岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

私はもはや「単独行」登山者ではない・2007年11月23日岩木山松代登山道尾根を登る(1)

2007-11-27 05:17:25 | Weblog
(今日の写真もモチノキ科モチノキ属の常緑低木である「アカミノイヌツゲ」だ。これは北海道と本州中部以北に分布する。常緑であるからもちろん1年中葉をつけている。
 樹高は2mほどで、草地や岩場、湿原のへりなど、どこにでも生えている。八甲田山のものは岩木山のものより樹高があり、しばしば「群生」している。
 枝はよく分岐しながらも、密である。葉は長さが2~3cmで革質、上方に短い鋸歯がある。雌雄異株で白くて小さい花は初夏に咲く。果実は径7mmぐらいで秋に赤く熟して、そのままの状態で冬を過ごして春を迎える。
 この写真は岩木山赤倉尾根の岩場、風の強い場所で、厳冬期に「雪」に埋もれず葉と実を見せる「アカミノイヌツゲ」だ。雪に埋もれず、鋭い岩角と寄り添いながら赤い実と濃緑の葉を見せる「アカミノイヌツゲ」には厳冬の力強い命を見いだした思いだった。
 それまで、ザックに入っていたカメラを取り出して、その「感動」を撮ったものだ。この写真を見る度に「感動」は波のように迫って来る。
 この仲間である「クロソヨゴ」は本州中部(山梨県)以西から四国の太平洋側に分布する。アカミノイヌツゲはクロソヨゴの変種であり、クロソヨゴとほどんと区別がつかないが、アカミノイヌツゲの花柄が若干短く1~1.5cmであることで区別される。
 名前の由来は「赤い実をつける」「柘植(ツゲ)」に似ているが「ツゲ」ではないものという意味からである。)
 
 ■■もはや「単独行」登山者ではない・2007年11月23日岩木山松代登山道尾根をTさんと登る(1)■■

 他人はこれまで、私のことを「単独行(一人で登山をすること)」の「三浦」と呼ぶことが多かった。実際、私の登山はいつも一人であることが多かった。だから、「単独行の三浦」と呼ばれても違和感や異論はなかった。
 だが、最近は「単独行の三浦」と呼ばれることにすごい抵抗を感じている。もう「単独行の三浦」とは呼ばないで欲しいというのが本音である。
 今年、単独で「岩木山」や他の山に登ったのは何回であろう。数えても指を折る必要はない。1、2、3と数えてくると終わってしまうのである。因みに10月は3回、11月は2回岩木山に登った。2ヶ月で5回だが、単独行は10月に1回だけである。残りの4回はすべて同行者たちがいた。この4回中の3回の同行者がTさんであった。11月23日の登山もやはり、Tさんが同行した。「単独行の三浦」とは今や昔の話しとなった。

 11月23日は私が岩木山とつきあい始めるずっと以前から、国民の「祝日」である。秋の恵みに感謝する新嘗(にいなめ)祭であり、「勤労感謝の日」でもある。私は40数年前から岩木山とつきあっている。だから、毎年11月23日には岩木山に登ってきた。おそらく、1年も欠かしたことはないだろう。
ところが、今回の松代登山道尾根の登山は、その数十年に渡る「11月23日」登山での体験とは明らかに違っていた。その違いは「異常」なほどに多くて深い「新雪」であったということである。私はこのような雪をこの時季に「体験」したことはない。
 その日は一応目標として「追子森」山頂までは行こうと考えていた。
 登山口近くの標高は600mほどである。樹高が2m近くまでになるヒメモチが雪面すれすれに、「実を突出」させていた。優に1.5mを越えている積雪なのだ。まだ、11月23日だというのにである。本格的な「雪」の季節にはまだ早い。それなのに、大変な「積雪」であった。
「ワカン」を装着しての出発となった。登山口から林内の登山道沿いまでの道は、かなりのカーブをなしている。少しでも「時間と距離」を縮めたいと考えて、林内の登山道を目指して、直進をした。ところが、これが、失敗であった。
 雪はここ数日降り続いていた。「どか雪」と呼んでもいいだろう。それが、地表の藪(ブッシュ)や「倒木や伏せ木」の上に積もって、「柔らかく」「そのまま」の状態で覆っている。
 雪が一定の間隔、つまり、一日おきとか二日おきとかに降ってくれると、前に降り積もった下層の雪が、上層の雪の重みで圧せられて固まる。だから、「ワカン」を付けた足は上層と中層の軟雪部分で埋まるが最下層の堅い雪層で「停止」する。つまり、深く埋まらず、しかも堅い雪層の反発力で、「抜き足」が軽くなるのである。
 しかし、その日の「雪」はそうではなかったから、ただただ「どふどふ」「ぶすぶす」と沈むのだ。それは、雪面からは見えない「罠」や「落とし穴」にはまるのと同じだ。
 前進するために抜き足をして足を運ばなければいけないのだ、最下層が柔らかいので、片足を抜きにかかると、もう一方の足がさらに深く埋まっていくという状態が続くのである。しかも、締まっていない藪や伏せ木や枝が「ワカン」に絡まり抜けないということになる。まるで、「くくり罠」に足をとられたウサギのような塩梅である。これではスピードは上がらないし、距離は稼げない。動きというよりは「蠢き(うごめき)」でしかない。
 場所によっては腰を越える埋まり方だ。結局、その日の登山は、あまりにも深い積雪のため、「ラッセル」に難儀をして、登高スピードは遅く、「アルバイト」はきつく、距離は稼げなかった。日帰りという時間的な制約もあって予定の半分近くまで登って引き返して来た。

 「ワカン(輪かん)」を使っての登山は楽ではない。単独行の時、全装備でラッセルすることはなおさら厳しい。まして、膝以上に埋まる深雪になるとそれは苦痛に近い。
 それは独特な全身運動であることに加えて、時間に距離が比例しないことによる。  冬山、積雪期であるが雪の締まっていないめり込み、埋まり込みのある山でのラッセルは特別ハードな登山行動である。降雪時期の早い遅い、量の多寡(たか)にもよるが、厳冬期直前の「年末年始」の時期がまさにこれにあたっている。
 スキーであっても埋まり込みが深くなり、膝を越え、股を越えてくると辛いものだ。まして、腰まで達するようになれば行動は不能に陥る。それでも、この辛さは「ワカン」を使うそれに比べると問題にならないほど軽微である。
 ところで、「ワカン」登行では行動不能ということは先ずない。時間がかかり、遅々とした登りにはなるが、行動は続けることが出来るものだ。
 しかし、冬山においての「輪かんラッセル」は特別にハードな登山行動であることに変わりはない。

※注:輪かんじき (輪樏) のこと。ワカンとも呼ばれる。かんじき (樏・橇)は、主に雪上や氷上での走行性をよくするために、靴などの下に着用する・縄文時代から日本人は使っていたと伝えられている。  (この稿は明日に続く)