クリスマスにローマに留まることになれば、避けたいけれど避けて通れないのがこれ、クリスマスイブの親戚の集まり。日本でもお正月の親戚の集まりが嫌で鬱になってしまう人がいるらしいけれど、こっちでも自分側の親戚でなければやっぱり気が重いもの。ダニィのマンマは三人姉妹で、それも近くに住んでいるものだから、会を仕切るのはこの三人。お蔭で、食べ物は彼女たちが張り切って用意してくれるので、各自持ち寄りなどという恐怖はないものの(私は特に料理が弱点、もしこれがあったら100%日本に逃飛行)、問題はプレゼント。
こういうのって好きな人もいるんですよね。ダニィの親戚の女性軍はそんな感じ。でも私はと言えば、年に1度会うかどうかのダニィのおばさんとかいとことか、一体何を渡せばいいのよってところ。おまけにいくつもプレゼントを用意するのに、一つ一つにそんなにお金もかけられないというのも正直なところ。全員にじゃあパネトーネでとか、日本のお歳暮コーナーみたいなのがあってくれればいいのに、そんなものもあるわけなし。日本ってどうしてこうなんでも効率的にできているのかしら。
ダニィは以前はプレゼントなんて持って行ってなかったから、周りも別にそれが普通で疑問もなかったようで、ダニィには私がパニックするのが理解できないのです。でも私は外の者だから手ぶらで行くわけにはいかないと毎年喧嘩して、今年はついに「もうこのイブのお蔭でイタリアでは私のクリスマスは台無し、恐怖なだけなんだ」と言うと今年は理解を得られ、なんとか協力的になり一緒に最低限の必要な分をそろえました。
プレゼント探しはストレスだけれど、ラッピングは好き。どうせ来年もあるしと、いろんなラッピングペーパーを買ってきます。どうせ開けるときはびりびりと破られちゃうんですけれどね。ラッピングはこっちの人、正直言って下手です。どうしてもう少し丁寧に包めないのかなと不思議に思うくらい。
小さなカードには相手の名前と自分の名前を書いて、ちゃんと持ってきたんだぞと主張しておきます。
イブはいつもダニィのマンマのお姉さんのジュリアーナおばさん宅で行われます。立派なクリスマスツリーが飾られていて、ほかにもクリスマスグッズが至るところに。入ると玄関のところから、さっそくみんなが持ってきたらしいプレゼントの包みの山があって、やっぱりもっときちんとしたものをプレゼントしなきゃだめだったかなとか不安がよぎります。包み方は下手でもボリュームだけはあるんですよ。それぞれ一人一人と挨拶を交わすのがイタリアの習慣。人数が多いときは少々面倒だなあと感じます。
普段そんなに顔を合わせていない人とは話題もなく、太ったとか、髪型がどうだとかで、話をなんとか続けている感じで。他の親戚たち同士にしても、そんなに話題がないみたいで、食事が始まるまではぼーっとテレビに向かっていたりします。クリスマス会も高齢化しているし、子供軍も年齢が上がって、なんだか毎年活気は薄れる感じです。おまけにだれだれは病気で来れないとか、娘が離婚して帰ってきているので家族だけでクリスマスをするからとか、そんな事情も増えてきたりします。そのうちにプレゼントにも気合いが入らなくなるかな。
イタリアのクリスマスイブは魚料理を食べます。今年のメニューはラザニア(お肉入ってたけど)とカルチョーフィの揚げ物、シーフードのあ揚げ物、野菜のグリル焼き、バカラ(鱈)の料理、ブロッコレッティ(ブロッコリーみたいな花芽のついている野菜)の炒め物でした。以前はダニィたちが子供で、親たちのテーブルと子供達テーブルに分かれていたのだと思いますが、その子供たちが親になり、お年寄りテーブルとそ若者(!?)テーブルになったようです。昔々、小さい頃、まだ親戚の集まりがあった頃のことを思い出して、どこも同じなんだなあと懐かしくなりました。
食後のドルチェは日本でイメージする素敵なクリスマスケーキが出てくることはあまり期待できません。今年はクリスマスっぽい絵がほどこされたチョコレートケーキと誰かが持ってきたリンゴのケーキとチョコ入り(普通はドライフルーツ入りですが)のパネトーネ。それが終わると子供達が待ちきれないのでプレゼント交換会となります。今回の一番小さい子どもは6歳でしたが。彼女はそれはそれはたくさんのプレゼントをもらってました。あんなに簡単にいろいろと手に入ったら、教育上どんなもんだろうと、ちょっと冷やかな目を向けているのに気付かれたか、この子の祖父(スイス人)に「日本のクリスマスはどう?ここのはちょっと大げさすぎるよね」と言われました。サンタクロースもまた別に来るようです。
プレゼント会が終われば、まあ一応クリスマス会は終り。ダニィが気を遣ってか、さっさと帰ろうと言い出し、一番に出てきました。帰りはなんだか一人一人に挨拶という雰囲気もなくなって、ダニィがみんなに向かって大きな声で挨拶してたので、私もそんな感じで終わりました。仲良し家族を自慢にしていた数年前のクリスマスはなんだか重かったけれど、こう活気がなくなるとちょっと寂しくもありました。
