岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

YさんのいないNHK弘前文化センター講座

2009-04-10 05:17:56 | Weblog
 (今日の写真も「コメツガ」である。「コメツガ」林内を写したものだ。夏場や雪解け時季に、長平登山道と松代登山道との分岐辺りや追子森山頂などからよく見える対岸尾根稜線の「蒼い」樹列がこの林なのである。
 私は、烏帽子岳から続く標高1396mピークまでの「コメツガ」林内を登下降したことはあるが、この写真の場所を夏場に歩いたことはない。もちろん、平年並みに積雪のある時には、この「林」の縁を歩いていた。
 しかし、今日の写真のように3月下旬だというのに「林の全容」を見せることはなかった。これまでは「コメツガ」1本1本が圧雪を纏い、丸みを帯びた構築物となり、積雪が樹間を埋め尽くし、「空間」はなく、前方が見えて「透視」出来るということはまったくなかったのだ。驚くほどの少雪がなせることなのである。これだと、ごつごつした岩が出ているが、林内を歩くことが可能だ。
 赤倉登山道沿いや追子森山頂付近に生えているものと比較すると、何という「空間」の多さだろうか。
 それに、幹の太いものもあるが、総じて幹は細い。その上、幹は根元は若干、反傾斜方向に湾曲してはいるが横倒しになり、伏せてはいない。その湾曲部から上は直状に伸びているではないか。
 まさに平地における針葉樹林を見ているような気分になるのだ。このような点が、明らかに異質なのである。樹齢が少なく若いということなのだろうか。何故なのか、残念ながら、私にはよく分からないのだ。)


        ◇◇ YさんのいないNHK弘前文化センター講座 ◇◇

 昨日はNHK弘前文化センター講座「岩木山の花をたずねて」だった。4月期最初の講座だった。やはり、言っていたとおりYさんは受講者名簿にはなかった。1月から始まったこの講座に「冬だから参加出来るのです。4月からは忙しくて参加は無理です。農家ですから…」と言っていたとおりになったのだ。
 Yさんは私のN高校勤務時代の教え子であり、HRの生徒でもあった。今から30数年前、私がまだ30代の初めの頃に担任した生徒だ。
 テニス部に所属していて、日焼けした健康な顔に大きな瞳をくるくるさせた明るく元気な女の子であった。だからといって、「テニス」だけをしていればいいという生徒ではなかった。勉強もよくして、よく出来たし、何よりもクラスの誰に対しても優しい行動のとれる生徒であった。
 だから、その意味でもクラスの中ではリーダーであった。遠足や修学旅行の班構成ではいつも「班長」だったし、日常的な学習活動や学級活動でも班長だった。
 その頃、私は生徒と一緒に毎日、学級新聞「クマとその一味」を発行していた。クラスには7つの班があった。構成人数は6名だ。毎日1つの班がB5版の新聞の半ページにその日の出来事や感じたことを書いた。順番は1週6日を7班で持ち回るのだから、それほどの回数にはならないが、生徒にとっては辛いことのようだった。
 先ず私が半ページを先に、その日の昼休み前に書くのだ。そして、それを昼休みに担当する班に渡す。班員は昼休み中に書いて、私のところに持って来る。私は帰りのホームルームの時間までに、それを印刷して生徒に配布する。生徒はそれを家庭に持ち帰り保護者に見せるということになっていた。
 まだ、コピーはおろか、ワープロもない、パソコンもない時代だ。「鑢(やすり)版」に「蝋(ろう)原紙」を置いて「鉄筆(てっぴつ)」で手書きをするものである。よくこの原紙は破れた。破れてしまうとインクが滲んで紙面は「読めない」状態になってしまうという代物だった。
 それを謄写版で印刷するのである。すべてが手作業だった。これを、毎日続けるということは大変なことだった。
 Yさんはもちろんこの「学級新聞作り」の中心であった。しかも、Yさんの班にはO君がいた。O君は「弱視」ほどではないが視力が弱かった。
 その所為で勉強も遅れがちだったし、みんなと同一行動をすることが、とても「苦手」だった。別な言い方をすれば「行動が遅い」のである。
 YさんはO君の勉強の手助けをするだけでなく、O君をみんなで行動する時の中心に据えた。そしてO君に合わせて全体で動いた。クラスもそれに倣(なら)った。
 7つの班の構成人員は私が決めた。それぞれ1人1人の個性や特性を熟慮して私が決めた。この手法は私がクラス担任をしている間は踏襲した。
 Yさんはいい意味で私の術数に填(はま)ったのだ。いや、私の「指導」の目的を十分理解して、それを真摯に実践してくれたのである。だが、人生とは皮肉なものだ。このO君は早世した。
 ある時のことだ。私が半ページ書きかけの「蝋原紙」をYさんに渡して「ごめん、大変だね。」と言ったら、Yさんは「私たちは8日に1回です。先生は毎日です。それに比べたら楽なものです。」と明るい瞳をくるくるさせて、微笑みながら言ってくれたものである。私は、その30数年前の笑顔を今でも忘れない。

 そのYさんに、1月から始まった講座の初日に出会ったのだ。「山菜などを採りに山に行くのですが、その時に出会う花や草などのことについて知りたくて受講したいと思います。」と言う懐かしい顔を「受講者」の中に発見した時は、先ずびっくりした。そして、懐かしさが一気に広がった。それにしても、「知りたい」という気持ちの持ち主であることには、高校生の頃と何も変わっていない。すばらしいことだ。
 彼女は予告したとおり、4月期からは受講をやめた。昨日もいい天気だった。今日もいい天気だ。寡黙な彼女はりんご園で一日いっぱい働くのであろう。
 受講料を払って 、しかも平日の数時間を費やすことは、「働く人」にとってはもったいないことであろう。