雨が降らないと強い陽射しがふりそそいでもう夏なんですね。デパートでは浴衣や提灯が売られていてあと一か月もすればお盆。時の流れは早いですが今だ新しい足場を見つけることができずにいる私はなんだかほとんど実感がありません。
このまま今の場所にとどまり続けていても持ち出しが続いていくばかりなのでどうすればいいのか、なかなか答えをみつけることはできません。何年も時間をかけてすり減ってきたものを回復していくためには、それなりの時間が必要なんだと感じています。
やはり本当にエネルギーが涸渇してしまいました。回復してきていますが、弱らせてやろうと向かってきた権力との闘いは、エネルギーの消耗の仕方が半端ではありませんでした。疲れてしまいました。まったくよくやったもんだと自分のことながら思います。
もう早く忘れていくようにした方がいいのかな。でも話がでかすぎて消化しきれないので苦しいです。当事者として自分のことを語るということはいずれの場合であっても、遠ざかりつつある記憶をまた自分の中に鮮明に思い返す作業でもあり、リバウンドもきます。どこまで語っても語り尽くすことはできないので、どこまで語っても足りない感がどうしても残ります。あとでああいえばよかった、ここが言い足りなかったと脳内コンピュータがフル稼働してきつくなります。語っている時間も、そのあともかなりエネルギーが必要です。それをあえてまたやろうとしている私がいます。自分のしてきたことは無駄ではなかったんだと確かめたいという思いがあります。語って外に出して人と共有していくことでしか、消化しきれそうにないと感じている私がいます。
どこまでやればいいのか、本当に私のためになることなのか。私自身にもわかりません。
ただ一日一日で、今こうしてみようと思うことをほんの少しずつやっていくしかないです。
その積み重ねの先になにか見えてくるものがあるのか、霧は晴れてくるのか、答えはどこにもありません。どこにも正解のない、私の中の問いかけは続いていきます。
妹が答えを教えてくれるとどんなにいいだろうと思いますが、それは結果でしかありません。
精神保健福祉士の資格をもっていることが、今直接何か役に立つということはむずかしいかな。福祉をやりたいわけではない、福祉はむずかしいとわかってきたので今はわかりません。
19年前はこんな私でした。エリザがはじめて上演された年ですね。
今とおんなじようにもがいていました。同時にこの19年の間に私の中で積み重ねられてきた
心の歴史も努力もあります。ただ、それを人に説明してわかってもらえるようなことではないので仕事に結びついていくことはむずかしいですね。仕事の実績は何も評価されることなくゼロになってしまいました。悔しいです。
「1996年1月4日(木)
新しい年を迎えた。ノートを買い忘れたので、とりあえずこれ(便箋)に書いている。
年越しはこの部屋で一人過ごしたが、お正月は家に帰って3日ほどいた。帰宅へのためらいもあったが、やはりそれなりによかったと思う。いろんな思いが交錯しているが、そのどれをもあるがままに受け取めていきたい。事実を事実として認めることは時にはつらいこともあるが、良いことも悪いこともみんな受け取められる人になりたい。
また、明日からは変わらない日常が始まる。
がんばれると思う。
自分に正直に、ほんの一歩ずつ前進できればそれでいい。
幸せさがしの旅は今年も続くだろう。
過去など振り返るなよ。自分が解き放たれるために、こんなにも多くのことが必要だったのかと胸がいたむが、今はそっとしておこう。諸々の答えがみえてくる時がきっと来る。しっかりしていればそれでいいじゃあないか。」
写真は春のプリンス・エドワード島から、『赤毛のアン』でホワイトサンズホテルの名前で登場しているダルベイバイザシーの前の「輝く湖水」を選んでみました。アンが大学に合格したあとホテルで詩を朗読する場面(第33章ホテルの演芸会)が映画でも登場します。このホテルで実際に撮影が行われました。
晴れた日の島はあちらの水辺もこちらの水辺も「輝く湖水」。
風のささやきがきこえてきました。

このまま今の場所にとどまり続けていても持ち出しが続いていくばかりなのでどうすればいいのか、なかなか答えをみつけることはできません。何年も時間をかけてすり減ってきたものを回復していくためには、それなりの時間が必要なんだと感じています。
やはり本当にエネルギーが涸渇してしまいました。回復してきていますが、弱らせてやろうと向かってきた権力との闘いは、エネルギーの消耗の仕方が半端ではありませんでした。疲れてしまいました。まったくよくやったもんだと自分のことながら思います。
もう早く忘れていくようにした方がいいのかな。でも話がでかすぎて消化しきれないので苦しいです。当事者として自分のことを語るということはいずれの場合であっても、遠ざかりつつある記憶をまた自分の中に鮮明に思い返す作業でもあり、リバウンドもきます。どこまで語っても語り尽くすことはできないので、どこまで語っても足りない感がどうしても残ります。あとでああいえばよかった、ここが言い足りなかったと脳内コンピュータがフル稼働してきつくなります。語っている時間も、そのあともかなりエネルギーが必要です。それをあえてまたやろうとしている私がいます。自分のしてきたことは無駄ではなかったんだと確かめたいという思いがあります。語って外に出して人と共有していくことでしか、消化しきれそうにないと感じている私がいます。
どこまでやればいいのか、本当に私のためになることなのか。私自身にもわかりません。
ただ一日一日で、今こうしてみようと思うことをほんの少しずつやっていくしかないです。
その積み重ねの先になにか見えてくるものがあるのか、霧は晴れてくるのか、答えはどこにもありません。どこにも正解のない、私の中の問いかけは続いていきます。
妹が答えを教えてくれるとどんなにいいだろうと思いますが、それは結果でしかありません。
精神保健福祉士の資格をもっていることが、今直接何か役に立つということはむずかしいかな。福祉をやりたいわけではない、福祉はむずかしいとわかってきたので今はわかりません。
19年前はこんな私でした。エリザがはじめて上演された年ですね。
今とおんなじようにもがいていました。同時にこの19年の間に私の中で積み重ねられてきた
心の歴史も努力もあります。ただ、それを人に説明してわかってもらえるようなことではないので仕事に結びついていくことはむずかしいですね。仕事の実績は何も評価されることなくゼロになってしまいました。悔しいです。
「1996年1月4日(木)
新しい年を迎えた。ノートを買い忘れたので、とりあえずこれ(便箋)に書いている。
年越しはこの部屋で一人過ごしたが、お正月は家に帰って3日ほどいた。帰宅へのためらいもあったが、やはりそれなりによかったと思う。いろんな思いが交錯しているが、そのどれをもあるがままに受け取めていきたい。事実を事実として認めることは時にはつらいこともあるが、良いことも悪いこともみんな受け取められる人になりたい。
また、明日からは変わらない日常が始まる。
がんばれると思う。
自分に正直に、ほんの一歩ずつ前進できればそれでいい。
幸せさがしの旅は今年も続くだろう。
過去など振り返るなよ。自分が解き放たれるために、こんなにも多くのことが必要だったのかと胸がいたむが、今はそっとしておこう。諸々の答えがみえてくる時がきっと来る。しっかりしていればそれでいいじゃあないか。」
写真は春のプリンス・エドワード島から、『赤毛のアン』でホワイトサンズホテルの名前で登場しているダルベイバイザシーの前の「輝く湖水」を選んでみました。アンが大学に合格したあとホテルで詩を朗読する場面(第33章ホテルの演芸会)が映画でも登場します。このホテルで実際に撮影が行われました。
晴れた日の島はあちらの水辺もこちらの水辺も「輝く湖水」。
風のささやきがきこえてきました。
