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たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『エリザベート』四度目の観劇_人はみんな

2015年07月20日 23時04分14秒 | ミュージカル・舞台・映画
ラストでエリザベートとトートが、手を取り合いながら、「私の命ゆだねる、それは私だけに♪」とそれぞれに歌っているのをみながら、人はみんな一人で生まれて一人で死んでいかなければならない、孤独な存在なんだとしみじみ思いました。ちょっと重いですが、21年前の妹との突然のお別れの時に、私が知ったこと。「夜のボート」と「悪夢」の場面に、3時間の舞台の中で、時が流れたことをすごく感じてやっぱり切なかったです。

人の世の普遍性がいっぱい詰め込まれている作品なんだとあらためて感じました。

演じられている方々の世代が若くなっていることもあらためて感じました。
現在だから、私たちにリアルにせまってくる作品でもあると思います。

舞台との出会いも一期一会。今日は今日だけの舞台と時間でした。

お隣の女性が、子ルドが歌っている時から、一緒に歌を口ずさんでしまっているのにはちょっと閉口。ずっと感情入りながら観てしまったいるのはうなずけますが・・・。
始まってからでは係員の人に言うこともできないし、勘弁だー。

今日はこんなつぶやきまで。
明日以降またあらためて書こうと思います。


トップの写真は蘭ちゃんシシィ。東宝の公式フェイスブックよりお借りしました。












『エリザベート』三度目の観劇

2015年07月19日 21時40分25秒 | ミュージカル・舞台・映画
エリザベート:花總まり
トート:井上芳雄
フランツ:田代万里生
ルドルフ:京本大我
ゾフィー:香寿たつき
ルキーニ:山崎育三郎
少年ルドルフ:池田優斗

昼の部(13時30分-16時40分)。満員御礼。

一カ月ぶりの観劇でした。
カーテンコールでトートが登場する時の曲と、トートダンサーの振付が変わっていました。

トートダンサーの皆さんのダンスがビジュアル的により美しくなっていて、舞台全体に、やがて終わりを迎えようとする大帝国時代の末期の宮廷の人々が、そうとは知らずに大きく時代が動いていこうとしている流れに抗いながら生きた雰囲気がより出ていたのかなと感じました。


少女時代のシシィがパパに甘える姿がより10代の少女らしく可愛くなっていて、最後にトートの胸に飛び込んでいく時のシシィは、トートに見初められた少女時代に戻ったんだとはっきりわかりました。
腕をパパの肩に乗せたりして花ちゃんシシィに甘えられる大谷さんパパ、幸せですね。

溌溂していて、ぴょんぴょんと飛び跳ねていて、ヘレネのお見合いに付き添ってたお茶会でマカロンを頂戴といっている仕草も、フランツの放った銃の音に反応して見つめ合う場面も、フランツが好きにならずにはいられないのを客席は納得。

初めて出会った時の、若き皇帝フランツと生命力にあふれた屈託ない笑顔をみせるシシィが手を取り合って歌う場面。晩年のすれ違いをうたう「夜のボート」の場面が、同じメロディラインなので重なってしまい、切なくて涙が流れていました。
花ちゃんシシィの「幸せになりましょう」がより可愛らしく、純粋に10代の女性が心からフランツと幸せに暮らしていきたいという想いにあふれていました。
フランツの眼差しにも優しさがあふれていましたが、「皇帝に自由などない、皇后にも等しくその重荷がかかってくる」ことを言わなければなりませんでした。
「夜のボート」の場面では、出会ったばかりの若き日の二人を思い出して、また切なくなり涙が流れていました。


今までのフランツはこんなにシシィへの愛を表に出して主張していたのかなと思うぐらい、田代さんフランツのシシィへの愛は痛いぐらいのところがあって、なおいっそう切なくなります。ハンガリー訪問で、革命家の放った銃からシシィを守ろうとする細かいしぐさにもシシィへの想いがあふれています。
悪夢の場面で、シシィへの愛をめぐって、井上さんトートとではなく、山崎さんルキーニと田代さんフランツがはりあうぐらいの雰囲気がかもし出されていておどろきました。
ルキーニがトートからナイフを受け取る場面をみせられたフランツは、登場人物たちが総出演している中で、シシィだけがいないことに気づくと、「何をしているんだ」「やめろー!」と叫んでいました。目には涙をあふれさせながら、髪を振り乱し、突き飛ばされても、突き飛ばされてもルキーニに必死にしがみついていき止めようとするところをトートダンサーの一人に阻まれていました。今までの舞台でも、フランツかわいそう、と毎回感じていたと思いますが、こんな場面ははじめてかもしれません。天上で二人は今幸せに暮らしているかな。そう願わずにはいられないぐらいフランツの叫びは悲痛でした。田代さんの声はよくとおって聴きやすいです。さすがです。ルキーニがフランツへの怒りを露わにしている雰囲気もはじめてかなと思います。

山崎さんルキーニ、よりいっそう同化していて手つきや歌い方にいやらしさが増していました。まだ途上かなという感じもありますが、高嶋さんがつくり上げたルキーニとは違う、新しいルキーニ像をつくっていると思います。

