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たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

1994年雪組『風と共に去りぬースカーレット編』より_「明日になれば」

2020年03月14日 15時34分13秒 | 宝塚
詩:植田紳爾 曲:寺田瀧雄

「明日になれば

悲しみは明日にしよう
涙をこらえ 泣くのはよそう
人の世に別れはあれど
この世には明日がある

夜が来れば朝が近い
冬が来れば春は近い
明日になれば明日になれば
月は沈み日は昇る

苦しみは明日にしよう
唇かんで 泣くのはよそう
人の世に嘆きはあれど
この世には明日がある」

 気持ちがしずみこんだ夜、ふとこの歌詞が頭の中をいっちゃん(一路真輝さん)の声でリフレインしました。二幕の最後、なにもかも失ったスカーレットが、タラの地に立ちここを守り抜こうと決意して歌われた歌。20頃に読んだっきりの『風と共に去りぬ』新潮文庫全5巻、この世にいる間に読み返したいと思っています。



中国新聞デジタル版_文化とスポーツコラムより

2020年03月14日 12時20分30秒 | 気になるニュースあれこれ
https://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=621332&comment_sub_id=0&category_id=143
2020年3月11日付中国新聞デジタルより

「沖縄戦で殉職したアーニー・パイルという米国の従軍記者がいた。他の記者が美辞麗句や奇抜さを競っていたのに、兵士の行動や信念をあるがままに打電した。情があって、肉親を案じる家族の多くからも好評を博したという▲その名を冠した劇場が大戦後の東京にあった。戦時下には風船爆弾の工場にされていた東京宝塚劇場である。進駐軍に接収され、米軍専用だった10年間、日本人客は立ち入り禁止だった▲新型コロナウイルスは敵ではないのだろうか。現代の東京宝塚劇場はきのう歌劇団の公演を再開した。兵庫県にある「本家」に続き、場内の換気や消毒を徹底、熱のある人は来場を控えてもらうなど万全を期したと聞く▲待ち望んでいたと喜ぶファンもいれば、早すぎるとの批判もあったはずだ。再開の決断には、勇気も覚悟もかなり要っただろう。何せプロ野球の方は、開幕先送りを決めたばかりである▲アーニーの記事は、酒のような香りもなく、酔う喜びもないが、何人も手放せない水のように多くの人が待っていた―。そう宝塚歌劇団の生みの親である小林一三(いちぞう)は書き残している。人生に潤いをもたらす文化やスポーツも水に似ているのかもしれない。」


祈ろう明日を

2020年03月14日 11時00分20秒 | ミュージカル・舞台・映画
「王家に捧ぐ歌

 祈ろう明日を
 この地上にこそ希望を
 人みな時代から時代へと
 誇らしく語れるように
 そんな世界を私は求めてゆく

 この世に平和を この地上に輝きを
 人みな溢れる太陽浴び 微笑んで暮らせるように
 戦いに終わりを この地上に喜びを
 人みな等しく認め合って お互いを許せるように
 たとえ今は夢のように思えても
 この身を捧げて そんな世界をいつかきっと」

  (湖月わたる公式FC Acrossを参照させていただきました)


宝塚大劇場:2,550席、
東京宝塚劇場:2,065席、
帝国劇場;1,826席、
東京国際フォーラムCホール:1,502席、
日生劇場:1,330席、
シアタークリエ:609席
赤坂ACTシアター:1,324席
梅田芸術劇場メインホール:1,905席
博多座:1,454席

 大劇場日帰りバスツアーも企画していたバスツアー会社のひとつが倒産に追い込まれてしまったようです。大きな劇場の舞台が開くことで、日常が動くことでたくさんの人たちが日々の糧を得ている。わたしの大好きな場所たち、心の糧となっている場所たちに当たり前の日々が一日も早く戻ることを、安心して観劇を楽しみ日々が戻ることを祈る。日比谷シャンテ前、ゴジラがいつも見守ってくれている。





















ミュージカル『CHICAGO』宝塚OGバージョン_思い出し日記(2)

