福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

ブルックナー「8番」からバッハ「マタイ受難曲」へ

2016-02-01 00:09:36 | コンサート

今日は1日、何もすることなく自宅で過ごした。
何処へも出掛けず、何もしないというのは久しぶりだ。せっかくの休みなのにレコードすら聴かなかった。
丸1日、「マタイ受難曲」公演の余韻を静かに味わう時の与えられたこと。天に感謝したい。

今回の「マタイ受難曲」は、昨今流行の快速テンポとは無縁の超スローテンポのパフォーマンスとなった。ゲネプロから類推するに第1部だけでも90分前後掛かった筈だから、超弩級と呼べるクレンペラーの98分には及ばないものの、カール・リヒター旧録音の88分と同等かそれよりも長い演奏と言うことになる。古楽器演奏でもっともゆったりしている部類のレオンハルト盤でさえ75分弱であることから、その異例の遅さがお分かり頂けると思う。

しかし、聴衆のみならず、合唱団員、オーケストラのメンバーからは、「あっという間だった」という声はあっても、「遅い」という声は聞かれなかったように思う。つまり、「時計で計れば確かに遅いけれど、体感的には遅くない」というテンポで演奏できた、ということで、これは自分の掲げるひとつの目標を達成できたということになる。第1オーケストラのコンサートマスター・天野寿彦さんにも「これもありです。遅いテンポでしかできないことが、沢山ありました」と言って頂けたし、第2オーケストラ首席の長岡聡季さんにも「スタイル優先の演奏が多いバロック音楽ですが、スタイルはメッセージを伝えるためにあるのだ、ということを再認識出来ました」とのお言葉を頂戴できた。また、打ち上げに参加してくださったオーケストラ・メンバーから「弾きながらこんな幸せを感じる演奏会は、滅多にありません」と言って頂けたのは大きな歓びであり、自信にもなった。

これまで、バッハの宗教作品では「ロ短調ミサ」を4回、「ヨハネ受難曲」を2回指揮する機会を与えられたが、テンポは概ね中庸であった。その点、今回の「マタイ」とは大きく異なるわけだが、それには理由がある。ある日を境に自分の呼吸法が数次元のワープを遂げてしまったからである。ずばり、愛知祝祭管とのブルックナー「8番」本番の1週間前に突然起こった我が身の変容。ブルックナーの交響曲を極めつくそうと作品の深奥に入り込み、作品と同化していくうちに、これまでにない悠久のテンポ感に目覚めてしまったのである。

つまり、今回の「マタイ受難曲」は、我がブルックナー体験なしには生まれえなかった演奏ということになる。音楽は人間を豊かにするけれど、中でもブルックナーの音楽には人をここまで変える力があるのだ、ということをつくづく実感できた本番でもあった。

さて、素晴らしき独唱陣について、献身的なオーケストラについて、そしてコーラスの奮闘やそれを支えてくれた方々については、日を改めて書きたいと思う。

福島章恭指揮 ブルックナー:交響曲第8番(かもっくすレーベル) http://tower.jp/article/feature_item/2014/12/12/1106

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