井上さんトート、お化粧が少し濃くなったでしょうか。
より丁寧にのびやかに、長い手足を存分に生かしつつ歌われていました。
今までのトートより、軽やかに踊っているし、シシィとの雰囲気も至近距離になっている感で、より追いかけつつ、よりひんやり感を出しつつ、より寄り添いつつな雰囲気です。
最後に胸に飛び込んできたシシィを抱きとめ、腕の中で倒れ込んで動かなくなったシシィを棺の上にのせたあとの立ち姿に、シシィに陰で寄り添い続け、自分を守りながら必死に生きてきた女性の美しさを引きたててみせながら讃えている、黄泉の国の帝王ですが人間らしい愛をかもし出していると感じました。
白い衣装の花ちゃんシシィと井上さんトートのツーショットは、宝塚っぽい美しさです。
井上さんトートのまなざしには一路さんトートに通じる雰囲気を、手つきにはずんこさんトートに通じる雰囲気を感じてしまうのはわたしだけでしょうか。一路さんとずんこさんをたして二で割ったような、宝塚っぽい様式美を感じさせてくれます。

一幕最後の鏡の間では、花ちゃんシシィ、井上さんトート、田代さんフランツが、それぞれに強い自己主張を、たしかな歌唱力でしているので、三人の拮抗している感がすごくかもし出されていて、見ごたえ聴きごたえ十分でした。
ビジュアル的にも美しさをはりあわんばかりぐらいの雰囲気だったと思います。

二幕の「私が踊る時」のシシィとトートの拮抗も、お互いにすごいエネルギーをかもし出していたと思います。きっと二人がつくりだす雰囲気の相乗効果ですね。呼吸がすっかりわかっているような、でも慣れ合いにならずに、よりそれぞれ相手を立てつつ自分を主張しています。エネルギーにあふれている場面でした。


皇后の体操室で倒れたシシィに、ドクトルゼーブルガーを装って近づいてきたトートに、「まだあなたとは踊らない」と左腕を伸ばし、出ていってというふうに人差し指を向ける場面。横顔も仕草も美しく凛としていて、本物の皇后がそこにいるような感じでした。


一幕の最大の聴かせどころの「私だけに」。より力強く自分を信じて生きていくんだと心を決めた10代の女性がうたう「私だけに」になっていました。自由に羽を広げて大きく羽ばたいていきたいという生命力にあふれていました。

京本さんルドルフ、二十歳でジャニーズからの大抜擢だそうですが、まだ演技がぎこちなくて一生懸命な雰囲気と若さが、舞台に登場すると20分ぐらいで散っていってしまうルドフルの危うさを秘めた、はかなげな雰囲気とよく合っていたと思います。ダンスもきれいでした。


ルドフルは革命に加担して逮捕され父フランツと対立し、久しぶりに会った母に助けを求めますが、母であるシシィの表情はすでに人生に疲れ切ってしまっていました。なぜ見捨ててしまったのかと一瞬思いましたが、自分を守るためにエネルギーを消耗していてルドルフが窮地に立たされて孤独の淵にいることに気づくことはできなかったんですね。少年時代のルドルフの登場場面も、棺の舞台装置の上でシンプルになった分、すでにピストルを手渡されているのが、よりリアルに後の運命を大きく暗示しています。こわいですね。池田くんの子ルドは、小柄なエンジェルボイス。かわいかったです。


香寿さんゾフィ。より厳しく威厳が増し、同時に大帝国の行く末と息子を思う故に全て動いているという雰囲気がかもし出されていました。ゾフィの言っていることは大帝国を守っていかなければならない責任を思えば間違っていないとより思えるゾフィでした。ゾフィを演じるには実年齢でまだ少し若いかもしれませんが、たしかな歌唱力と演技力で間違いなくみせてくれるタータンさん。雪組時代から適役を演じていても好きでしたが、やはり好きですね。
「あかねさす紫の花」の中巨鎌足役など思わず思い出しています。
(今の花ちゃんで、額田大王なんてもう一度みたいですが、あり得ないかな。)

未来さんのルドヴィカ母さんと娼婦館のマダムとの演じ分けもより確かでパワフルで
無理がなくて素晴らしいです。

続けて観劇しようとしているので駆け足で綴ってみました。
久しぶりにまた心のエネルギーを補給します。

客席にタカラジェンヌらしき女性たちをお見かけしました。
髪の色と雰囲気がちがうのですぐにわかります。

緊張の役割をひとつ終えてほっとしているところで、睡眠不足になっているので
リズムを取り戻していかないとです。
外は熱風の一日でした。都心は夕方になっても、アスファルトやコンクリートの上の熱風がすごかったです。本格的な夏になりました。



















ほっとひといき・・・

2015年07月18日 23時11分36秒 | 日記
私のいいところでもあり悪いところでもあり、ついついがんばりすぎてしまいます。
大事な役割をひとつ果たすことができたと思うので、明日と明後日は、頭を休めて
エリザベートを楽しもうと思います。