2020年03月13日 20時01分19秒 | ミュージカル・舞台・映画
 アフタートークショーで、杜けあきさんから普段主婦をしている姿月あさとさんのリーゼントヘアはウィッグであることが明かされました。男役時代と同様、地毛をスプレーで整えているようにしか見えなかったのでびっくりでした。役者としてのスィッチがはいると途方もなくかっこいいのに、素はゆるゆるふわふわぽあっとした語り口なのが少しもかわっていなかったずんこさん。数年に一度ですが退団後もこうして舞台で会うことができるのは嬉しい限り。

「ビリーというキャラクターに限らず、『シカゴ』には、世の中は実は、みんなが「こうだ」と思っている通りではない、というメッセージが込められているように思います。そんな作品で女性が男性役を演じるという宝塚OGバージョンが生れたのは面白いですね。今の時代だからこそ性別や国籍に左右されず、いろんなチャレンジができる。そんなOGバージョンがニューヨークのお客様からどんな反応を受けるのか、とても興味深く思っています。姿月あさと」

(公演プログラムより)



 ニューヨーク公演、アメリカ人の観客を前に、日本人が日本語で、アメリカ人としての誇りを語るのが面白かったという話が印象的でした。

 

のこり一桁になってきました

2020年03月13日 19時36分21秒 | 日記
 まだまだ風が冷たい3月、折り返し、残りの稼働日数が一桁になってきました。電話当番があと4回、有給休暇1日をどこで使うか、いつ出勤できない朝があるかわからないので最後の最後まで残しておこうと思います。来週の天気予報をスマホでみると月曜日が最高気温10度で雨、火曜日が11時、駅まで自転車の身にはきびしいです。風は冷たい向かい風、家の中は底冷え。寒くって寒くって仕方なく、でもいちばん寒い風が吹いているのは自分の心の中なのかもしれません。馴染めな地域で不似合いな仕事、今度はこういうお知らせがいっせいに発送されたからこういう電話が立て続けにはいってくるのかと何本か対応してからようやく認識、あっちもこっちも同時に理解できる能力がわたしにはないので最後の最後までとんちんかん、元々声小さい自分が高齢者やなかなか理解がむずかしい方々を相手に電話でデカい声を張り上げているのは滑稽でしかない。たぶん違うことも今までいくつか言ってきてしまったようですが誰も言ってくれなければ気づかないまま来てしまっていたりとかします。間違って足を振り入れてしまった場違いなところ、一日も早く契約終了を迎えて逃げ出したいです。ようやく逃げ出すことができたとしても、すぐ家を出られるわけではない。保証人も収入もなしで部屋を借りるハードルは高いし、借りることができたとしても引っ越し代も初期費用もかかる。すぐに動くことはむずかしいですが家にはいられない。母がいなくなった8年前わたしの場所はなくなっていた。名義なんて必要なかった、面倒なことをしてしまいました。また無職になったらどんな攻撃が待ち受けるのか、いちばんこわいのは人間、いちばんこわいのは人から人への攻撃。怒りと憎しみをはらんだ言葉ばかりが溢れかえっている。帰ってこなければよかったと自分を責めても仕方ない。気になっていた遺品整理進んだし、宝塚大劇場になんども行けたじゃないか。だから納得。自分、なんのために生きているかわからないし、4月以降の予定全くなし、死なないために4月は東京宝塚劇場のA席、5月は宝塚大劇場のA席、6月は新橋演舞場の一等席を申し込みました。収入のあてはないので貯金使い果たせばおしまい。そこまでいくのにはまだありますが収入なければあっという間といういえばあっという間なのかもしれません。追い詰められ感と不安しかなく、苦しいばかりの郷里の生活。数えるほどもない逃げ場所、店に入るとみられるのがいやでたまりません。さらっと一瞥するのではなく、興味満々でじっとみられるの、居心地悪い。

 トイレットペーパー狂騒曲、そろそろ落ち着くでしょうか、火曜日の時点でドラッグストアという名前のスーパーにいくと棚からっぽ、デカデカとマスクありません、申し訳ございません、朝から並ばないでくださいなどなど張り紙がしているということはこんなに人口密度が低いところでさえ平日朝から並んだり店の人に怒ったりする人がいるということなんでしょうね。だれもがストレスをためこんでいてはけ口を求めています。自分の心の糧が対象にならないことを祈る毎日。3月22日、せめてせめて夜の部だけでも幕が開くことを祈る毎日。

