岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

親友TKさん逝く(3)

2009-08-09 05:26:58 | Weblog
 (今日の写真はイワウメ科イワウメ属の常緑矮小低木の「イワウメ(岩梅)」である。まさに、「緑地に踏ん張り天上に向かい自立する命」そのものである。
 普通、「イワウメ」は光沢のない「垂直で黒い岩壁」の所々に、「深緑の絨毯(じゅうたん)が貼り付けられ、それにはクリーム色の小花の刺繍(ししゅう)が施されている」ように「緑地に踏ん張って」咲くものである。
 だが、この場所の「イワウメ」は水平な地肌に咲いているのだ。写真の中に他の「花」を探してみよう。咲き終えたもの、これから咲き出すミチノクコザクラが先ず目につく。ミヤマキンバイの葉も見える。下端左にはナガバツガザクラ、上端右にはエゾノツガザクラが見える。この狭い場所で、自然の摂理に従い、太陽を含む自然の恵みを均衡に分かちあっている。何とすばらしい「共存」ではないか。この営為は、競争に日々を送っている人間たちを遙かに凌ぐことであるように思えた。
 雪消えの早い場所のイワウメはすでに花は終わっている。5月に咲くのだから当然だろう。だが、ここの「お花畑」では8月になってから咲くのである。)  

・居往来山(いゆきやま)阿弥陀仏(あみだほとけ)と観音に抱かれたるは彼の御霊(みたま)ぞ                               (三浦 奨)

 昨晩の通夜の次第には「和尚さんによる法話」と「弔電披露」がなかった。このことは事前に分かっていたので、奥さんから「通夜の始まる前に司会者からの話し」として少し語るということが許されていた。
 そこで披露したのが、冒頭の短歌である。この短歌に関連づけながら、彼との関わりや思いで、人となりを紹介したのであるが、心持ちからするともう少し時間がほしかった。導師入場と通夜開始時間を遅らせまいとする自主規制に縛られて、「話し」にまとまりがなくなってしまった。特に「彼の人となり」への言及が少なくなってしまったことが、残念でならない。
 私は「岩木山」に向かって手を合わせることがある。それは真西に岩木山を見てのことだ。だが、これからは少し北寄り、つまり右に体をずらした位置で合掌するだろう。何故か、山頂と巌鬼山に挟まれた大鳴沢の源頭、そこに存在する「お花畑」に向かって祈ろうとするからである。そこで、彼の「御霊」は安息の日々を過ごしているのだ。

 昨日も書いたが、TKさんの通夜では司会をやった。これは、彼の強い意向によるものだ。祭壇に飾る写真も私が用意した。
 彼は「写真」が得意で私の写真の「師」でもある。昨年、上梓した「岩木山・花の山旅」の後書きに「写真に関しては、特に、ド素人である私にとっては、かつての同僚で、写真術に長けるTK先生に、写真全般については言うまでもなく、時には撮影の足役や同行までしてもらうなど、簡単な言葉では表現できないほどお世話になった。真摯に謝意を述べたい。」と書いたくらいだ。
 彼は他の人や他の事象を写すことは得意なのだが、自分が写されることを嫌った。照れもあるのだろうが、何よりも前面に出ることを好まない謙虚な人柄がそうさせるらしい。だから、一緒に山歩きをして、彼を写す時は、これは嫌らしいことなのだが、自然に「盗み撮り」という形になってしまう。
 そのような彼だから、奥さんが『「祭壇」用の写真がない』と言った時、「そうだろうなあ」と思わず頷いてしまった。このことを言われたのは7日である。
 打ち合わせをし、午前中に帰って来て、午後の3時過ぎまでに、私は「ファイル」の中から「彼の写真」を探し、「祭壇用」として使えるものを2枚選び出した。
 そして、A3サイズのカラー印刷をしてから、奥さんに届けたのだ。そして、その中から正面祭壇用と祭壇前の壇上に飾るものを選んで貰い、それを葬儀屋さんに渡したのである。
 その2枚の「山登り」をしている方は「祭壇前の壇上」に、「写真展でのスナップ」の方を正面祭壇に飾ることにすると奥さんは選んだのだ。
 「正面祭壇」を飾ったものは、私と一緒に2回目の「岩木山の写真展」を開いた時のものである。1回目は、百沢と岳を繋ぐ県道30号線の途中にある、現在「岩木山観光協会」の事務所になっている「建物」で開いた。彼が退職1年目、私は残り1年で退職という年の夏だった。私はまだ勤めていた。
 夏休みだというのに「講習」という正規の授業外の「授業」があり、私は朝からその場所に詰めることは出来なかった。授業を終えてから自転車で、その場所に毎日駆けつけたものだった。もちろん、彼は朝から、奥さんと一緒に、その場に「詰めて」、見に来て下さる方々への「案内や解説」に務めていた。私はまさに、彼に「おんぶに抱っこ」の状態だったのである。
 そして、2回目は私が退職した年である。場所は岩木町にある「みちのく銀行岩木支店」だった。この「正面祭壇」用の写真は…
 彼と2人で額縁に入れた写真を、その日の「現金取り扱い業務の終わった」時間帯に「みちのく銀行岩木支店」に搬入して、ロビーでの「飾り付けや設定」を終えた時のものである。
 お互いに「ご苦労さん」と言い交わしながら、「記念に1枚撮っておこう」と言って写したものだ。
「展示完了だ。レイアウトもうまくいった。明日からお客さんに見て貰える。ほっとした」という気分で私は彼を写した。彼もそのような気分でいたのだろう。穏やかな満足感溢れる優しい笑顔をの写真であった。
 通夜に参加して下さった方々の多くは、祭壇前に進む足をしばし、留めて、その「彼」に見入っていた。横向きに見える司会者の席からは、そのことがよく分かった。
 中には、遺族席にいる奥さんに「いい写真ですね。今にも生きかえって来そうですね」とか「優しい先生そのままの写真ですね」と言う人もいた。

 その時、私のことを彼が「私のカメラ」写してくれた。「ファイル」にはこの写真の次のコマに私が写っている。その私が写っている写真と彼の写真には、謙虚な「穏やかな満足感」がある、なしという「雲泥の違い」があった。