(今日の写真は落葉樹の春の森だ。詳しく説明すると「岩木山白狐沢左岸尾根」のブナ林である。この尾根のブナ林は「扇ノ金目山」手前の斜面で姿を消す。そこから細い稜線を辿る斜面は急峻で、幹や枝が歪に曲がり陳こびたダケカンバやミネザクラ、それにチシマザサの生える痩せ尾根になっている。
標高が800mを越えているのでブナはいずれも細く丈も余りない。「原生林」なのか「二次林」なのか判別するのが難しいところだ。
ただ、この尾根のブナは標高の低いところから、上背はあるが余り太くはない。やはり、数十年前に、いやそれ以前にも数次にわたって伐採されたもののようである。その証拠に、ブナの極相林を形成するための「遷移」途中を示すオオヤマザクラやナナカマド、それにタムシバなどが所々の「開放地」に点在して生えている。
やはり、この尾根は「ブナ極相林」であるべき「ブナの原生林」ではない。「ブナの原生林」は何も「白神山地」のトレードマークではない。
私は岩木山にも「ブナ原生林」は存在すると確信している。その場所は数カ所あるが、代表的なところは「黒森山」を含んだ「スカイライン」のある尾根である。もしも、自動車道路「スカイライン」がなかったならば、弘前から自動車で30分足らずの場所で私たちは「ブナ原生林」の散策を楽しめるのである。まあ、それも「今」は無理というものだ。
もう一度、今日の写真をよく見て欲しい。青空を遮るものは何もない。陽光は容赦なく枝や幹を素通りして、樹幹の足下、雪面を照らす。そして、その暖かい輝きは自由に「樹間」を照らし、縦横に樹間空間を往来し、幹を暖める。そして、その輻射熱が「根開き」をどんどんと大きくしていく。その「深い根開きの地表」には既に、一薬草が丸みのある緑の葉を見せていたりする。
落葉樹の森、ブナ樹間。それは明るい。そして乾いている。ブナ林よりも低い場所の「ミズナラ」や「コナラ」林では、間もなく雪が消える。しかし、これらも落葉樹だ。まだ葉は出ない。ブナ林と同じように、遮るもののない陽光は活発に動いて、地表に働きかける。
「エゾエンゴサク」や「キクザキイチゲ」などスプリング・エフェラルズはそれを待っている。気の早い「福寿草」などは既に咲き出している。林縁では「マルバマンサク」が満開だ。
落葉樹の林は、その中も、その縁も、どこもかしこも「明るく、暖かい」のである。)
私は、このような「落葉樹の森」を春夏秋冬、数十年間、ずっと見てきた。そして、毎春、「新しい生命」との出会いを期待し、胸を弾ませてきた。そして、自然は偽らず、私に「生命」との出会いを与え、私は喜びに包まれながら過ごしてきた。
だから、私は春の明るい時季の「落葉樹」の森にはじまり、吹雪に曝されている「落葉樹」の森のことは知っているつもりである。
だが、恥ずかしいことに、前述したが、この「落葉樹の森」と対置される「照葉樹が生い茂る西日本の暗い森」をまだ見たことがなかった。もちろん足を踏み入れたこともない。岩木山には常緑の針葉樹はあるが、「常緑照葉樹」と言われるものの高木はまずない。
「今日の写真」を撮ったのは4月13日である。積雪が少なく、山麓部では「藪漕ぎ」を強いられたが、数少ない岩木山の「常緑照葉樹」である「エゾユズリハ」だけが妙に元気で、登山口に急ぐ私たちを見送ってくれていた。
葉が生い茂らない限り「暗い森」にならないのが、「落葉樹」の森だ。岩木山のブナ林、ミズナラ林もすべて、秋から冬は葉を落として「明るい森」になる。
明るい「落葉樹の森」しか見たことのない私は、どうしても「照葉樹が生い茂る西日本の暗い森」をこの目で見たかったのである。
3月31日、朝9時頃、私は奈良、春日大社の参道を歩いていた。一通り大社へのお参りを済ませて、その参道を歩きながら、私は「照葉樹林内」にいることを実感していた。既にそこは「照葉樹」の春日大社境内林だったのである。参道の両側には、スダジイやイチイガシの巨木が鬱蒼と茂っていた。「春日山原始林」はその植生上、すでに始まっていたのである。
下手に赤い大きい鳥居を見ながら、アスファルト道路のバス道路に出る。そこを左折してその道を「道なり」に進む。バス停を2つ過ぎたところから「瀟洒で小綺麗」しかも、古都ならではの面影を色濃く残している家並みの、緩やかな坂道を直進する。
