最近負け方について考えることがありました。
いろんなゲーム、勝敗を争う遊びの中でのことで、プロ的な勝負ではありません。
例えば将棋を指していて、勝敗は多くの場合「頭金」を逃れられないような状況で決まります。
マア、簡単な詰む手順が見えていて、それを逃れるような手段が無ければそれも終局の条件でしょう。
ということは、状況的には9割方不利な状況であっても、「不利」ということだけで「敗戦」を宣言する必要は無いでしょう。
時間に制限がある場合なら、時間切れで終局し「この勝負は負けていましたね」・・・で良いだろうと思うのですが
しかし将棋においても「勝てそうも無くなったら投了」しなくてはいけないみたいに考える人もいるので難しい。
「勝てない将棋を何時までも指すつもりだ?」でしょうが、不利な状況から必死に耐えて、何とかしようとする方の立場は何と考えるのでしょうかね。
(「優勢はともかく”絶対勝勢”だと思っているのはあなただけ」と言ってしまえばきっと喧嘩になる)(「絶対勝勢」だといわないで欲しいと言ったとして、その後負けたとしても確率50%のことが起きただけで、嘘とかハッタリでは無いと思うのですが・・・)
つまりはっきり「投了」なら勝で、感想で「負けていました」では時間切れ”ロープ”みたいな中途半端な気分なんでしょうね
ともあれ、ゲームとしての将棋の内容はともかく、人と人の遊びとしては「負け方が下手」なんでしょうね。
それは私に何か勘違い的な思い違いがあるのか
「最後」まで頑張るのが最低のマナーだと思っているのですが、この「最後」と言うところが問題で、いろんなゲームでだいぶ違いがある
例えば野球では、もしコールドゲーム既定があればそれに従えば良いのであって、各自が判断して決めることでは無い。
サッカーの場合は、例え何点差がつこうが時間内は全力でやらなければいけない
多くのボールゲームはそうですね、点数と時間でコントロールされています
アメフトの場合のみはやや違って、最後の何秒か残してギブアップもある・・・
ともかくあるゲームが、どういうことを目標として戦っているかで終局の仕方が違うはず・・・だから将棋の場合は「王」が動けなくなった時点で終了ですから、そこから類推して投了の時期が決まるはず
さて囲碁の場合は、地を争っているのですから、数量的な判断が伴う
勿論、素人の勝負ですから最後の最後に何が起こるか分からないにしても、「不利だと感じている方」が「逆転不能」だと判断した時点が「投了」の絶好点
と言うことは、対局している両者の息があっていなければ、案外このタイミングは難しいということになりますね。
プロの場合はハイレベルの人たちの戦いですから、この投了のタイミングは概ね両者の判断が合っているでしょう
でも私たちみたいなザルの場合は・・・それでも互い先の場合はある程度は合うかもしれませんが、置き碁の場合はかなりタイミングが違って来ることがあります。
例えば置かせ碁の場合
マラソンで言えば相手は30km地点からスタートするようなレースですから、相当大差負けのハンデを追っての戦い。
まさか初めの時点で「こんなに差があってはどうしようも無いでしょう?」と投了を強制する下手はいませんね。
白にとってはゴールの競技場のホームストレートまでが勝負です。
従って途中どこかで併走状態に持ち込めれば、内心は勝利を意識します。
この状態から黒が再び白を突き放せるならば、それは既に置き碁の差ではないか、せいぜい2子でしょうね。
ともかく黒さんの絶好の「投了ポイント」はこの辺りでしょう
勿論勝敗を左右するような大石の生き死にがあれば別ですが。
黒さんが最後まで打ったとしてもそれはそれでかまいません、寄せには入ってからの投了とか、ダメしかなくなって石を崩すとかでなければ。
問題は白不利なまま終盤を迎えた場合(勿論中盤であっても)
それも大差ならば当然「投了」としても、微妙な感じがある場合
この差と言うものが具体的な数字ではなくて「逆転可能かどうか」という、局面の状況によるし、考え方と言うか判断の仕方にもよる
もし黒氏が「こんなに黒が有利なのになんで白は投了しないのか」と考えているとして、白の見方考え方を具体的に言うわけにはいかない。
だから一局が黒の思惑通り終局したとして「なんて思い切りの悪い白だ」と言う感情が残るかもしれない。
「白には白の考えがあってやったのだろう」と思うかどうかは「盤上からの判断」ではなくて、「日頃から観察している人間性?の判断」によるかも知れません
逆に言うと、白も早めに投了すれば良い人という評価はもらえるかも知れませんが・・・投了かどうかのピンポイントかどうかはザルなりに引っかかります。
それでいて、黒氏を困らせるような打ち手でなければいけないだろうし・・・勝つのも難しいけれど、負けるのも難しいものです。