 とにもかくにものこり一桁のところまでやっとこさきました。

こんな時だからこそ宝塚

2020年03月12日 22時56分30秒 | 宝塚
 新型コロナによる自粛要請でイベントの中止が相次ぐ中、苦渋の決断で再度の休演を決定した宝塚。今回特別に『婦人公論』2月25日号に掲載した雪組公演「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」の写真をすべて公開します。(撮影=岸隆子、取材・文=石橋法子)

https://fujinkoron.jp/articles/-/1659

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 3月9日の公演再開の時にはわりと淡々と、たぶん宝塚歌劇団を応援する気持ちが根底にはあるんだろうなあという記事を書いていたスポーツ紙が、こんな国難の時に公演するのかなどのファン?の声をとりあげつつ公演再開は暴挙だとかいう記事を今日になってあげているのをみて哀しくなりました。お名前みるとふだんジェンヌさんたちを取材している記者さんだとお見受けしますが、3月9日の記事に対してヤフーニュースのコメント欄にはきびしい声が多かったからなんですかね、でもわざわざこんな記事を出す必要がどこにあるのかと、心ない批判に同調するような記事をわざわざ書いてどうするのかと思います。このままだとコロナ終息よりも日本そのものが破綻するのではないかと心配でしかないのはわたしだけではないはず。長く劇団に貢献してきた退団者がいる大劇場の千穐楽を、舞台の上で迎えさせてあげたかった、非難を承知で、そのあとさらにまた公演できなくなるることもしかしなくても織り込み済みで幕を開けた。こんな時だからこそ劇団の心意気を汲んで応援してほしい。ジェンヌさんたちが一回一回命がけで舞台をつとめていることをわかっていないで取材してきたのかと哀しいです、ほんとに。

 観劇は一回一回、大切な一期一会の出会い、こんな時だからこそキラキラの世界は心の糧。云十年前小学生だったわたしがテレビをみてあこがれたキラキラの世界は今もキラキラ。

 ささやかですが劇団に応援メッセージを送りました。

 

「3.11石巻復興祈念ゼミ合宿」報告書からの引用(10)

2020年03月12日 19時13分46秒 | 東日本大震災
「合宿で得た答え、そして課題 Sさん

「見たままを伝えたら良いんだよ。」

 この言葉は、今回現地を案内してくださったAさんの言葉である。

 私は、祈念ゼミ合宿で初めて被災地を訪ねた。今回の合宿で被災地を訪ねるまで、私は被災地を訪問することに少なからず抵抗があった。それには2つ理由がある。

 1点目は、あるボランティア募集の広告を見て、本来の目的から少しずれている印象を受けたからである。もちろん、ボランティアの企画に参加する人は、「例え微力でも力になれれば」というボランティア精神から参加を決める人が大半だと思う。ところが、最近あまりにも被災地のボランティアツァーや企画が増え、気軽に・お手軽感を推すような宣伝文句が目に付く。多少不謹慎かもしれないが、私はボランティアがある種のブームになってしまっているような印象を受けた。気軽に参加してもらうことが、果たして被災地や大震災の爪痕を見て、知り、命について考えることに繋がるのだろうか・・・と首を傾けてしまう。

 そして2点目は、被災者の方々の反応が分からないという点である。専門的な知識や技術を持たない私達は、お手伝い出来ることが限られている。ましてや観光気分で活動に参加されたら、被災者はどう思うだろうか。これも1点目と同様、参加者の参加理由や企画側の意図に疑問を覚えたことが抵抗を覚えた根底にあると考えられる。さらに、これらの理由には、実際に自分が被災していないという意識も要因であるように感じている。

