goo blog サービス終了のお知らせ 

たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

思いは空高く

2015年07月03日 17時28分41秒 | 祈り
 七月に入り夏休みの文字が目に入ったり聞こえてきたりするようになりましたが、今だ関係なく生きている私がいます。もうすぐ七夕なんですね。『エリザベート』を観たいので、春の帝劇『レミゼ』観劇は見送りましたが、鎌田さん怪我で地方公演休演のお知らせ。心配です。2013年10月の中日劇場の舞台で拝見した鎌田さんジャベールがすごくよかったので、楽しみにされていた方たくさんいらっしゃるだろうし、ご本人が一番辛いですよね。三か月の休演は大きな怪我でしょうか。健康の心身があってこその日々の営み。明日のことは本当に誰にもわからないですね。だから一日一日。

 私色々なことを見過ぎてしまった、知り過ぎてしまったのだとあらためて思います。でもそのことを言うことは許されません。でもすごくいろんなことがちっぽけに見えてしまったり、そんなもんじゃないんだよ大変なことになっているんだよと思ってしまったりします。自分のしたことがでかすぎて大きく枠からまだはみ出した状態のままではやっぱり苦しいのかな。もう少しおさまってからでないと気持ちの中で折り合いの付けどころが見つけられないのかな。むずかしいところです。私一個人の心の問題ではなく、社会の問題なのでなおさらむずかしいです。弱い人を見下す権力に負けまいと踏ん張り続けてきたので、人の上から目線にものすごく敏感になってしまい、耐え難いものがあることを感じている自分に気がついてしまいました。

 私が精神保健福祉士の資格をとる勉強を必死にしたのは、福祉分野で仕事をしたいというよりは母の病気を受け入れられなかった苦しみからでした。通信教育で勉強した科目の中に「精神保健福祉援助演習」というのがあり、スクーリングの時、テキストの中から事例を選んで、グループで事例検討を行いました。そのあとの試験の答案用紙を読み返してみると、私こんなふうに記述していました。2006年3月のことでした。二人分労働の完全オーバーワークの日々の中で工面して休みを取って、目の前の課題に私は本当に必死になっていました。

 2012年2月に突然母とのお別れが訪れ、二人分労働をこなして一生懸命に働いてきた職場の就労は半ば追われるようにしてピリオドを打たれた今、そんな日々はすごく遠い出来事のように思えます。目に見える結果は何も残らなかった、ゼロになってしまった空虚さ。これから私はどこに向かえばいいのかわかりません。色々と想いはあれど自分にごはんを食べさせるという壁を超えることができなければ結局どうにもなりません。妹の自死と母の病気を受け入れることができずにのた打ち回るように自分と必死に向き合いながら生きてきた私と、そんなことは表には出さずに一生懸命に働いてきた結果が理不尽なことになった私。どちらも私でこの丸ごとの私、正直ベースで生きていくには、社会は混沌としすぎていて息苦しいです。思いばっかり深すぎてどちらも口に出すことはできない苦しさ。人が知らないことを知り過ぎてしまった苦しさ。こんな苦しさを抱えながら、これからどうやって生きていけばいいのかわかりません。社会はこれからさらに混沌としていくばかりであろうことがわかり過ぎてしまいました。でも希望の灯はどっかにあるにちがいないと信じようとすることは青い鳥を追いかけているにすぎないのでしょうか。そして結局青い鳥をつかまえることができないまま、想いだけがぐるぐると空回りし続けるのでしょうか。回復してきているとはいえ、すり減った心を取りもどしていくのはやはり大変な感じがしています。そのカテゴリーの中では、自分はかなりマシらしいとわかってはきたものの、踏ん張り続けた代償は大きいです。神様がちゃんと見ていてくださって、いつかご褒美をくださるのかな。どこかでツジツマがあってくるのかな。頭を使い過ぎてきたので今はやはりわかりません。
またエネルギーをもらいたいけれど、次の『エリザベート』の観劇はまだ先です。

 宮廷生活からできる限り遠ざかり、皇妃としての義務を極力さけて通したシシィのエネルギーはすごいなと思います。フランツに愛されていなければ無理だったと思いますが、フランツが市井の人であれば違う人生になったんでしょうね。フランツは自分で選び取ることができなかった、その家に生まれてしまった、生まれながらにして背負わされた義務と役割。晩年の彼の写真の幾重にも刻まれた深いシワが苦渋の人生を物語っています。自分を見失わないで生きていくことは容易なことではないです。この話はまた別の機会に。

 
 こうして読み返してみると私の思いは空高く舞い上がっていき、そのままどこまでもどこまでも舞ったまま空回りし続けて、たどり着く先を見いだせないような感じがします。あり得ないような無理を重ね続けた日々は過ぎ去りました。そこにどんな意味があるのか見つけることができず迷子になっている私が今います。妹と父、母は今の私をどんなふうに見守ってくれているのでしょうか。


「2006年(平成18年)3月3日、「精神保健福祉援助演習」のスクーリング答案用紙から

課題-今日の授業で学んだこと、感じたことについて述べてください-

 一人の人間の一生の中の数年間、あるいは数十年間という長い期間にわたって関わっていくPSWという仕事、その重みを事例をまとめ課題について検討していく過程で感じた。今回の事例検討で出会った20年に及び入院生活を続けてきたNさんという女性。退院後の社会復帰に向けた経過をきめ細かくたどっていくと、PSWはNさんの意志を尊重して、エンパワメントを引き出し,Nさん自身に自立への意識が生まれてくるように支えている。その過程を繰り返し文字で追い続け、Nさんという人のイメージを描くところまではたどり着けた。精神を病んだ人が生活のしづらさを抱えながら、地域の中で当たり前の生活ができるようになること、周囲の理解を得ながら依存的自立をしていくこと。テキストの中に繰り返し述べられ、ことばとしては記憶できているが、体験がないために実感としてわかっていなかった。一般企業で働き続けている私にとって、自立には経済的自立が欠かせないという思いが強くある。精神障害者にとって自立するということの意味を問い続けることが大きな課題のひとつとなった。一般的に考えられている自立と精神障害者にとっての自立、そこには大きなギャップがあり、そのギャップを調整していくことはPSWの重要な仕事であろう。PSWを目指すにあたって、実習を通してなにかヒントとなるものが得られればと思う。実習に向けては不安感が強い。身内には精神障害者がいるが、第三者としては出会ったことがないからである。どんな出会いがまっているか不安ではあるが、期待感もある。自分自身を知り、少しでも成長できる機会になればと思う。そして、先生が言われた「精神障害者を好きになってほしい」という言葉が強く心に残っている。身内の精神障害者、具体的には私の母親で
ある。母が発病して十数年が経過したが、私は母の病気を受け入れることができないし、母を、そしてその母から生まれた私自身を好きになることができない。そんな思いに自分自身の中で折り合いをつけたいと考えたのが,PSWになる勉強を始めた理由の一つである。実習を通して、精神障害者を好きな私に出会うことができればと思っている。」


写真は春のプリンス・エドワード島。オーウェル・コーナー歴史村の高い空です。