1年で一番気の重いイベントがなんだかあっさり終了。ちょっと気が抜けました。でも来年はやっぱり日本へ帰ろう。
こういうのって好きな人もいるんですよね。ダニィの親戚の女性軍はそんな感じ。でも私はと言えば、年に1度会うかどうかのダニィのおばさんとかいとことか、一体何を渡せばいいのよってところ。おまけにいくつもプレゼントを用意するのに、一つ一つにそんなにお金もかけられないというのも正直なところ。全員にじゃあパネトーネでとか、日本のお歳暮コーナーみたいなのがあってくれればいいのに、そんなものもあるわけなし。日本ってどうしてこうなんでも効率的にできているのかしら。
ダニィは以前はプレゼントなんて持って行ってなかったから、周りも別にそれが普通で疑問もなかったようで、ダニィには私がパニックするのが理解できないのです。でも私は外の者だから手ぶらで行くわけにはいかないと毎年喧嘩して、今年はついに「もうこのイブのお蔭でイタリアでは私のクリスマスは台無し、恐怖なだけなんだ」と言うと今年は理解を得られ、なんとか協力的になり一緒に最低限の必要な分をそろえました。
プレゼント探しはストレスだけれど、ラッピングは好き。どうせ来年もあるしと、いろんなラッピングペーパーを買ってきます。どうせ開けるときはびりびりと破られちゃうんですけれどね。ラッピングはこっちの人、正直言って下手です。どうしてもう少し丁寧に包めないのかなと不思議に思うくらい。
小さなカードには相手の名前と自分の名前を書いて、ちゃんと持ってきたんだぞと主張しておきます。
イブはいつもダニィのマンマのお姉さんのジュリアーナおばさん宅で行われます。立派なクリスマスツリーが飾られていて、ほかにもクリスマスグッズが至るところに。入ると玄関のところから、さっそくみんなが持ってきたらしいプレゼントの包みの山があって、やっぱりもっときちんとしたものをプレゼントしなきゃだめだったかなとか不安がよぎります。包み方は下手でもボリュームだけはあるんですよ。それぞれ一人一人と挨拶を交わすのがイタリアの習慣。人数が多いときは少々面倒だなあと感じます。
普段そんなに顔を合わせていない人とは話題もなく、太ったとか、髪型がどうだとかで、話をなんとか続けている感じで。他の親戚たち同士にしても、そんなに話題がないみたいで、食事が始まるまではぼーっとテレビに向かっていたりします。クリスマス会も高齢化しているし、子供軍も年齢が上がって、なんだか毎年活気は薄れる感じです。おまけにだれだれは病気で来れないとか、娘が離婚して帰ってきているので家族だけでクリスマスをするからとか、そんな事情も増えてきたりします。そのうちにプレゼントにも気合いが入らなくなるかな。
イタリアのクリスマスイブは魚料理を食べます。今年のメニューはラザニア(お肉入ってたけど)とカルチョーフィの揚げ物、シーフードのあ揚げ物、野菜のグリル焼き、バカラ(鱈)の料理、ブロッコレッティ(ブロッコリーみたいな花芽のついている野菜)の炒め物でした。以前はダニィたちが子供で、親たちのテーブルと子供達テーブルに分かれていたのだと思いますが、その子供たちが親になり、お年寄りテーブルとそ若者(!?)テーブルになったようです。昔々、小さい頃、まだ親戚の集まりがあった頃のことを思い出して、どこも同じなんだなあと懐かしくなりました。
食後のドルチェは日本でイメージする素敵なクリスマスケーキが出てくることはあまり期待できません。今年はクリスマスっぽい絵がほどこされたチョコレートケーキと誰かが持ってきたリンゴのケーキとチョコ入り(普通はドライフルーツ入りですが)のパネトーネ。それが終わると子供達が待ちきれないのでプレゼント交換会となります。今回の一番小さい子どもは6歳でしたが。彼女はそれはそれはたくさんのプレゼントをもらってました。あんなに簡単にいろいろと手に入ったら、教育上どんなもんだろうと、ちょっと冷やかな目を向けているのに気付かれたか、この子の祖父(スイス人)に「日本のクリスマスはどう?ここのはちょっと大げさすぎるよね」と言われました。サンタクロースもまた別に来るようです。
プレゼント会が終われば、まあ一応クリスマス会は終り。ダニィが気を遣ってか、さっさと帰ろうと言い出し、一番に出てきました。帰りはなんだか一人一人に挨拶という雰囲気もなくなって、ダニィがみんなに向かって大きな声で挨拶してたので、私もそんな感じで終わりました。仲良し家族を自慢にしていた数年前のクリスマスはなんだか重かったけれど、こう活気がなくなるとちょっと寂しくもありました。
1年で一番気の重いイベントがなんだかあっさり終了。ちょっと気が抜けました。でも来年はやっぱり日本へ帰ろう。