6月29日は聖ピエトロと聖パオロの祝日で、この二人の聖人はローマの守護聖人でもあるため、それを祝ってこの日は毎年ローマでは祝日です。ローマではお祝いのイベントが催されます。ここ数年人気なのがサンタンジェロ城の花火(かなり素晴らしい)ですが、今年はローマのオペラ劇場のオープンハウスのイベントに行ってきました!
劇場のガイド付き見学、オペラの衣裳などの展示、ちょっとした短いオペラ歌手のパフォーマンスなどが一日行われました。

劇場内には過去数回入ったことがあります。そう二年前には「トスカ」を観に行きました。もちろん上の方の席でしたけれど。
まず、現在の支配人の方による劇場の歴史の講演会を聞きました。面白そうでしたが、ところどころしかわからず残念でした。ちょっと長すぎたのもあって。
このローマ歌劇場は、今は「ローマ歌劇場」という名前でローマ市が所有していますが、もともとは事業家コスタンツィ氏が創立したため、コスタンツィ劇場という名前で始まったそうです。コスタンツィ氏はローマに歌劇場が必要だと思い、私財を投入、劇場の建設に至ったのですが、ローマ市はその購入を拒否しました。それでも1880年11月27日にロッシーニ作「セミラーミデ」の上演で落成式が行われました。イタリア王ウンベルトI世とマルゲリータ妃もご出席、真ん中の王室席からご覧になられたのでしょうね。
このコスタンツィ劇場はさまざまなオペラの初演を行いました。中でもマスカー二の「カヴァレリア・ルスティカーナ」の大成功が有名です。私もこのオペラの曲は大好きです。いつか機会があったらここで観てみたいですね。

王室席からはこんな風によく見える。
コスタンツィ氏は劇場の今は裏側に当たるところにあるクイリナーレホテルの創立者でもあります。当時はホテルと劇場は廊下で繋がれていて、ホテルに泊まっていた歌手やオーケストラの人びとは外に出ることなく劇場に行くことができました。(現在も廊下は存在するものの、ホテルから入ることはできなくなっているそうです。)
さて、劇場はその後、他の人に買収されたりしながら形を変えて行きます。そして1926年になってようやくムッソリーニの要請でローマ市によって買収されることとなりました。名前も「王室歌劇場」と変わります。その際に建物もかなり改築され、もともとの劇場の正面は今のクイリナーレホテルのお庭側でしたが、現在のように反対側に変えられました。内部の席も装飾にもかなり手が入れられました。天井の巨大なシャンデリアもこのときに設置されたそうです。

直径6m、26000個のクリスタルでできた素晴らしいシャンデリア。
その後、イタリアは王政から共和制に変わり、名前も現在の「ローマ歌劇場」になります。1960年のローマオリンピックの開催にあたって、1958年からローマ市による大々的な改修工事が始められ、現在の姿になりました。
・・・とだいたいがこんな話でした。
そうそう夏の間は公衆浴場遺跡のカラカラ浴場での公演になりますが、これはムッソリー二の要請で始まったようです。
さて、見学会は人数が多すぎて説明がよくわかりませんでしたが、控室らしき所を通り、

この下の写真の奥の部屋にクイリナーレホテルの廊下がつながってたとか、

そしてなかなか見られない楽屋を見せてもらいました。

様々な舞台の写真で埋め尽くされている小部屋。コーヒーなどの飲み物が置いてあって、給湯室なのかしら。

声楽家の方々のちょっとしたパフォーマンスも楽しんで、猛暑の日でしたが、エアコンのきいた劇場の中で快適な数時間を過ごさせてもらいました。
来年もあるかもしれません。このローマの祝日、毎年6月29日です。
劇場のガイド付き見学、オペラの衣裳などの展示、ちょっとした短いオペラ歌手のパフォーマンスなどが一日行われました。

劇場内には過去数回入ったことがあります。そう二年前には「トスカ」を観に行きました。もちろん上の方の席でしたけれど。
まず、現在の支配人の方による劇場の歴史の講演会を聞きました。面白そうでしたが、ところどころしかわからず残念でした。ちょっと長すぎたのもあって。
このローマ歌劇場は、今は「ローマ歌劇場」という名前でローマ市が所有していますが、もともとは事業家コスタンツィ氏が創立したため、コスタンツィ劇場という名前で始まったそうです。コスタンツィ氏はローマに歌劇場が必要だと思い、私財を投入、劇場の建設に至ったのですが、ローマ市はその購入を拒否しました。それでも1880年11月27日にロッシーニ作「セミラーミデ」の上演で落成式が行われました。イタリア王ウンベルトI世とマルゲリータ妃もご出席、真ん中の王室席からご覧になられたのでしょうね。
このコスタンツィ劇場はさまざまなオペラの初演を行いました。中でもマスカー二の「カヴァレリア・ルスティカーナ」の大成功が有名です。私もこのオペラの曲は大好きです。いつか機会があったらここで観てみたいですね。

王室席からはこんな風によく見える。
コスタンツィ氏は劇場の今は裏側に当たるところにあるクイリナーレホテルの創立者でもあります。当時はホテルと劇場は廊下で繋がれていて、ホテルに泊まっていた歌手やオーケストラの人びとは外に出ることなく劇場に行くことができました。(現在も廊下は存在するものの、ホテルから入ることはできなくなっているそうです。)
さて、劇場はその後、他の人に買収されたりしながら形を変えて行きます。そして1926年になってようやくムッソリーニの要請でローマ市によって買収されることとなりました。名前も「王室歌劇場」と変わります。その際に建物もかなり改築され、もともとの劇場の正面は今のクイリナーレホテルのお庭側でしたが、現在のように反対側に変えられました。内部の席も装飾にもかなり手が入れられました。天井の巨大なシャンデリアもこのときに設置されたそうです。

直径6m、26000個のクリスタルでできた素晴らしいシャンデリア。
その後、イタリアは王政から共和制に変わり、名前も現在の「ローマ歌劇場」になります。1960年のローマオリンピックの開催にあたって、1958年からローマ市による大々的な改修工事が始められ、現在の姿になりました。
・・・とだいたいがこんな話でした。
そうそう夏の間は公衆浴場遺跡のカラカラ浴場での公演になりますが、これはムッソリー二の要請で始まったようです。
さて、見学会は人数が多すぎて説明がよくわかりませんでしたが、控室らしき所を通り、

この下の写真の奥の部屋にクイリナーレホテルの廊下がつながってたとか、

そしてなかなか見られない楽屋を見せてもらいました。

様々な舞台の写真で埋め尽くされている小部屋。コーヒーなどの飲み物が置いてあって、給湯室なのかしら。

声楽家の方々のちょっとしたパフォーマンスも楽しんで、猛暑の日でしたが、エアコンのきいた劇場の中で快適な数時間を過ごさせてもらいました。
来年もあるかもしれません。このローマの祝日、毎年6月29日です。