城田さんトートは8月まで楽しみに待つことになります。
ちょっと勘違いしていました。

前回からあっという間に一か月が過ぎてどんなふうに進化しているのか楽しみです。

花ちゃんのブログに林真理子さんが・・・。
『虹のナターシャ』懐かしすぎます。
続編をみたかった。
あれから19年。
時は流れました。

船津衛著『現代社会論の展開』より_労働における意味喪失

2015年07月18日 17時05分22秒 | 本あれこれ
「「しばしも止まずに槌うつひびき、飛び散る火の花、はしる湯玉、・・・仕事に精出す村の鍛冶屋」-この同様の世界に描かれた実直そうな鍛冶屋から、どんな労働がイメージされるであろうか。

 長年の経験とカンの蓄積によって鍛え上げられた技術を用いて、けっして楽ではないが、喜びをもって、愛着を込めて仕事に打ち込んでいる姿が浮かんでこよう。この仕事を通じて、彼はまた、社会的分業の一端を担い、社会の一員としての役割を果たしている。それは、彼の人生のささやかな誇りであるかもしれない。しかしながら、こうした牧歌的な労働のあり方は、現代社会のなかでは成り立ちがたい。

 産業化の進展による高度な分業と組織の拡大のもとでは、経験とカンがものをいう職人芸による作業過程は、機械装置の動きに人間が合わせる単純労働にとって代わられる。

 巨大な企業組織に組み込まれた労働者は、いつでも取り替えのきく一片の歯車にすぎないがゆえに、その官僚制機構のもとで閉塞感を味わわざるを得ない。自分が行っている細分化された仕事は、全体のなかでいったいどのような役割を果たしているのか、見通すこともできない。

 そのため、彼は、自分の仕事の社会的意味が分からず、仕事を通じて社会とのかかわりを意識することができない。どんなに勤勉に働こうとも、労働を通じて自分の人生の<意味>を見出すことは、もはやできなくなってしまったのである。

 とりわけ、日本人の場合には、「企業内人生」という言葉に端的に表現されているように、自分の人生を企業にすべて賭けることによって、そこに<生きがい>を見いだすのが、これまでの典型的な労働者の姿であった。

 労働それ自体を通じて充実感が得られないのであれば、「終身雇用」や「年功序列」などを特徴とする「経営家族主義」により、いわば「会社人間としての<生きがい>を労働者に与え、企業に積極的に帰属させ、そこから質の高い労働意欲を引き出そうとするのが日本的経営システムであったといえよう。

 日本の高度経済成長は、そうした文字通り企業に身も心も捧げた「モーレツ社員」によって支えられた。そして彼らの<生きがい>は、かつてない物質的な豊かさがもたらされることにより実質的に裏づけられたのである。」

(船津衛編著『現代社会論の展開』北樹出版、1992年発行、212-213頁より)





現代社会論の展開
船津 衛
北樹出版

卒論のテーマが決まるまで

2015年07月18日 09時16分49秒 | 卒業論文
断捨離をしていると忙しさの中で自分でもすっかり忘れているものとたびたび再会することになります。卒業論文にとりかかろうとしていた1999年9月にわたしは、こんな文章を通信教育生が集まった団体が発行した雑誌に寄稿していました。

「テーマが決まるまで

慶応義塾の通信教育課程に入学して10年余りの月日が過ぎた。今年に入って卒業論文の登録を済ませ、ようやく卒業に向けてゆっくりではあるが走り始めている。ずいぶんと遠回りをしてしまった。もう少し要領よくやっていれば、今頃はもっと卒業に近づいていたかもしれないのにと思う。

 しかし、私にはこれだけの時間が必要だった。単位数だけ見れば、卒業論文の登録資格は何年も前に得ていた。が、登録できなかった。テーマが見えてこなかったからだ。レポートをまとめていく中で、これはどうかな、あれも面白そうだ、以前から気になっていたこんなことをもっと掘り下げてみようか、断片的には思うのだが、今ひとつ自分の中でストンと落ちるものがない。専攻の類を変更しようかという迷いがずっと続いた。迷いつつ、そのまま再登録もすませた。

 おぼろげではあるが、テーマの端をつかめたと実感したのは、昨年の秋頃のことだ。たまたま手にした参考文献の中に手応えを感じる一文があった。読み進めるほどに、自分の中でこだわり続けていたテーマと相通じるものを感じた。が、まだ漠然としているが、その中で何を探っていきたいのか。少し先が開けてきた。

 10年余りの月日の中で、いろいろな事があり、環境の変化と共に私自身も変わってきた。中でも、突然訪れた肉親との別れ。この出来事は私の価値観を大きく変えた。それは大きな苦しみであった。が今は宝。生と死という究極の境をさまよう人の姿を目の当たりにして、己れが方向舵を失って迷路をさまよい、長い時間をかけてようやく脱出した。その私が、今ここにいる。

 過ぎた日々の出来事が血となり肉となって、今の私を形造っている。そのことを卒業論文の執筆という作業を通して、振り返り総括してみたい。そして、その後へつなげられる展望を見出したい。無論、自分の思い込みだけで卒業論文を仕上げられるものではない。客観的であって、しかもオリジナルな視点が問われるだろう。これから個別指導登録の準備に傾注するつもりである。不安、焦り、そしてはやる気持ち、これらを抑えながら、執筆を楽しいものにしたい。」