その町屋のような家並みが途切れると、そこがもう「春日山原始林」の入り口であった。ただ、そこは上の道と下の道に分かれている。上の道は「春日山遊歩道」であり、直ぐに「春日山原始林」内に入ることが出来るが、古い「柳生街道」の面影を辿ることは出来ない。
「原始林」と「古道」の両方を楽しみ、味わいたいと思ったので下の道を行くことにした。足下には細いアスファルト歩道が続いていたが、目の前に薄暗い樹林帯が見え出すとその道は土と石の道に変わる。
そこが、あの「柳生の里」に続く「柳生街道滝坂道」の入り口であり、別に「東海自然歩道」とも呼ばれている道であった。標識を丹念に辿りながら進む。
いよいよ「春日山原始林」内を通って若草山を経て、二月堂、東大寺大仏殿までの約12kmの「歩行による観察」が始まったのである。
「春日山原始林」は、現在も 豊かな「原始林」としての植生を残しており、春日大社と同様に世界文化遺産に登録されているのである。
ところで、「原始林」という呼称であるが、この地に住む私たちにとっては「聞き慣れない」言葉ではなかろうか。「原始」とは「原始人」の「原始」である。「広辞苑第六版」によると「原始人」を「原始時代の人類。原始的な人間」としてある。
また、「原始」とは「根源をたずね極めること」「物事のはじめ。おこり。元始。原初」「自然のままで、進化または変化しないこと。原生。用例として原始林」とある。
これに当てはめると、「原始林」とは「自然のままで、進化または変化していない原生林」となる。
私たちは「原始林」という言葉よりも「原生林」という呼称を、例えば「ブナ原生林」などと、よく耳にしたり、口にしたりする。
これは、その林を形成する樹種が、植物群落の遷移によってしだいに変化し、「極相(climax)」に達して、その地域の環境条件に合った長期間安定な状態が続くこと、つまり特定の樹種だけになった場合には「…原生林」と呼ぶことに因るらしい。これに対置させて「多数の樹種」が「その地域の環境条件に合って長期間安定な状態が続いている」森林を「…原始林」と呼んでいるように思える。(明日に続く)
標高が800mを越えているのでブナはいずれも細く丈も余りない。「原生林」なのか「二次林」なのか判別するのが難しいところだ。
ただ、この尾根のブナは標高の低いところから、上背はあるが余り太くはない。やはり、数十年前に、いやそれ以前にも数次にわたって伐採されたもののようである。その証拠に、ブナの極相林を形成するための「遷移」途中を示すオオヤマザクラやナナカマド、それにタムシバなどが所々の「開放地」に点在して生えている。
やはり、この尾根は「ブナ極相林」であるべき「ブナの原生林」ではない。「ブナの原生林」は何も「白神山地」のトレードマークではない。
私は岩木山にも「ブナ原生林」は存在すると確信している。その場所は数カ所あるが、代表的なところは「黒森山」を含んだ「スカイライン」のある尾根である。もしも、自動車道路「スカイライン」がなかったならば、弘前から自動車で30分足らずの場所で私たちは「ブナ原生林」の散策を楽しめるのである。まあ、それも「今」は無理というものだ。
もう一度、今日の写真をよく見て欲しい。青空を遮るものは何もない。陽光は容赦なく枝や幹を素通りして、樹幹の足下、雪面を照らす。そして、その暖かい輝きは自由に「樹間」を照らし、縦横に樹間空間を往来し、幹を暖める。そして、その輻射熱が「根開き」をどんどんと大きくしていく。その「深い根開きの地表」には既に、一薬草が丸みのある緑の葉を見せていたりする。
落葉樹の森、ブナ樹間。それは明るい。そして乾いている。ブナ林よりも低い場所の「ミズナラ」や「コナラ」林では、間もなく雪が消える。しかし、これらも落葉樹だ。まだ葉は出ない。ブナ林と同じように、遮るもののない陽光は活発に動いて、地表に働きかける。
「エゾエンゴサク」や「キクザキイチゲ」などスプリング・エフェラルズはそれを待っている。気の早い「福寿草」などは既に咲き出している。林縁では「マルバマンサク」が満開だ。
