福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

期待外れに終わったゲルギエフのブルックナー8番

2018-09-21 21:59:09 | コンサート


「2番」の好演から大いに期待された「8番」であったが、結果は今ひとつであった。

もっとも、特別な凡演というわけではない。随所でオーケストラがよく鳴っていたことも含め、普通に良い演奏と呼ぶことはできようが、チェリビダッケ、ヴァント、マタチッチ級の特別なブルックナーとして語ることはできないのである。

両端楽章で顕著だったのは、第1主題、第2主題、第3主題のキャラクターの描き分けが弱いこと。ゲネラルパウゼ後もそれ以前と同じ空気感で進行してしまうので、ブルックナー特有のオルガン的な構成美が見えてこない。

第3楽章では、ビッグバン的なクライマックスへ至るゼクエンツ、その積み重ねのプロセスが脆弱で、いつの間にかシンバルが鳴っていたという、呆気なさがあった。

さらにフィナーレのコーダの加速は、いかにも唐突で、音楽から気品を奪っていた。最後のミレドが腑抜けた感じだったことは、赦すとしても。

しかし、なにより、全曲を貫く大きな柱に欠けること。ブルックナー作品に於ける絶対的造物主への畏敬、神秘性、大自然の息吹、宇宙の鼓動などを一切思わせることなく、単なる音響美の追求となっていたことなどが、根本的な欠陥なのだろう。このあたり、「2番」では通用しても、「8番」には歯が立たないところ。音楽の深さ、高さが桁違いなのだ。

また、一昨日の「9番」同様、まだゲルギエフが作品をモノにできていないのでは? という疑念も残る。良い部分と凡庸な部分の継ぎ接ぎ感があったり、有り得ない振り間違いから、アンサンブルの乱れた、或いは乱れかけた箇所がいくつかあったことは事実である。

聴衆はかなり熱狂していたが、あんなに持て囃しては、演奏者のためにならないように思うのだが・・。



写真は開演間際までさらう、ミュンヘン・フィルのコントラバス軍団。こういう光景はなかなか良いものだ。



さて、明朝はいよいよベルリンに飛び、後発の大阪フィル合唱団と合流となる。夜はベルリン・フィルハーモニーにて、ハーディング指揮のブルックナー5番を鑑賞予定。

4夜続けてのブルックナー鑑賞とは、全くの偶然であるが、なかなか体験のできないことである。来年6月に行われるブラームス「ドイツ・レクイエム」公演の会場下見も兼ねて、出掛けてこよう。
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