卒論をブログに少しずつ書いていければいいなと思いますが、膨大な量なのでいつ始めていつ終われるのか、自分でもわかりません。もう少し先になるかな。



フランスから帰国後の年明けの日々

2015年07月17日 09時32分40秒 | 日記
次の『エリザベート』観劇までに少しは前に進んでいたいという思いはかなったでしょうか。あっちにぶつかり、こっちにぶつかりしながら、傷を受けつつも少し動いてみたことで自分がどんな状態なのかより自覚できたわけだし、きついですが大事な役割を果たそうとしているし、私のためにどうしたらいいか一生懸命考えようとしてくれているワーカーさんにお会いすることができたようだし、無駄なことはひとつもない。目に見える大きな前進はなくても、ほんのちょっとはたぶん進んでいます。

苦しかった日々を吐露してしまいたくて、また日記を振り返ってみようと思います。
私苦しいばっかり言っていますが、楽しいこともたくさんありました。働き始めたころはむしろ楽しかったです。余裕があって、若い人達がたくさんいたので年齢構成のバランスもとれていました。
それが社会の変化と共にしだいに風通しの悪い方向へと流れていき、気がついたらきゅっきゅっと息苦しい空気感にあふれた場所になっていました。この頃の上の方はすごく厳しい方で、いつも空気がぴりぴりしていました。正規雇用ではなかった私にも、自分は前の人とちがって厳しい、正規ではない私も社員と同じだと大きなプレッシャーをかけられました。雇用形態の無理解の間で、相談できる人はいませんでした。
社内はほとんど出張で出払っていて人がいない中で、この方を背中にして坐る座席配置だったために後ろからだけプレッシャーがかかってくる、とてもきつい状態でした。いらいらされていると他に吐け口がないので、あたられたこともなんどもなんどもありました。そんな中でみんながやり残していった書類作成をフォローしたり、他に事務要員はパートタイマーしかいない状況で、わたし本当にたくさんたくさん働いていました。
同時に卒業論文を書いていたことも、その後夜間のカウンセリングスクールに通ったことも、国家試験受験に向けて勉強していたことも、ひとことも言わずに働いていました。実習で休むための日程のやりくりもひとこともいわずにつけました。休みたい理由を言わなかったためにプレッシャーも半端ではありませんでしたが、その時の仕事とは関係ないことなので言いませんでした。この方はその後責任あるポジションから外れると、別人のように温和な雰囲気になられました。それだけ、そのまた上の方々から責められてプレッシャーをかけられていたということでした。

「2009年1月11日(日)

年が明けて一週間、できるだけ口角をあげて、顔をひきつらせないようにと頑張った。でも、やっぱり金曜日の夜は辛かったなあ。1.5人分働いて、疲れ果ててわけがわかんなくなっていた。ちょこっとグチをこぼせる人がいないのは淋しい。歪んでいる。ねじれている。明らかに不公平であることについて、あまり考えないように、ひねないように、あるいは意固地にならないようにと頑張った。これでいいんだ、こんな自分でいいんだと言いきかせる。実家から帰ってきた時はすごくせつなかった。母の「ありがとう」、どういう意味がこめられていたのだろう。色々な思いが交錯し、そのどれもが真実で否定すべきものではない。(父と母の世話を)Yくんにまかせてしまっていることへのうしろめたさ、あと何回会えるのだろうかというせつなさ。Mちゃんはどうして死んでしまうことになったのだろう。その答えはどこにもない。
ただ、私の代わりに悪いものを全部引きうけてくれた。だから私は大丈夫だし、その分生きていく。限りある命を生きる。ただそれだけだ。国家試験受験から2年。合格しただけで何もできていない自分がもどかしい。あせるまい。私にできることはきっとある。今は雑学的に色々と”生きる”を勉強したいと思う。最近、教育というキーワードに興味をもっている。少しずつ、少しずつだ。
初夏に近隣の大学でまた幸せな時間を過ごす勉強の機会をもてそうだし。今は勉強している時がすごく幸せ。

今世の中は色々な情報があふれかえって、色々なモノもすぐ手に入って、物理的には人とすぐ人とつながることができる。なのに人々は幸せそうな顔をしていない。あわただしすぎるのだ。あふれ返るモノや情報にまどわされず、何が真実かを見極められる人でありたいと思う。(最近のニュースは何が真実なのかさっぱりわからない。)
矛盾にまみれつくして、ふり回されて、葛藤して、それでもなお自分自身でいられる人でありたいと思う。
気持ちいい、なんか気持ち悪い・・・自分の直感を信じろ! 自分を責めない、否定しない。
それが私に一番大事なことの一つだ。


自分の感性を磨き続けたいと思う。
無感情、無感動にならない。そのためにはできる範囲の無理は必要だ。


昨夜は、帝劇でタッキーをみた。難しいことを考えなくていい。頭使わなくてすむ、幸せな時間だった。ヅカのショーみたいに、キラキラしてて、次々と歌って踊って、たのしませてもらえる。ずっとカツカツと勉強してきたので、久しぶりにそういう時間をもった。
(新春滝沢演舞城というのを観劇しました。帝劇にいったのはたぶん2004年の一路さん主演のエリザベート以来、久しぶりの日比谷界隈で行き方を忘れてしまっていたほどでした。)

