岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

この道は何を語っているのか(2)

2009-08-22 05:00:36 | Weblog
 (今日の写真も昨日掲載したものと同じ「林内に続く道」である。同じ場所から昨日のものは上部を、今日のものは下部を撮ったものだ。
 花は「ノブキ」ぐらいしか咲いていないが、「花」が少なくても、十分に自然の美しさを秘めている。山の季節からすると、この時季は「初秋」だ。まだまだ、夏緑を十分に残している。
 草々や林縁の低木の葉は、まだ「夏緑」であるが、その奥に立ち並んでいる「杉」木立の緑は、それよりも濃い緑である。一方を明るく淡い緑とすれば、もう一方は暗くて濃い緑とすることが出来よう。
 日射しは写真の右上空から射し込んでいる。杉の枝や葉、それに幹に遮られた部分だけが「踏み跡道」に影を映し、陰影によって断ち切るかのような模様を流している。
 さらに、周りの夏緑にも陰影を散らして、「明るく淡い緑」と「暗くて濃い緑」の他に、「日射しの遮られた暗い緑」という色彩が存在しているのである。
 「夏緑の世界」という限定的な表現では、とうてい描ききれない「美の世界」があるのである。
 だから、この時季の、この「道」は四季の中でももっとも美しい場所だろうと私は思うのだ。)

         ◇◇この道は何を語っているのか(2)◇◇

 百沢登山道の登り口は、正しくは「神社参道」の下端に位置する白い大きな「鳥居」である。百沢登山道は、元来「岩木山登拝道」だからである。
 だが、最近、岩木山に登山する者は、いや、「山頂に登りさえすればいい」とする「登山客」は、ほぼすべてが自動車道路「スカイライン」と「リフト」を乗り継いでという方法を採っている。
 「日本百名山」踏破ランキング競争にうつつを抜かしているマニアたちは、『東京方面から「貸し切りバス」で土曜日に出発をして、日曜日の朝に「岩木山」にスカイラインで登り、下山後は、そのまま「八甲田山」に向かい、ロープウェイを利用して「八甲田山」に登って、その日のうちに東京方面に帰る』というキチガイじみた「登山」をしている。
 『「日本百名山」ランキング競争マニア』たちからすると、一挙に「百名山中の2山」の頂上に立てるのだから、これほど「合理的」なことはないのだろう。
 だから、この人たちが「この道」を歩くことは絶対にない。この「すばらしい」古来からの登山道の「雰囲気」も「風情」も味わえないまま「岩木山ミニミニ登山」は終わるのである。
 「百沢登山道」を登る人も、この「大鳥居」から出発する者は少ない。ここから登る人は「路線バス」を利用して「岩木山神社前」で下車する者か、あるいは自家用車で来て、ここに自動車を置いて登る者に限られてしまう。
 「路線バス」は「岩木荘」まで行くものもあるので、「岩木荘」で下車すると、やはり、「この道」は通ることはない。
 自動車で来るものは、そのまま、殆どが「スキー場」へ続く道を登って、「スキー場駐車場」に直行する。この人たちの「登山口」は「百沢スキー場」の下端、「桜林」の上端ということになる。この人たちにとっても、この「写真」の道は「割愛」されてしまうのだ。
 まあ、いいか。大鳥居から登り始めて、荘厳さと自然がいっぱい残っている「境内林の道」を歩き、出たところが「荒涼とした無機物」を中心とした原野に近い「景観」、そこであまりの風情的な違いから、「文化際性」を感じて「落ち込むこと」よりも、精神的にはいいのだろう。そう考えることにしよう。
 岩木山には現在、5つの登山道がある。しかし、このような「踏み跡道」のような林内の道を持っているものは「百沢登山道」しかないのだ。
 ただし、1996年までは、杉木立ではなかったが「ミズナラ」林内に、これ以上にすばらしい「踏み跡道」的な「登山道」を持っていたルートがあったのだ。
 それは、「弥生登山道」である。その道は「大黒沢右岸」の尾根に取り付くまで続いていた。「ミズナラ」は太く、幹の直径は50cmを越えるものが沢山あった。夏緑の頃、私たちは、その青葉がキラキラとさざめく中を、涼風に誘われながら、ゆっくりと「森」を満喫しながら登ったものだ。
 ところが、1997年、突然、その森は「伐られ」てしまった。私たちが「気づいた」時には、すでに「伐られてしまった」後だった。
 営林署に問い合わせたところ…「そのミズナラ林が薪炭(しんたん)共用林(注1)であることによる既得権(入会(いりあい)権)(注2)の行使によって、管理しているの人たちの要望により、約五ヘクタールに渡って伐採した」ということであった。
 しかも、そこは水源涵養保安林でもあった。水源を維持し洪水を未然に防止するための林を営林署が主導で伐採してしまったのである。
 このことは東奥日報「明鏡」欄に「切られていたお山の保安林」と題して投稿もされた。その概略は…
「…一合目を過ぎて五分も歩くと、わが目を疑うような光景が飛び込んできました。そこに広がっているはずのミズナラの林が、登山道と沢沿いの広範囲にわたってポッカリとなくなっていたのです。ミズナラは切りそろえられて丸太となって…空き缶、軍手、ビニール袋などのごみが散乱し、この辺一帯が水源涵養保安林であることを示す看板が、ねじ曲がって上を向いて立っていました。…決して忘れることのできない、心に残る風景となりました。…もう少し登山道に配慮した伐採ができなかったのでしょうか。」…である。 

 「ミズナラ」というすばらしい緑の空間を失ったことは、登山する者には大きな衝撃であると同時に取り返しのつかないほどの喪失感でもあった。
 どうして伐採する前に入会権を持つ人とそれを許可する営林署に加えて、登山道を保守点検し整備する人たち、登山を楽しみそこを利用する人たちと話し合う機会を持たなかったのだろうか。
 もし持ったならば、登山道沿いの「ミズナラ」は伐られずに残ったかもしれない。どうしてそこまでの姿勢と思慮に欠けるのか。残念で悔しい思いに捕らわれた。
 一方では、化石燃料全盛の今時、どうして「薪炭」が必要なのだろうか、誰が使うのかという疑問がうず巻いていた。
 ところで、そこにはその後直ぐに「スギ」の苗が植えられ、今は「スギの植林地」になっている。そもそも薪炭共用林は伐期が短期間で更新するから薪炭材を採取出来るものであろう。そこに「スギを植える」ということは「薪炭林の拒否」である。入会権の放棄である。
 登山者が愛した森、そして、その中に続いていた「道」、それらに対する「登山者の思い」などは全く無視された。いや、営林行政の範疇には「登山者」とか「登山」という概念は存在しないのかも知れない。

注1:薪や木炭用の主として広葉樹林。伐期が短く萌芽によって更新される。
注2:住民が特定の権利を持って一定範囲の森林・原野に入り共同で木材・薪炭・草などの採取すること。
(なお、このことについての詳細は拙著「陸奥に屹立峰(みちのくにひとりたつみね)・岩木山」八.登山道の整備とは167ページ~を参照されたい)

『先日掲載した「信じられないこと」について二、三言及する(その8)』は字数の関係で本日は休載とする。