落葉樹の林は、その中も、その縁も、どこもかしこも「明るく、暖かい」のである。)
私は、このような「落葉樹の森」を春夏秋冬、数十年間、ずっと見てきた。そして、毎春、「新しい生命」との出会いを期待し、胸を弾ませてきた。そして、自然は偽らず、私に「生命」との出会いを与え、私は喜びに包まれながら過ごしてきた。
だから、私は春の明るい時季の「落葉樹」の森にはじまり、吹雪に曝されている「落葉樹」の森のことは知っているつもりである。
だが、恥ずかしいことに、前述したが、この「落葉樹の森」と対置される「照葉樹が生い茂る西日本の暗い森」をまだ見たことがなかった。もちろん足を踏み入れたこともない。岩木山には常緑の針葉樹はあるが、「常緑照葉樹」と言われるものの高木はまずない。
「今日の写真」を撮ったのは4月13日である。積雪が少なく、山麓部では「藪漕ぎ」を強いられたが、数少ない岩木山の「常緑照葉樹」である「エゾユズリハ」だけが妙に元気で、登山口に急ぐ私たちを見送ってくれていた。
葉が生い茂らない限り「暗い森」にならないのが、「落葉樹」の森だ。岩木山のブナ林、ミズナラ林もすべて、秋から冬は葉を落として「明るい森」になる。
明るい「落葉樹の森」しか見たことのない私は、どうしても「照葉樹が生い茂る西日本の暗い森」をこの目で見たかったのである。
3月31日、朝9時頃、私は奈良、春日大社の参道を歩いていた。一通り大社へのお参りを済ませて、その参道を歩きながら、私は「照葉樹林内」にいることを実感していた。既にそこは「照葉樹」の春日大社境内林だったのである。参道の両側には、スダジイやイチイガシの巨木が鬱蒼と茂っていた。「春日山原始林」はその植生上、すでに始まっていたのである。
下手に赤い大きい鳥居を見ながら、アスファルト道路のバス道路に出る。そこを左折してその道を「道なり」に進む。バス停を2つ過ぎたところから「瀟洒で小綺麗」しかも、古都ならではの面影を色濃く残している家並みの、緩やかな坂道を直進する。
その町屋のような家並みが途切れると、そこがもう「春日山原始林」の入り口であった。ただ、そこは上の道と下の道に分かれている。上の道は「春日山遊歩道」であり、直ぐに「春日山原始林」内に入ることが出来るが、古い「柳生街道」の面影を辿ることは出来ない。
「原始林」と「古道」の両方を楽しみ、味わいたいと思ったので下の道を行くことにした。足下には細いアスファルト歩道が続いていたが、目の前に薄暗い樹林帯が見え出すとその道は土と石の道に変わる。
そこが、あの「柳生の里」に続く「柳生街道滝坂道」の入り口であり、別に「東海自然歩道」とも呼ばれている道であった。標識を丹念に辿りながら進む。
いよいよ「春日山原始林」内を通って若草山を経て、二月堂、東大寺大仏殿までの約12kmの「歩行による観察」が始まったのである。
「春日山原始林」は、現在も 豊かな「原始林」としての植生を残しており、春日大社と同様に世界文化遺産に登録されているのである。
ところで、「原始林」という呼称であるが、この地に住む私たちにとっては「聞き慣れない」言葉ではなかろうか。「原始」とは「原始人」の「原始」である。「広辞苑第六版」によると「原始人」を「原始時代の人類。原始的な人間」としてある。
また、「原始」とは「根源をたずね極めること」「物事のはじめ。おこり。元始。原初」「自然のままで、進化または変化しないこと。原生。用例として原始林」とある。
これに当てはめると、「原始林」とは「自然のままで、進化または変化していない原生林」となる。
私たちは「原始林」という言葉よりも「原生林」という呼称を、例えば「ブナ原生林」などと、よく耳にしたり、口にしたりする。
これは、その林を形成する樹種が、植物群落の遷移によってしだいに変化し、「極相(climax)」に達して、その地域の環境条件に合った長期間安定な状態が続くこと、つまり特定の樹種だけになった場合には「…原生林」と呼ぶことに因るらしい。これに対置させて「多数の樹種」が「その地域の環境条件に合って長期間安定な状態が続いている」森林を「…原始林」と呼んでいるように思える。(明日に続く)