心のエネルギーチャージ。そういう時間は必要だ。お金と時間をかけてつくられたものをみる。何でもいいんだ。たまたまタッキーだっただけ。ずいぶん練習しているんだろうなあ。体きついんだろうなあ。でも笑顔だと余裕をもってやっているようにみえる。小芝居とちがって、みている人を楽しませるようにつくっている。そういうのがいい。
とにかく、色々と書きつくせないが、引き続き、自分を信じて歩いていくのだ、ひたむきに。
ただ、それだけ。今年の目標。プリンス・エドワード島に行く。」


写真は、オランジェリー美術館のモネの睡れん。


花ちゃんシシィは、自分の気持ちに正直に生きることしかできなかったということですね。
今すぐには辻褄が合わなくても生きている間に合ってくればいい。
自分を信じる気持ちを大切にしていきたいです。
今日も長文になりました。


フランスから帰国後の日々

2015年07月16日 09時28分06秒 | 日記
といっても日記をしたためていたのは帰国してから4か月後の12月ですが、私の中では旅の前後の大変な日々も含めて”旅”でした。無理してでもいかないではいられませんでした。
毎回長文になっていますが、自分の気持ちを整理していくために振り返ってみようと思います。こんな自分がいたことに自分でも驚いたりしながらの振り返りです。苦しかった、本当に苦しかった、怒りとストレスをため込んでいた二人分労働の日々からお別れしていくために・・・。

「2008年12月14日(日)

早いものだ。フランスへの旅のあと、金融危機のニュースが世界をかけめぐり、日本は連日、人員削減のニュース。とても長い時間がたったような気がする。
卒論制作からはや5年。パラサイトシングルという言葉も死語になったようだ。社会の仕組みはさらに加速度的に複雑になり、弱者が強者のリスクを背負わされている。何かが大きく違っている。ヘンだ。とにかくヘン。あまりにも早すぎる。忙しすぎる。こんなにもモノはあふれ返り、ほしいものは手に入るのに人々は幸せそうな顔をしていない。

私とはいえば相変わらずだ。会社はやっぱり大変。
少ない人数でやっていかなければならない。経費削減のリスクを背負いながら、これだけ働いている私って本当にえらいと思う。疲れている。ストレスがふりつもっているのを身体が感じている。もううんざり、たくさんだ・・・としばしば思う。それでも、一人で暮らしているかぎりにおいては踏んばらなければならない。
私の神経症の要因のひとつとなったおじさまは転勤で、数年日本へは殆ど帰ってこない。
こんなおじさまのもとではこれ以上働けないと、どれほど思ったかしれない。それでも、卒論を書き、国家試験にも合格した。私は己に勝ったのだ。孤独な自分との闘いに勝ったのだ。もう十分ではないか。
これから何を柱に生きていったらいいのだろうかと考える。

先日、上野でフェルメール展をみた。アムステルダム美術館やメトロポリタン美術館で再び、フェルメールの絵に会いたいなと思う。絵に出会うために世界を旅する。そんな楽しみを私の人生に加えてもいいではないか。
来年はプリンス・エドワード島。その次はイタリア。オランダはその次の次・・・?
カナディアンロッキーにまだ行っていないし・・・。つきないなあ、そのためには英語、フランス語なんかもできたらいいけど手が回らない。
大学院に行くという夢もあきらめたくない。
具体的に何を研究したいか、今はまだ機は熟していない。色々な視点から、”生きる”を考える。特に生物学的な視点を深めたい。哲学、社会学、教育学、心理学、生物学・・・等々をウロウロと行き来しながら、人が自立して生きていく、ということを考えていきたい。

専門職集団は視野がせまくて気持ち悪い。福祉というものは微妙だ。私のやりたいこととは違う気がする。私が身体で感じた違和感。それを大切にしていけばいいと思う。自分の感性を信じていいのだ。この秋一連の研修にででみたが、なんだかげんめつだ。
今は色々なことを学んで視野を広く持ちたいと思う。
本をもっと読みたいし、医療、福祉、人々が生きる現場をもちたいが、現実には会社でエネルギーを消耗してしまって・・・。それでも私は負けるわけにはいかない。自分を信じて生きて行く。それしかないのだ。怒りは私の中にくすぶり続けている。怒りをどう表現し、社会に向かって発信していけばいいのか。探究は続いていく。」

必ずしも適切ではない表現もあるかもしれません。
レポートを何本も書いたりし続けていたせいか、言葉回しがかたいなあと自分で思います。こんな日々は最終的に評価されることなく終わってしまいましたが、一生懸命にやったことを自分はちゃんとわかっているのだから、いいのかもしれません。一生懸命にやっていなかったら自分で納得できなくていやなものが残ったと思います。これはこれでよかったのだと思います。ただ苦しすぎました。長すぎました。ストレスではちきれそうになっていた自分を思い出すと涙が出そうになってしまいます。無理しても旅に出ていなかったら、もっと早くにつぶれてしまっていたと思います。