 こうした思いから、私は今回の合宿にあたってどのような姿勢で臨むべきなのか戸惑っている。また、私用で合宿を途中参加させていただくことになっていたため、Aさんには事前に個別に連絡をとっていたこともあり、より一層「どう参加したら向こうの方に嫌な思いをさせないだろうか」と考えこんでしまった。余談だが、この事前連絡で、Aさんに、「宿泊先までのバスがない場合はタクシー等を利用することも考えている」と伝えた際の会話である。Aさんは私の提案に対し、こう言った。「震災後、私たちも知らない人が町に増えた。だから、いくらタクシーとはいえ何が起こるかわからないから、私が迎えに行くようにする。」この話を受け、私はAさんの心遣いに対して感謝の念と共に、被災地の変化をそこに感じた。人が増えた、ということは必ずしも喜ばしいことではなく、そこに暮らす人々の懸念事項になることもあるのだと実感した。これは、私たち日本人が外国人に対して抱きがちな“よそ者”というイメージに通じる部分があるのかもしれない。

 こうした何気ない会話から、震災の前と後の変化についても少し考えながら私は現地に赴いた。仙台駅から石巻イオンモールに向かい、そこから石巻市内をバスで回った。そこで目にしたのは、至る所に残存する被害の爪痕であった。市内や人々が多く利用するであろう中心部から少し奥まった場所に移動するにつれ、その跡を目にする頻度は高くなった。優先順位の高いところから復旧作業が行われるのは当然のことと思う。しかしながら、まだ修復作業途中の場所に掲げられた「がんばろう東北」の文字が、私の眼には実に寂しく映った。そして、この寂しさが完全に取っ払われるのは何時頃のことになるだろうかと考えた。

 さて、ここで「復興」について少し言及して行きたい。私は前述したように、まだ復興は途中の段階であると思っていた。ところが、民宿のご主人のお話でそれは全くもって甘い考え出会ったことを痛感した。これはどういうことかというと、「復興」が帰路に立たされているということである。彼の話には「これからの」復興という言葉が多く出てきた。この「これから」には「本当の復興」という意味、そして願いが込められていた。震災から2年半以上が経った今だからこそ、考えていかなければならない現状がそこにはあった。

「貰い病」という言葉を耳にしたことがある人はいるだろうか。私は初耳だったのだが、少しこの言葉を聞いてショックを受けた。支援をする人が良かれと思ってしていた支援が、実は被災者の自立心を妨げるきっかけになり得るということだったからである。被災のショックやあまりに変わり果てた地元・故郷の姿に、働く意欲や前向きな気持ちを忘れてしまった人々がいるという現状を指している。勿論、支援の手は必要だろう。しかい、被災者がいつまでも被災者のままではいけないのだ。そこに「これからの」復興の本質があるといえるだろう。「がんばろう東北」のスローガンに見られるように、私たちが「がんばってね東北」から「がんばれ東北」という立場に少しずつシフトしていかなければならないのだ。傍らに寄り添うのではなく、少し離れた所から見守る。これが「これからの」復興に繋がるのではないだろうか。

 また、この合宿を通して、私が現地を訪ねるまでに感じていた何かしらの抵抗がどうなったかについての話にも少し触れておこうと思う。この抵抗に、やはり合宿の随所で少なからず影響を受けた。顕著だったのは、実際に被害を受けた小学校や港近くを訪ね、持っていたカメラのシャッターを切ろうとした時である。その時、一瞬シャッターボタンを押すのを躊躇った。写真を撮ることに満足してしまったら、私も疑問を覚えた側と何ら変わりない。という考えがふっと脳裏に浮かんだのだ。そして、ここで感じたことをどう話せばいよいのかと出発以前にも増して戸惑ってしまった。ところが、有難いことにこの自分勝手な戸惑いは、この合宿中にある一言で払拭される。それが、冒頭のAさんの言葉である。私はこのとてつもなくシンプルな一言に、がーんと頭を打たれた。そして、これが私の求めていた答えであり、課題なのではないかと感じている。

 余計な言葉で飾らず、見たままを伝えること。これは、簡単なようだで一番難しいのかもしれない。しかし、合宿で出会ったこの答えに「がんばれ東北」という思いと共に、私は真正面から向き合っていきたいと思う。」

(慶応義塾大学文学部 3.11石巻復興祈念ゼミ合宿報告書より)

祈る

2020年03月11日 22時42分23秒 | 宝塚
 宝塚大劇場の千穐楽ライブビューイングは締め日の都合でみていませんが、3月22日の東京宝塚劇場千穐楽ライブビューイングはチケットを入手しました。無事に、無事に迎えられることを、ただただ祈ります。

