤とは無縁の堂々たる表現」「ゆったりしたテンポによる大きなスケール」といった感想を多く頂戴した。
実は、つい先日まで、わが胸の中には、それとは別の音楽、カザルスのライブ録音のように激しく、熱い演奏が鳴り響いていたのだ。しかし、本番の直前、わが「40番」へのアプローチが激変する出来事があった。
母の死である。
本番の4日前、11月12日(日)14時58分、鹿児島の病院にて母は息を引き取った。ちょうど町田市合唱祭にて、スウィング ロビンのリハーサルを控えていたころである。そのステージでは、木下牧子先生の「鴎」(詩・三好達治)を振りながら想いを天に馳せ、母の魂に別れの挨拶をした。
ここひと月の間、時間を見つけては鹿児島を訪ね、その都度、最後の別れのつもりで接してきたので、大きな後悔はない。翌13日にお通夜、14日に告別式を済ませると急いで帰宅。前日の15日には、ソリストとオーケストラを迎えてのリハーサルを行い、コンサート当日を迎えたというわけである
葬儀は悲しみに満ちていたが、同時に涙に濡れた幸せも感じることもできた。天災、事故や戦争などにより、いったいどれほどの人々が、身内との静かな別れの時間を持つことができないことだろう。それを想像するに、こうして家族揃って母を見送ることの出来たことの有り難さをしみじみと感じたのである。
いざ母を亡くしたあと、「40番」のスコアを開いたとき、心の中に疾風怒濤は吹き荒れることはなかった。むしろこの作品を熱く、激しく演奏しようとすることに「嘘」を感じてしまったのだ(カザルス盤の否定ではない。あそこにはギリギリの真実がある。とても真似のできるものではない)。結果、遅めのテンポを基調とした、どこか客観的なモーツァルトとなったわけだが、自分の意思というよりも、何者かがこのようなテンポや表現を選ばせた、と思えなくもない。
さらに言うなら、もしプロオケの定期演奏会のように、本番が2日あったなら、二度目の演奏は全く違ったものとなったような気もする。叶わぬ望みだが、もうひとつの演奏も聴いてみたかったものだ。
今回の演奏は、あの愛知祝祭管とのブルックナー「8番」の驚異のワンポイント録音を成し遂げたワオンレコードさんによって記録された。もちろん、今回も純度の高いワンポイント録音である。タケミツメモリアルのアコースティックの素晴らしさから、相当な優秀録音が予想される。
仕上がりを聴くまでは何とも言えないが、出来映えに満足ゆくなら「魔笛」序曲と「40番」だけでも、アナログ・レコード化したい気持ちが沸き起こってきている。もちろん、資金繰りの困難は予想されるし、演奏家たちへの了解を得るというハードルも横たわってはいるのだが・・。
いかんいかん。焦りは禁物。いまは先走ることなく、シュテファン大聖堂でのモーツァルト「レクイエム」公演に集中することにしよう。
レクイエムの方は、ソリストの権利の問題、アマチュアコーラスのパフォーマンスが録音でどう聴こえるか? など、いくつかハードルがあります。実際の音を聴いてから考えたいと思います。