放送大学で哲学を勉強したいという思いは今も持ち続けています。
買い込んだまま積んでいた本を少しずつ読んだりしながら、人生やり直しの時。
エネルギーを消耗しすぎました。
色々と想いはあれど、どうやって自分の生活を守りながらやり直すことができるのか。
今だ何も見えず、全く自信がありません。希望の灯に出会いたい。世の中捨てもんじゃないって思えればなんでもいいです。そんな出会いを求めるのは無理なのでしょうか。またエネルギーが湧きあがってくるような出会いを求めるのは無理なのでしょうか。


写真はパリのオランジェリー美術館。
解像度が低いのでわかりづらいですが、モネの睡れんの絵です。
大きな睡れんの絵が壁一面にはめ込まれていて、持ち運び不可なので、オランジェリー美術館に行かないと観ることができません。
美術館で過ごしたひとときは、モネの絵に包まれているような感覚で幸せな時間でした。


急に暑くなりました

2015年07月15日 09時36分21秒 | 日記
急に真夏日になって強い陽射しと、アスファルトの照り返しが心身共に自分を疲れさせる感じがしています。あと一か月でお盆だというのに、行き場をみつけることができないまま毎日は過ぎていきます。足元がふわふわとしていて、社会から取り残され感。毎日、今日はちゃんと眠れるのかな。不安なので、少量ですが、布団に入る前にワインを飲んだりしてしまいます。寝たり感が満たされた時は調子がいいけれど、満たされないまま一日が始まった日は調子が落ちて人と話すのも面倒くさい。つまらないことにイライラしてしまう私がいます。もう少し安定してこないときびしいのかなと思いますが、ただ休んでいても安定はしてこないですね。
連日の長時間労働の日々も、調子は日によって変わりました。
私だけではなくみんなそうだと思いますが、何年も続けてきていて体になじんだことは慣れで調子が悪くてもなんとかやりこなすことができていました。連日5時間前後の睡眠時間で、出勤直後は頭がぼうっとしていても机の前に坐ってメールをチェックしたり、電話を取ったりしている間に身体が動いてきてやりこなすことができていました。これからまた新しい場所を見つけて、そんな自分に戻っていくことができるのか。自覚していたよりもエネルギーを消耗してしまったことに気がついた今は全く自信がありません。

がんばることが仇になったら、またひどい目にあってしまったらどうしよう。年齢も高くなってきた自分には、これからどんなひどい仕打ちが待っているのだろう。ついついそんなことばかり考えてしまい、おそろしくてどこにも行くことができないでいます。そんなことないよ、世の中捨てたもんじゃないよ。そう感じることができる場所ってあるのでしょうか。
そんな場所を求めていても永久に出会えないと公的機関で言われてさらに傷ついてしまいましたが、近くの公的機関に出向いたら、特別な支援プログラムを利用できる権利があるとわかったので、税金どっさり払ってきたんだし、とあまり期待はせずに申込みだけしてみました。けっこう混み合っているようです。自分の持っている権利を、一生懸命に自分で見つけ出して申請しないと利用できないということ自体に今の私はいらっときてしまいます。なんだかどうしようもないじゃないかとわかってしまったので仕方ないです。そういうことも全部正直に話した上での申請です。ややこしい事実関係と事情を話すのにエネルギー消耗しました。話しながらまた涙を流していました。

連日の長文を読んでくださり、ありがとうございます。
こうしてブログを書くことが今は大切な心の柱になっています。ささやかな社会とのつながり。なによりも自分は書くことが本当に好きで、書き始めたら止まらなくなってしまうところがあるのだとわかりました。過去にも日記や手帳への書き込みやら、いつも書くことで自分と向き合い気持ちを落ち着けてきました。たぶんこれからも時間の許す限り書き続けていくのだろうと思います。

パリから帰国した後の日記を振り返ろうとしていますが、また後ほど。
花ちゃんシシィが教えてくれている自分を信じるという強い気持ちを大切に。
アンが教えてくれている曲がり角の向こうには道が続いていくことを信じる気持ちを大切に。

『Rudolf THE LAST KISS』(4)

2015年07月14日 19時17分00秒 | ミュージカル・舞台・映画
「ルドルフの孤立 (このように)、ターフェ(あるいはその背後にいるフランツ=ヨーゼフ)は、あくまで「バランス重視」の政策を敷くことに専念した。まただからこそ、彼の内閣は長持ちした。だが先回りして言うと、1893年にターフェは首相を辞任する。彼は社会政策の一環として、選挙権の拡大を推し進めていったのだが、結果として普通選挙の実施を求める大衆政党や社会民主党が台頭してしまい、その要求に応えきれなくなったことが大きな原因だった。

 つまりは自らよかれと思っておこなった政策が、思わぬ状況を生み出し、それによって自分の首を絞めてしまった。そしてその予兆は、既に彼の首相在任中から至るところで目にすることができた。例えば資本家と労働者との対立の深刻化、あるいは親ドイツ派と反ドイツ派の反目の激化といった具合である。またそこまで、オーストリア帝国は内部分裂の危機に晒されていた。それでも何とか帝国が持ったのは、フランツ=ヨーゼフの皇帝ならではの絶対君主的オーラが存在していたから、とさえいえる。