 唯一無二の世界は永遠なり。

ほんとにもどれるのかな

2020年03月11日 19時37分47秒 | 日記
 東日本大震災から9年、9年前の3月11日も朝から冷たい風が吹いていましたが、今日も駅へ自転車で向かう道のりは冷たい向かい風が吹きすさんでいてつらい朝でした。電車の中で勇気をもってかぞえてみると残りの出勤13回、電話当番はあと5回。今日一日なんとか生き延びることができたのでまた一日減りました。ここまできましたが無事終わるのかなあ、ここまできても不安しかない。昨夜カフェをはしごして家に帰ると突然の下痢、事なきを得ましたが2年前ウィルス性胃腸炎になったので焦りました、冷えすぎがよくなかったのかもしれません。自転車も家の中もとにかく冷えて冷えて仕方なく体にこたえます。帰省はかえって自分の体を痛めつけることにもなってしまっていて、帰ってこなければよかったと自分を責める日々。4月1日から無職、家にいたら電気もガスも水道もトイレットペーパーも使ってしまうのでいるわけにはいかないです。かといって真っ暗な郷里近郊、わたしが自転車で動ける範囲に逃げる場所はほとんどない。このまま弟に怒られながら生きていくわけにはいかない、自分だけの居場所をまた見つけていかなければなりません。こんな年齢になって暮らし慣れた街にほんとうにまた戻ることができるのか。そうでなくても不安なところへ突然ふってわいてきたコロナが追い打ち。わたしがいなくなっても困る人はいないし、なんのために生きているのかわからないのでもういいのかなという気持ちがよぎったり。明日いなくなったら荷物残された弟が困りますかね、それだけ。母がいなくなってデカい家で一人暮らしを満喫していたところにお邪魔してしまったわたしがウザイ、自分とやり方ちがうところがいちいち目につく、自分にあわせて当然。あれほどいやだった家に今さらやすらぎがあると勘違いしてしまった自分、滑稽すぎる。この地域にはこの地域のICカードがあるのですが、わたしの体にしみつているのはSUICA、自然に口から出てくるのはSUICA、馴染めない地域での暮らしはつらすぎる。関西はまた遠のきますがオートチャージできるエリアに戻りたい。ほんとに戻れるのかな、不安ばっかり。

 ついに選抜高校野球までもが中止せざるを得なくなってしまいました。考え得る限りの最大限の準備をして公演の再開に踏み切ったの宝塚歌劇団も再び中止せざるを得ず、退団発表した雪組トップコンビ、本公演で退団する二人のベテラン上級生娘役さんのことを思うと涙がこぼれてきてしまいます。ライブビューイングのチケット、入手できました。田舎なので競争率はおかげさまで低めかな?せめてせめて3月22日の東京宝塚劇場千穐楽は幕が上がりますようにと祈るばかり。星組は大劇場の千穐楽を死守することができてほんとによかった。戦争も関東大震災も阪神淡路大震災も東日本大震災ものりこえてきた宝塚歌劇団が幕を上げられなかったら他の舞台、どこも幕を上げることができないよ。レミゼやミスサイゴンのアンサンブルの面々にはフリーランスもいらっしゃいます。稽古中はお給料にならないと以前井上芳雄さんがテレビ番組で話していました。舞台の幕が上がらないと報酬を受けとることができない契約ベースの人たちがどれだけいるのか、役者さんたちだけでなく劇場スタッフ、売店の人、売店に品物を納入している業者さん、宝塚なら公演ドリンクや公演デザートをつくっている業者さん、その材料を納入している業者さん、みんなそれぞれの生活があります。実質従わざるを得ない「要請」はそこまで考慮されているのか、救済措置はどうなるのか、人のことを心配している場合ではないのですが心配。日比谷も大劇場も新幹線代をだせば遠征することができる、帰省してからそれだけが心の糧であり、唯一気持ちが上がる場所。