いろんなゲーム、勝敗を争う遊びの中でのことで、プロ的な勝負ではありません。
例えば将棋を指していて、勝敗は多くの場合「頭金」を逃れられないような状況で決まります。
マア、簡単な詰む手順が見えていて、それを逃れるような手段が無ければそれも終局の条件でしょう。
ということは、状況的には9割方不利な状況であっても、「不利」ということだけで「敗戦」を宣言する必要は無いでしょう。
時間に制限がある場合なら、時間切れで終局し「この勝負は負けていましたね」・・・で良いだろうと思うのですが
しかし将棋においても「勝てそうも無くなったら投了」しなくてはいけないみたいに考える人もいるので難しい。
「勝てない将棋を何時までも指すつもりだ?」でしょうが、不利な状況から必死に耐えて、何とかしようとする方の立場は何と考えるのでしょうかね。
(「優勢はともかく”絶対勝勢”だと思っているのはあなただけ」と言ってしまえばきっと喧嘩になる)(「絶対勝勢」だといわないで欲しいと言ったとして、その後負けたとしても確率50%のことが起きただけで、嘘とかハッタリでは無いと思うのですが・・・)
つまりはっきり「投了」なら勝で、感想で「負けていました」では時間切れ”ロープ”みたいな中途半端な気分なんでしょうね
ともあれ、ゲームとしての将棋の内容はともかく、人と人の遊びとしては「負け方が下手」なんでしょうね。
それは私に何か勘違い的な思い違いがあるのか
「最後」まで頑張るのが最低のマナーだと思っているのですが、この「最後」と言うところが問題で、いろんなゲームでだいぶ違いがある
例えば野球では、もしコールドゲーム既定があればそれに従えば良いのであって、各自が判断して決めることでは無い。
サッカーの場合は、例え何点差がつこうが時間内は全力でやらなければいけない
多くのボールゲームはそうですね、点数と時間でコントロールされています
アメフトの場合のみはやや違って、最後の何秒か残してギブアップもある・・・
ともかくあるゲームが、どういうことを目標として戦っているかで終局の仕方が違うはず・・・だから将棋の場合は「王」が動けなくなった時点で終了ですから、そこから類推して投了の時期が決まるはず
さて囲碁の場合は、地を争っているのですから、数量的な判断が伴う
勿論、素人の勝負ですから最後の最後に何が起こるか分からないにしても、「不利だと感じている方」が「逆転不能」だと判断した時点が「投了」の絶好点
と言うことは、対局している両者の息があっていなければ、案外このタイミングは難しいということになりますね。
プロの場合はハイレベルの人たちの戦いですから、この投了のタイミングは概ね両者の判断が合っているでしょう
でも私たちみたいなザルの場合は・・・それでも互い先の場合はある程度は合うかもしれませんが、置き碁の場合はかなりタイミングが違って来ることがあります。
例えば置かせ碁の場合
マラソンで言えば相手は30km地点からスタートするようなレースですから、相当大差負けのハンデを追っての戦い。
まさか初めの時点で「こんなに差があってはどうしようも無いでしょう?」と投了を強制する下手はいませんね。
白にとってはゴールの競技場のホームストレートまでが勝負です。
従って途中どこかで併走状態に持ち込めれば、内心は勝利を意識します。
この状態から黒が再び白を突き放せるならば、それは既に置き碁の差ではないか、せいぜい2子でしょうね。
ともかく黒さんの絶好の「投了ポイント」はこの辺りでしょう
勿論勝敗を左右するような大石の生き死にがあれば別ですが。
黒さんが最後まで打ったとしてもそれはそれでかまいません、寄せには入ってからの投了とか、ダメしかなくなって石を崩すとかでなければ。
問題は白不利なまま終盤を迎えた場合(勿論中盤であっても)
それも大差ならば当然「投了」としても、微妙な感じがある場合
この差と言うものが具体的な数字ではなくて「逆転可能かどうか」という、局面の状況によるし、考え方と言うか判断の仕方にもよる
もし黒氏が「こんなに黒が有利なのになんで白は投了しないのか」と考えているとして、白の見方考え方を具体的に言うわけにはいかない。
だから一局が黒の思惑通り終局したとして「なんて思い切りの悪い白だ」と言う感情が残るかもしれない。
「白には白の考えがあってやったのだろう」と思うかどうかは「盤上からの判断」ではなくて、「日頃から観察している人間性?の判断」によるかも知れません
逆に言うと、白も早めに投了すれば良い人という評価はもらえるかも知れませんが・・・投了かどうかのピンポイントかどうかはザルなりに引っかかります。
それでいて、黒氏を困らせるような打ち手でなければいけないだろうし・・・勝つのも難しいけれど、負けるのも難しいものです。