 そこに登場したのが、青年期を迎えたルドルフだった。彼は、フランツ=ヨーゼフやターフェのやり方と激しく対立。(腹の内はともかく)新生統一ドイツやロシアといった巨大な君主国との同盟を強化することで帝国の安寧を図ろうとするターフェに対し、共和制を敷くフランスとの連携を唱えるようになる。あるいは旧弊な貴族や、彼らにすり寄ろうとする裕福な資産家に対する批判を強めるようになる。

 このようなルドルフを支援し、また彼に大きな影響を与えたのは、モーリッツ・ツェプス(1835-1902)というジャーナリストだった。彼は革新的な立場から政治の刷新を唱え続け、自身フランスを代表するリベラルな政治家ジョルジュ・クレマンソー(1841-1929)と親交を結ぶ。(なおツェプスの娘の一人は、後にクレマンソーの弟と結婚するほど、両者のつきあいは深かった。)ツェプスは1881年以降ルドルフと知己になり、彼が匿名で自らの意見をジャーナリズムに発表する手助けをおこなった。

 そうでなくてもルドルフは優れた文才の持ち主だった。1881年におこなったエジプトを中心にしたオリエントの旅を綴った一冊、また1884年から刊行が始まった『図説オーストリア=ハンガリー帝国』の編集参加・・・。これらを読めば、ルドルフにとって文章を書くという行為は、もはや単なる皇族の余技にとどまらず、自らが着目した対象を鋭く見つめ分析した結果を世に問う行為に他ならなかったことがよく分かる。

 逆にいえば、ルドルフは現実の世界では到底受け入れられない自らの考え方を、唯一文章という世界の中でのみ明らかにできた。たしかに現実世界では、フランツ=ヨーゼフやターフェとの確執は日ごとに大きくなり、彼は孤立していった。1889年にマイアーリンクの館で謎の死を遂げた跡も、それを巡って自殺他殺の議論が絶えないのはそのためだろう。

 歴史に「もしも」は禁物といわれるけれど、もしもルドルフが生き永らえて、帝国の政治に関わったらどうなっただろうか。歴史が語っているのは、彼の死後20年以上にもわたって帝国が持ちこたえ、フランツ=ヨーゼフ逝去後わずか2年で崩壊したという事実だけだ。」

(2012年公演プログラムより。)


「だからといってルドルフが大好きだとか、特に思っているわけではなくて(笑)。でも人を引き付ける強い魅力を持った人物なのは確かですね。歴史的に何かを成し遂げたわけではないけれど、一人の人間として悩んだり悲しんだり、喜んだりする姿が、人の心を掴むんだなと。危なっかしくて不器用で、壁にガンガン頭をぶつけるように生きている。でも内なる炎は燃えていて、そこから生み出される行動はすごくピュアだなと、今、演じながら感じていますね。」

(2012年公演プログラムより、井上さんのインタビュー)


この舞台の井上さんは、歌で聴かせるミュージカル俳優というより芝居をする役者さんといった印象だったと思います。村井さんフランツとの深まっていく対立、急進的なジャーナリストたちとの付き合い、母であるエリザベートが旅に明け暮れて宮廷に寄りつかない中で、しだいに行き場がなくなり、明るく溌溂とした和音さんマリーに心の安らぎを見いだし、最後は二人で旅立っていく。むずかしい役どころだったと思います。

観劇の翌日、私はこんなふうに手帳に書いていました。
「『ルドルフ・ザ・ラストキス』を昨日帝劇でみた。死んでしまったのが、なんとも歯がゆく、もどかしく残念だ。6月に二度目の『エリザベート』をみた時にも思ったのだが、もしこの人が生きていたら、もしも・・・、世界の流れは変わっていたのではないか。原発事故などなく、ギリシャ危機もおこらず、もちろん、大きな戦争がおこることもなく、私たちは全く違った20世紀を生きることになっていたのではないか。そんなことを考えずにはいられない。」

同じこと書いていますが、生きていてほしかった。この時から3年が過ぎ、色々なことがありすぎたので、さらに臨場感をもってこの時の思いがせまってくる感じがあります。


『エリザベート』の感想ブログへの訪問ありがとうございます。
帝劇は連日盛り上がっていますね。急に暑くなったので、キャストの皆さんが無事に乗り切っていかれることを祈りたいと思います。



写真は、げきぴあからお借りしました。


2012年6月20日のルドルフ集合イベント。
エリザでルドルフを演じた古川さん、平方さん、大野さんの三人と井上さん。




げきぴあの取材でスケートの練習中の井上さんと和音さん。
外は真夏の陽射しがアスファルトに照り返す日でしたが、劇中ではアイス・スケートの場面がありました。
舞台の上にスケートリンクが登場して驚きました。
キャストのみなさん器用にすべっていてすごいなと思いました。