 一日も早く平穏な日々が戻ることを祈りばかり。

 年度末になってどんどんきている書類。書き方がわからないといって突然きかれてもわからないままわたしが電話で答えたの、間違っていたことがいくつかあってみたいで書類が間違っているとか足りないとか返送したら「たんぽぽさんがいいって言いましたよ」って電話が入ったケースがいくつかあったとか。弁護士に痛めつけられた経験あってお金のためなら手段を選ばない人種だということを実はとてもよく知っていますなどということを話するわけにもいかず、自分の担当の業務と混乱してとんちんかんなことを言っていたらごめんなさいと謝るのみ。この業務をやるセンスがないっぽい。どんな書類がいつ一斉に出たのか知らされないまま、担当外のことでもあるし、突然きかれてもわからなかったのでした。ほんとうにごめんなさい。郷里の生活、苦しいままあと12回の出勤・・・。

 

ミュージカル『CHICAGO』宝塚OGバージョン_思い出し日記(1)

2020年03月10日 19時16分44秒 | ミュージカル・舞台・映画
2016年8月18日:二連休でした
昨日の朝台風による混乱はなかったようですね。わたしは8時頃までぐっすり眠りました。それでも眠くてお昼寝もしてしまいました。出勤のことを心配せずにすんだのは、たまたまですが幸いでした。夜は宝塚OGによる『シカゴ』を観劇。終演後は、NY公演のアフタートークショーもあり、作品自体は好きになれないかなあと思いましたが楽しいひとときでした。物語性よりもほぼダンス公演といって内容でした。30代、40代になっているOGのダンスが素晴らしかったです。これが宝塚の力なんだ。すごい。詳しい観劇日記はまた後日書ければと思います。今日も休みを取ったので、翌日のことを気にすることなくゆるりとした気持ちで観劇できました。







「2016年11月、ミュージカル」『シカゴ』はブロードウェイでのリバイバル公演初演から20周年を迎える。その記念の年、ニューヨークに宝塚歌劇団OGによる世界初のオール女性キャストによる『シカゴ』が登場、花を添えることになった。

 日本では2008年、2010年と男女キャストで上演されてきたこのリバイバル版。OGによる上演としては、2012年の『DANCIN CRAZY2』で抜粋枠の上演が試みられ、2014年には全編上演が実現した。1997年にロンドン・ウエストエンドでリバイバル版を観劇以来、『シカゴ』という作品の奥深さに魅了され、そして宝塚歌劇の舞台もこよなく愛する筆者の目に、この両者は実に不思議な融合を果たしたように映った。

 一見、真逆の世界なのである。“清く正しく美しく”をモットーとする宝塚歌劇団と、殺人・不倫、なんでもござれの『シカゴ』の世界とは。それでも何の違和感もなかった。世界で初めて女性として弁護士ビリー役を全編で演じたのは、峰さを理、麻路さき、姿月あさと。クラシックな香りを漂わせ、羽根が似合うビリー役の登場を印象づけた峰。裁判シーンですべてを操るのはビリーなのだと改めて知らしめた麻路。2012年の『DANCIN CRAZY2』の際に編み出した、腹話術シーンでの2オクターブを行き交う歌唱を披露、作品ももつ両性具有の妖しさを醸し出した姿月。それそれが男役としての魅力を大いに発揮、オール女性キャスト版成功の基盤を築いた。

 ヴェルマ役には、和央ようか、湖月わたる、水夏希。2008年のリバイバル版日本初演でも同じ役を演じた和央は、芯の通った強さと繊細さとを共存させた女性像を構築。『DANCIN CRAZY2』でやはりこの役を演じた湖月は、『シカゴ』の代名詞的ナンバー、<ALL THAT JAZZ>で見せるダイナミックな魅力が印象的。湖月は昨年12月にはアメリカカンパニー来日公演に参加、シャーロット・ケイト・フォックスのロキシーを相手に英語でこの役を務めた。筋肉質の美しさとチャーミングさをもつ水は、ロンドン版のウテ・レンバーの系譜にある。

 ロキシー役には、朝海ひかる、貴城敬、大和悠河。『DANCIN CRAZY2』の時から敵役の評判が高かった朝海は、小悪魔的ながらも大人っぽい潔さもあるロキシーを演じ、一皮むけた感がある。今回惜しくも不参加の貴城は、手堅い歌と踊りと芝居で実力派をアピール。大和は舞台人として最高の当たり役に恵まれた感があり、終幕の<HOT HONEY RAG>でのキラキラとしたはじけっぷりが印象に残る。

