岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

「ぶな巨木ふれあいの径」は簡易舗装道路 / 白神山地「ぶな巨木ふれあいの径」ぶな伐採問題(5)

2009-08-27 05:36:30 | Weblog
 (今日の写真は、白神山地「ぶな巨木ふれあいの径、簡易舗装道路工事」中のものだ。完成すると「マザーツリー」と称されている観光スポットである「ブナ」までの、あの「簡易舗装道路」と同じものになる。)

     ◇◇「ぶな巨木ふれあいの径」は簡易舗装道路になる?◇◇

 …実測していないので「幅」ははっきりしないが1m超であろう。両側に板で枠を取り、道部分には「砕石」を敷いてある。この「砕石」部分と上に敷かれるコンクリート部分
の厚さは10cm程度だろう。
 「ブナ原生林」や「マザーツリー」で人を集めておいて、この「原生」と「マザーの母性に由来する元々や元来」という意味と、この「人工物」の乖離は何なのだろうと、暗い気持ちになるのは、私一人だろうか。
 このことについては、いずれ詳しく書くつもりでいるが、今回の『白神山地「ぶな巨木ふれあいの径」ぶな伐採問題』には、この「簡易舗装道路」敷設に深く関係していることがあるのではないかと思うのだ。
 このことについては「明日」書くことにする。

  ◇◇ 白神山地「ぶな巨木ふれあいの径」での巨木ぶな伐採問題(その5)◇◇
(承前)

 …ところで、樹木が自然に倒伏して、その部分だけ「森にぽっかりと空間」が出来ることを「ギャップ」という。「ギャップ」は「隙間」と訳される。
 本来の森は、この「ギャップ」の生成を自然任せにしている。「森」の「遷移」もまた、「自然任せ」であり、「多様な生態系」の中で、「ゆっくり時間をかけ」て「生々輪廻」しながら循環していく。
 「ブナ」の巨木や壮樹を「伐採」することは「人工的にギャップを造ること」に他ならない。これは「循環する自然」に、「異物」を差し込むようなものだろう。「森」からすると「余計なお世話」を人がしていることになる。これは「自然発生的に生じる遷移」のプロセスではない。
 基本的に「循環する森」のことを考えると、そこには「伐採」など、人の手を加えるべきではないのだ。「ぶな巨木ふれあいの径」は「極相林」の中にある。あの場所は、人が利用するために「手を入れて育ててきた」という「雑木林」ではない。
 もしも、「雑木林」程度にしか把握していない人たちがいるとすれば、そこが問題なのだ。少なくとも、あの場所を「人のために利用して利潤を得よう」と考えるのならば、それが「雑木林」扱いをしていることになるのだ。

 ブナなど大体1種類の「樹木」で成り立っている森を「極相林」という。「極相林」は「陰樹林」でもある。極相林に「ギャップ」が生じると、その「明るい林床」には「陽樹」が多数出現する。
 私は専門家でないので、よく分からないが…、芽生えから大きくなるまでの過程で、「多くの光を求める木」すなわち、「生育に最低限必要な光合成量が比較的多いタイプの樹木」を「陽樹(ようじゅ)」と呼び、逆に「少ない光」でも、つまり、「光合成量」が少なく、「日陰でも生育可能な木々」を「陰樹(いんじゅ)」…と呼んでいるようだ。
 「陽樹」は、生育に多くの光を必要とする。それゆえに、ある程度成長した森の中では生育出来ない。だが、十分に光を浴びた場合、その成長量は比較的高いものが多いので、若い「雑木林」では、この陽樹が優勢となる。
このように、「ブナ」を伐採すると、その「森」に「人工的なギャップ」を造ることになり、「陽樹の生育」を促し、「極相林」内に「雑木林」的な部分を形成することになるのである。これは、明らかに「人工的な変異」だろう。
 僅かに1本程度の「伐採」ならば、広い森の林冠に1つの「ギャップ」である。森林でも、1本の大木が倒れて林冠にギャップが生じた場合は、その「林床部分」に光が入るので、陽樹が発芽生長する。
 だが、実際は10本の「ブナ」を伐って「10カ所のギャップ」を「時同じくして」造ってしまったのだ。「光」は屈折し、散乱し、反射して広がる。一度に多くの「ギャップ」の生成は、森を明るくして、「光」を隅々まで拡散させて、一斉に「陽樹」の発芽を促すだろう。
 これでは、まさに、「人の手による撹乱(かくらん)」である。自然現象による「撹乱」は、いい意味で「遷移」を促す。しかし、「極相林」への人工的な「撹乱」は「生物の多様性」を破壊するだけで何一ついいことがないのだ。
 「ススキ草原に陽樹が侵入し、陽樹からなる森林(陽樹林)に移行して、森林が成立すると、その林床には陽樹が発芽しにくくなるため、日陰でも発芽成長する陰樹に次第に代わられる」ことを「遷移」という。だから、「極相林は陰樹林」なのである。
 「陽樹」は「樹木の遷移」においてはパイオニア的な樹木だ。素早く大きくなり「ギャップ」を塞ぐ役割をしている。だから、これらは確実に、「陰樹の極相林、ブナの森」を「陽樹の雑木林」に変えていくだろう。
 「伐採や山火事などによって破壊されたことがなく、人手が加えられたことのない自然のままの森林」を「原生林(げんせいりん)」と呼ぶ。これは誰もが共通して理解していることだろう。また、「ブナ原生林」という場合は「ブナが極相に達した原生林」ということでもある。
 「白神山地・ブナ原生林」というのならば、確実に「ブナが極相に達した原生林」を保持しなければいけないだろう。それをしないと、「看板に偽りあり」ということになる。「原生林」を「雑木林」にしてはいけない。そのためには、「伐採」をして「陽樹の森」に変えるようなことをしてはいけないのである。
 大馬力で素晴らしい速さを出すが「燃費がよくない」自動車、力は余りないが「少しの燃料で長距離走行が出来る」自動車、前者は「陽樹」である。後者が、ブナなどの「陰樹」である。
 ブナの森には「燃費がよくない」ものは必要ない。永く、長く生き続ける「少しの燃料で長距離走行が出来る」ものだけでいいのだ。それが「自然の成り立ち」である。(明日に続く)