パリから世界遺産を訪ねて_旅の終わりの日_パリにて

2015年07月13日 20時40分47秒 | パリから世界遺産を訪ねて
古いモノを捨てていこうと整理していると自分でもすっかり忘れていたモノに出会います。
2008年9月に「パリから世界遺産を訪ねて」という大手旅行会社のツアー旅行に一人で参加しました。2007年10月に国家試験に合格した自分へのご褒美としてドイツ・スイスアルプス・パリをめぐる旅に出かけたばかりでしたが、気持ちが苦しくて出かけないではいられませんでした。
旅の最終日に、高校生の頃サルトルやボーボワールの本をかじった私は、彼らが出入りしていたというカフェを、地球の歩き方片手に一人で地下鉄に乗って訪ねました。
そこでしたためたものです。
前職の苦しい日々を思い出します。この旅を指折り数えて中間決算を乗り切っていた日々でした。いつ終わりがくるのか、忙しすぎて、大変すぎてわけわからなくなっていた二人分労働の日々でした。
気持ちの精算にはもう少し時間が必要なのかな。
こうして綴っていくことで精算できていくのかな。

「2008年9月12日(土)くもり時々晴

やっとの思いで辿り着いた旅の終わり。
カフェ・ド・フローラルでコーヒーを飲んでいる。
パリは、私にほほえんでくれているのだろうか。
わからないが、東京とは何かが違う。
何でも受け容れる懐の深さをもった街だ。
五感をくすぐられる。
5泊7日、大人数の若い人達との団体行動。
正直いって疲れる。ホテルも安いホテルのようで性に合わなくて、あまり眠れなかった。
言葉も習慣も違う国に、長時間飛行機に乗ってやってくるというのは、ツアーとはいえ疲れる。でも高いお金を払って、かなりor少し無理をしてきただけのものは得られると思う。
お金と時間をかけて、そこでしかみることのできないものをみて、そこでしか感じられないものを味わう。身体で感じる。とても大切なことだ。
成田で飛行機に乗るまで緊張し続けていた。
休むためのプレッシャーで押しつぶされそうになりながら頑張って働いた。ようやく得られた休暇の時間。帰ってしまえばたちまち現実。夢の如しであろうが、とても疲れているのも事実だが、こんな時間をまたもつために働く。帰ればまた色々と課題はある。
私はこれからも一人で頑張り続けることになるのだろう。
いつまで続くのか。果てしない時のようにも思える。
先のことは誰にもわからない。不安と背中合わせで生き続けなければならない。
みんな最後は一人なんだし、いいじゃないか。

旅の終わり。無事に時間までにホテルに戻れればまづは良し。きっとフライトは大丈夫だ。
ずっと晴れて、日中は暑いほどだったのに今日はくもっていて寒い。人々の足早に歩く姿、カフェのギャルソンたちのキビキビとした動き。
これがパリなんだなあ。
観光地巡りもいいけど、こういう時間がもてるのは一人だからこそだ。カフェでお茶を飲みながらぼうっとする。やっと念願かなったぜ。

日本のファーストフードカフェにうんざりしているだけに心地いい。コーヒーはもうとっくにさめているし、寒いがまあいい。日本に帰れば私は白髪のまじりはじめたシングルの女性。会社をとれば何もない。友達もそんなにいない。そう落雷で電車が止まった時に気づかされた。これからまだ自分の居場所をみつけていける。可能性はある。大丈夫だ。
会社でかなりのエネルギーを吸い取られてしまっているのが現実だが、私は負けない。
パリからエネルギーをもらったではないか。自分を信じて歩き続けるのみ。

昨日のオランジェリー美術館で、壁いっぱいの睡れんに包まれてすごした時間、幸せだったなあ。ルーヴル美術館も堪能した。ガイドさんが素敵だったし、二度目なのでよく吸収できた。モナリザもさることながら、今回は2100年生き続けているミロのヴィーナスにすごいエネルギーを感じた。彫刻の面白さがなんだかちょっとわかった気がした。
本当のものは、こちらのみているものの状態。心のありよう、また光の加減、角度、色々な要素によって見え方が違ってくる。肌で感じる、本物の力ってこういうことなんだな。そんなことをあらためて知った旅だった。
ナポレオンやマリー・アントワネットが生きたフランス。
その歴史がもつ重さを感じることもできたし。
きてよかった・・・。

11時15分、パリ時間。」


この日は夕方の便で成田空港に帰国しなければならない日でした。
ホテルの集合時間に間に合ってほっとした私に、トイレに閉じ込められる事件が起こってしまいました。お手洗いに行きたくなったので、フロント近くのトイレに駆け込んだのですが、なんとそこは障害者用のトイレで暗証番号がないと出ることができませんでした。一人で行動していた私がこのトイレに入ったことを誰も知らないので焦りました。
中からドアを叩いたら気づいてくれた人がいて事なきを得ましたが、海外はツアーであっても何が起こるかわかりません。気を抜いてはいけないということですね。


写真は携帯で撮ったので解像度低いですが、モン・サン・ミッシェルの夕暮れです。
この旅の写真をアップしていくのはまだまだ先のことになりそうです。

人生の旅はむずかしく、でもいつか終わりは訪れるので思うように生きたいですね。
そんなわけにはなかなかいかないので、どこらへんでどう折り合っていくのか、なおさらむずかしいのですが・・・。