 メインキャストを9人の元男役トップスターが役替わりで演じたが、豪華なのはそれだけではない。ママ・モートン役で伝説のトップ娘役、初風諄が登場。それまでのイメージとは異なるこの役で、貫禄と包容力を大いに発揮、作品に深みと厚みを与えた。名ダンサーとして鳴らした元トップ娘役、星奈優里と蒼乃夕妃も参加。宝塚大劇場をはじめて大きな舞台のセンターで注目を集めてきた存在がハニャックとキティといった役を務めることは、他の公演では考えにくいが、二人はさすがの存在感でそれぞれの役を印象付けた。ダンスシーンで見せるセクシーさ、その硬質な美しさも忘れがたい。

 長年、専科で実力を発揮してきた磯野千尋は、気の弱さと妻ロキシーへの愛がにじみでる演技でエイモスを公演。ママ・モートン役を役替わりで務めたちあきしんも堂々たる歌唱を聴かせた。メアリー・サンシャイン役でキュートかつ強烈な魅力を見せたT.OKAMOTOは、宝塚歌劇団OG外からの参加。そして、フォッシースタイルに彩られた作品世界を支えるアンサンブルの面々。世界中の男性キャストとまったく同じ振りを、肉布団や肩バッドなしのいでたちできこなし、女性が男を演じる違和感を与えないジェントルメン。そんなジェントルメン相手に、娘役時代に培った力を発揮してセクシー&キュートに歌い踊るレディース。宝塚歌劇では決して観られない、けれども宝塚出身者が一丸となったからこそ観られる舞台が、そこにはあった。

 その舞台は、『シカゴ』という作品、そして宝塚歌劇の尽きせぬ魅力を改めて考える機会を与えてくれた。女たちが己の心のままにしなやかに強く生きること。それは、実際のヴェルマやロキシーが生きた1920年代にとりわけ鮮やかにフォーカスされ始めた人生のテーマだ。そして1913年に誕生した宝塚歌劇団もまた、女性が心のままに生きることの素晴らしさを、舞台の上からさまざまな形で説いてきた劇団である。両者が期せずして見事な融合を果たしたのも、むべなるかな。

 好評を博したこの前回キャストに今回、元男役トップスター、杜けあきがママ・モートン役で初参加、舞台に新たな魅力を与えることが期待される。また、アンサンブルにも新しいメンバーが加わった布陣となっており、舞台のさらなる進化を楽しみにしたい。

 この宝塚歌劇OG『シカゴ』が上演されるリンカーン・センターにはメトロポリタン・オペラやニューヨーク・シティ・バレエが本拠地を構えており、1996年に始まったフェスティバルでは世界のパフォーミングアートを紹介してきている。日本からは歌舞伎や能楽といった伝統芸能、ダンス、宮本亜門演出の『太平洋序曲』や蜷川幸雄演出『海辺のカフカ』といった舞台が参加してきたが、『シカゴ』のようにまさにショービズ的なエンターテイメント、しかもブロードウェイでも現在上演中の作品の参加は珍しい。“タカラヅカ・アンルコール”もついての助演ということで、誕生から100年を超え、もはや伝統芸能の一つともいえる宝塚歌劇の魅力を大いにアピールするチャンスといえよう。宝塚歌劇団OGたちが、『シカゴ』という作品を通して、日本の、ひいては世界中の女性の普遍的な強さ、美しさを広く知らしめることを願ってやまない。」(公演プログラムより)


 アンサンブルの面々、全く認識できていなかったのですがプログラムをみるとダンスの達人がずらり。あの人もこの人も出ていたのかとうなづくことしきり。ニューヨーク公演を経ての東京国際フォーラム公演はほどよく日焼けしていて、筋肉のつき具合が宝塚OGにまじってリアル男子がいるのかと最初思ってしまったほどでした。


 宝塚も東宝も梅田芸術劇場も大切な生きる糧、人生に必要な用事。明日は東日本大震災から9年、安心して舞台を楽しめる平穏な日々が戻ることを祈ります。このあとにくる破綻の方がおそろしい、人から人への攻撃がおそろしい、どうか舞台の幕をあけたことが批判にさらされませんように、無事に進んでいきますように・・・。